1 「胎内回帰」を求める男の究極なる感情の体現
電動チェーンブロックを使って、車椅子に乗った障害者が自殺する。
これが、全く台詞のない冒頭のシーン。
このシーンが意味するものは、物語の後半に説明されるが、唐突なシーンの挿入で開かれる映画の持つ破壊力は、その直後のシークエンスの中で展開されていく。
―― 以下、インパクトの強い物語の詳細な梗概。
3ヶ月で10倍にも膨らむ高利貸しの手先となっている男・ガンドに、今日も仕事が入った。
信じ難い借金を負った夫を責めつつも、その夫を救うために、妻は夫を外に出した。
「障害者にならないで!」
借金の返済を遂行しない債務者に対して、障害者になるほどの暴力を振うことで、その保険金を掠め取る相手の手口を知悉する妻が、このとき選択した手段は、ガンドに自分の身を差し出す行為だった。(因みに、この行為に、ガンドの雇い主である社長は関与していないようだが、責任逃れで黙認していたと思われる)
しかしガンドは、女の体を貪る欲望よりも、そのような女の行為それ自身に反感を覚えるのか、裸になった女をブラジャーで鞭打ち、叩きつけ、甚振(いたぶ)る暴力に振れていくばかり。
甚振られた妻の体を目の当たりにした夫は、ガンドに向かっていくが、しかし、口に軍手を押し込まれたフンチョルの体は、自らの工場の工作機械に右腕を突っ込まれて、妻・ミョンジャが最も回避したかった障害者にされてしまうのだ。
工場から流れてくるフンチョルの血の海を、今度は外に出されたミョンジャが見せつけられ、号泣するばかりだった。
「クズ野郎!天罰が下るわ!」
「借りた金を使い込んで、ヌケヌケと。クズはお前らだ」
捨て台詞を残して帰路に就くガンドの手には、一羽の鶏が鷲掴みにされている。
その鶏に逃げられ、追って行くガンドの目前にいた一人の女。
その女がガンドに手渡したのは、ガンドが足を滑らせて逃げられた鶏。
それは、奇妙な女との最初の出会いであった。
アパートの部屋に帰って来る早々、部屋の壁に飾ってある女の像のポスターに、いつものように、肌身離さず持ち歩いている護身用ナイフで突き刺す男 ―― それが、取り立てで身過ぎ世過ぎを繋ぐガンドの荒々しい生活風景の一端を見せていた。
奇妙な女が訪ねて来たのは、ガンドが浴室で捌(さば)き、茹でた鶏を料理し、食べていた時だった
その女は、無言で人の部屋に勝手に入って来て、食器を洗い、風呂場に散乱している、鮮血の赤に染まった動物の肉をゴミ袋に片付けるのだ。
「イカれた女だ!。出て行け!」
女を追い出した男は、腹立ち紛れにナイフを窓に投げつけた。
窓ガラスを割って外に出たナイフを取りに行くと、追い出された女が、そのナイフを拾って待っていた。
「俺に恨みが?刺せ!刺してみろ!」
無言で、ナイフをガンドに戻す女。
これだけのエピソードだが、翌日も、まるでストーカーのように、女はガンドを追っていく。
「イ・ガンド」
去ろうとする男の背後から、女の声が確信的に放たれた。
驚いて振り返るガンド。
「ごめん、あなたを捨てて。許して。今頃、会いに来て」
「バカなことを言うな」
跪(ひざまず)いて、なお謝罪する女。
女の言葉を信じないガンドは、「俺の名前を呼ぶな!」と言って、女の頬を繰り返し叩くのみ。
そればかりではない。
ガンドの取り立ての仕事をも、女は視認するのだ。
今度もまた、零細な町工場の男・テスンの前に現れたガンドは、あろうことか、男の母親の眼前で男を甚振(いたぶ)った挙句、廃墟の建物の上から突き落とし、また一人、障害者を作り出したのである。
「あなたに殺されても構わない」
それでもガンドに取り憑く女は、自分が実母であると称して、「息子」の前で、自分の思いを告げるのだ。
しかも、この女は、ガンドによて突き落とされ、苦痛の叫びを上げ、罵っている男を踏みつけるという、信じ難き暴行に及ぶ。
「息子になんて口を」
女は、そう言ったのだ。
なお、女を疑うガンドと、その「息子」に付きまとう女。
そして女が、ガンドに送りつけた一匹のウナギ。
送りつけて、帰っていく女。
まるで計算されたように、絶妙なタイミングで、執拗に付きまとった女の姿が消えていく。
そのウナギに付けられたタグに書かれていたのは、「チャン・ミソン」と携帯の番号。
「母親なしで30年生きてきた。ふざけやがって!今度現れたら、八つ裂きにしてやる」
「チャン・ミソン」と名乗る女の携帯にかけたときの、ガンドの出会い頭の攻撃的言辞である。
しかし、「チャン・ミソン」は全く反応せず、携帯を一方的に切ってしまう。
「あんたが俺を産んで、すぐ捨てた母親か?」
携帯を切られたことで、ガンドの心に空洞感が生じる。
この空洞感を埋めるために、そう言って、再び、携帯をかけるガンド。
この辺りから、ガンドの心の空洞感を十全に補填することで、まるで、「死への欲動」に駆られているような、寂寞たる人生を生きる男の中枢を支配する女の戦略が、観る者に映像提示されていく。
女はその根源的発問に応えず、子守唄を歌う。
その声で、女が自分の家に侵入して来ている事実を知った男は、玄関の前で子守唄を歌っている女を視認し、もう、何も言えず、何も為し得ないまま、部屋の片隅に座ってしまうのだ。
「あのとき、私は若くて、産んですぐ、怖くて逃げたの」
自分の母親であるという証拠を出せと迫るガンドへの、それ以外にない女の反応である。
「俺はここから出て来た。戻ってもいいか?」
なお猜疑心が払拭できないガンドは、女の膣を自らの手で貪り、こう言ったのだ。
反応しない女の膣の中に、ガンドの身体が強引に入り込んでいく。
自分の母と名乗る女とのセックスは、膣から子宮へと入っていく「胎内回帰」を求めるガンドの究極なる感情の体現だった。
その間、女は嗚咽し続けている。
その嗚咽を視界に収めたガンドは、もう、何もできなくなった。
ガンドもまた、嗚咽を堪えられないのである。
ベッドに横になるガンドの傍らに、チャン・ミソンも横たわり、名状しがたいような沈黙の時間が流れていく。
(人生論的映画評論・続/嘆きのピエタ(‘12) キム・ギドク <「贖罪」という観念を突きつけられ、「失ってはならない絶対的な何か」を失った男の宿命的帰結点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/11/12.html