もう一人の息子(‘12) ロレーヌ・レヴィ<「イスラエル」という正の記号を奪われた若者と、「イスラエル」という負の記号を被された若者の寓話的統合の物語>

イメージ 11  嗚咽を抑え切れない妻たちと、感情の炸裂を必死に抑える二人の夫
 
 
 
心に沁みる良い映画だった。
 
現実はこんなに甘くないことを知り尽くしてもなお、次世代のアクティブな若者たちに「希望」を繋ぐ映画を作らざるを得なかったロレーヌ・レヴィ監督の真摯な思いが、観る者にひしと伝わってきて、それがいつまでも消えない残像として、私の脳裏に焼き付いている。
 
正直言って、この映画もまた主題が先行し過ぎて、ラストシークエンスの構成力の甘さの瑕疵を認めざるを得ない。
 
そこだけは厳しく批評しているが、それでも私は、この映画を支持したい。
 
現代の中東情勢を「絶望」と呼ぶなら、その反意語には「希望」という二字しか存在しないのだ。
 
だから、その「希望」に寓話的統合性で包摂した物語ながらも、一切を託した作り手の思いを素直に受け止めたいのである。
 
 
―― 以下、物語を詳細に追っていく。
 
 
 「空軍の除隊後に歌手になる」
 
18歳の闊達な若者のヨセフは、イスラエルの兵役検査の場で、自分の夢を語っていた。
 
 3年の兵役に就く前に、イスラエル国防軍大佐の父・アロンの許可を得て、仲間たちとのパーティを愉悦するヨセフ。
 
ヨセフの母で、フランス生まれの精神科医のオリットが、ヨセフの血液型が両親と合致しないので、DNA検査の必要を求められ、煩悶するのは兵役検査の直後だった。
 
 オリットが友人の医師ダヴィッドに相談した結果、そのダヴィッドにハイファ(地中海に面したイスラエルの都市。近年、巨大ガス田の発見で注目)のR病院から連絡があり、信じ難い事実を知らされるに至る。
 
 「ヨセフの出産の際、湾岸戦争の初め、ミサイル攻撃を怖れ、病院はヨセフを安全な場所へ。保育器の中には、もう一人、別の赤ん坊が。翌日、私に戻されたのはヨセフではなく、もう一人の子」
 
 その由々しき事実を、意を決して夫に話オリット。
 
 衝撃を受けた夫のアロンは、妻の報告を認めようとせず、当時、前線にいた苦労話をするばかりで、円満なシルバーグ夫妻の心に看過し難い波動が生れたのは必至だった。
 
 「くだらん話だ。ありえない」
 
 DNA検査に随伴することを求める妻は、混乱する夫の傍に寄り添い、沈黙を余儀なくされる。
 
 DNA検査の日。
 
 そこには、ヨルダン川西岸地区の「アパルトヘイト・ウォール」(イスラエルはセキュリティ・ウォールと呼ぶ)と称される「分離壁」に住む、パレスチナ人であるアル・ベザズ夫妻も待っていた。
 
 夫の名はサイード
 
 本職はエンジニアであるが、村の外に出られないため、自治区で自動車修理工をしている男である。
 
 妻の名はライラ。
 
病院の院長より、両夫妻が形式的な紹介を受けた後、ヘブライ語ユダヤ人の母語)を英語に言い換えたその院長の口から、両夫妻が予想していた最悪の現実を知らされるに至る。
 
 「重大な過失です。血液型の不一致という件につき、詳細な調査を行いました。その結果、ヤシン・アル・ベザスはAマイナス」
 
 そう言って、シルバーグ夫妻の血液型と一致する事実を説明した後、赤ん坊の取り違え事故の過去を淡々と説明する。
 
 ヤシンとは、アル・ベザズ夫妻の子として育てられ、伯母の元でフランスのバカロレア(大学入学資格試験)に合格するパレスチナ人だが、そのアイデンティティが、未だ本人の知らぬ間に一気に崩されていく若者。
 
 「同じ時に出産し、病室も隣同士でした。可能性として考えられるのは、赤ちゃん2人は、手違いにより避難の際に取り違えられたのです。DNA検査が、それを裏付けています」
 
 その確認のために、お互いに持って来た息子の写真を交換する。
 
 嗚咽を抑え切れない妻たちと、興奮のあまり、感情の炸裂を必死に抑える二人の夫。。
 
 「冗談じゃない!ヨセフはうちの子だ。決まってる!」
 
 最初に感情を炸裂させたのは、イスラエルの高級将校のアロンだった。
 
 「耐えられん」
 
 その捨て台詞を残して、アロンは部屋を去っていった。
 
 感情の炸裂の気力すらも喪失したサイードは、膝に疾病を持つために、立つのも容易でない状況下で、重い腰を上げ、ゆっくり去っていく。
 
嗚咽を堪えた女たちだけが、そこに残り、当時、この病院に赴任していなかった院長の謝罪を受ける。
 
 女たちは簡単に挨拶し、決して「運命の皮肉」を呪ったり、病院を激しく難詰することはなかった。
 
 手を握り合って別れた女たちの切なさが、観る者の心を痛烈に揺さぶって止まないこのシークエンスは、その訴求力の高さで出色だった。
 
 「親類、友人、近所に知れたら大変だ。このことは忘れろ」
 「土地を奪われたことは、“忘れるな”と言うのに。忘れろ?呆れた」
 「まるで別の話だ」
 
 帰路、パレスチナ人のサイードと、妻のライラの間で交わされた短い会話である。
 
 まもなく、バカロレアに合格して帰宅したヤシンを、検問所の向こう側にあるパレスチナ人地区で待機する、母ライラと兄ビラルが熱い抱擁を交わす。
 
 「俺たちの村は、今も囲われたままだ。故郷は二つに裂かれた。土地を奪った奴らは、呪われるがいい!」
 
 イスラエルへの憎悪が激しいビラルとは違って、「パリは永遠にパリさ」と母に答えるヤシンの自我には、「中東の地獄」のイメージと切れた相対思考が根付いているようだった。
 
 一方、医師志望のパリ留学からの「栄光の帰還」を果たしたヤシンを、今や、心から歓迎できない心情を抱く父サイードは、一人、自動車の修理のために潜り込んでいる土塊に張り付いて嗚咽していた。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/もう一人の息子(‘12) ロレーヌ・レヴィ<「イスラエル」という正の記号を奪われた若者と、「イスラエル」という負の記号を被された若者の寓話的統合の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/10/12_27.html