「排除の論理」=「踏み絵」というラベリングが奏功し、「臨在感的把握」が決定的に反転する

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1  「お任せ民主主義」が終焉して
 
 
 
2017衆議院総選挙が終わった。
 
概(おおむ)ね、事前の世論調査通りになった。
 
最も評価したいのは、各党の政策がすっきりした総選挙であったこと。
 
その意味で、日本の政治風土が変容していく第一歩であると考えたい。
 
くれぐれも、第2民進党だけは作って欲しくないと願うのみである。
 
それにしても、安倍政権が成長戦略の柱の一つに掲げたにも拘らず、「負けて、勝つ」などと、綺麗ごとを捨て台詞にしながら、自民党農林族に存分に食い千切られ、全農の自主的改革に委ねるという尻すぼみに終始し、骨抜きにされた「全農(JA全農)改革」が頓挫(とんざ)しても、小泉進次郎農林部会長(農林部会長を異例の留任)が全く批判されなかった不思議の種明かしは、この総選挙が控えていたからだった。
 
「客寄せパンダ」と言っては悪いが、少なくとも、その商品価値が引き続き延長されているのだ。
 
そこだけは切れ味鈍く、改革の突破力はなくても、訥弁(とつべん)の幹事長に代わって、その発信力だけは依然として切れ味が鋭かったということか。
 
また、日本とEUの経済連携協定(EPA)に大枠合意しても、トランプ米大統領がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)からの「永久離脱」の大統領令に署名したことで、日米FTA(自由貿易協定)でシビアに仕切り直すしかない状況を招来した。
 
我が国はなお、米国に加え、ニュージーランドも離脱する事態を念頭に、残り10カ国によるTPPの発効を検討しているようである。
 
更に、公的年金の支給額の伸びを賃金や物価の上昇分より抑える、年金抑制の「マクロ経済スライド」が、8年遅れで2015年度に発動されても、デフレーション下で実施できない現実。
 
そして、歴史的な低金利状態が続いているが故に、運用難の資金が株式に流れ込み、株価の連騰が設備投資や賃上げに振れず、急激な株価変動に対応し得る企業の収益基盤は堅固なものになっていない現実がある。
 
それでも、圧倒的な印象含みで支持される安倍政権。
 
あとは、先進国レベルで言えば、日経社説で、多数派に国の将来を無条件で委ねる棄権に対し、「お任せ民主主義」(投票率は戦後2番目に低い53.60%)と揶揄されても、ほぼ定着した民主主義の下、当該政権を選択した国民の責任の問題のうちに還元されたのである。
 
 
 
2  バイアスに満ちた結論ありきの詭弁とも思える、イメージ繋ぎの所感的な文章の遣り切れなさ
 
 
 
ここでは、臨時国会冒頭で解散した2017衆議院総選挙において、国民から支持された安倍政権に批判的な「所感」を述べた内田樹(たつる)の、総選挙前の時事批評を、本人のブログから引用する。
 
以下、「巨大変化に目を閉ざす『身内ファースト』」という時事批評の全文である。
 
北朝鮮ミサイル問題で政権の支持率が回復し、野党第1党の民進党は離党ドミノで弱体化しているのを好機と見て、安倍晋三首相は国会解散を決めました。
 
ところが、思いがけなく小池百合子東京都知事の新党が登場し、そこに民進党が合流することになって、いきなり自民党は政局の主導権を奪われてしまった。
 
しかし、個人的にはこのカオス的状況を歓迎する気分にはなれません。
 
民進党の議員たちはこれまで主張してきた『安保法制反対・改憲反対』を棄てて180度逆の立場に立たなければ公認されないという『踏み絵』を踏まされようとしています。新党は反立憲・独裁志向の安倍自民党のさらに右に、自民党以上に新自由主義的で排外主義的な新政党が『受け皿』として登場しようとしている。
 
ただし、これは世界的な傾向であって、日本だけの特殊事情ではありません。世界中どこの国でも、『理解も共感も絶した他者との気まずい共生』という困難な道を拒絶して、仲間うちだけで固まり、仲間うちの利益だけを優先する『身内ファースト』的な政治勢力が大衆的な支持を得つつあります。英国のEU離脱も、トランプ大統領の登場も、ドイツ連邦議会でのAFDの進出も、希望の党も同じ文脈の中の出来事だと私は解釈しています。
 
これは現に起きつつある地殻変動的な変化が理解できず、対応することもできないおのれの無能と不安ゆえの退行的な選択であって、外界の出来事に目を閉じ、耳を塞いで、『変化なんか起きてない』と自分に言い聞かせているに過ぎません。ですから、遠からずあまりに変化の速い状況に追い抜かれ、押し寄せる難問に対処できずに、その無能をさらすことになるでしょう。
 
ここでいう『地殻変動的な変化』というのは、国際政治における超覇権国家の衰退と『地域帝国化』、そして地球的規模での人口減のことです。
 
地殻変動的な変化』と『地域帝国化』は半世紀スパンでの変化ですから、今すぐどうしなければならないというような喫緊の課題ではありませんが、少子・高齢化による社会の変化はすでに日本を直撃しています。21世紀末には人口は5千万人程度にまで減ると推定されています。80年間で7千万人減です。人口減と高齢化に伴う産業構造・社会制度の変化は想像を絶した規模のものになるはずですが、それにどう備えるかという危機感は国民的にはほとんど共有されていません。政府もまったくの無策で手をつかねている。
 
その危機の切迫のうちにありながら、安倍政権は森友・加計問題に露出したようにネポティズム縁故主義)にすがりついています。イエスマンだけを登用し、限られた国民資源を仲間うちに優先的に分配する仕組みです。これは『身内ファースト』という世界的なスケールでの政治的退廃の日本版です。安倍首相がもともとそういう排他的なパーソナリティであるということと世界史的なネポティズム傾向があいまってこれまでの長期政権がありえたのです。
 
しかし、安倍自民党に対抗して登場した小池新党も、『身内ファースト』であることに変わりはありません。民進党との『合流』プロセスで見られたどたばた騒ぎで明らかなように、小池代表の軍門に下ったのは、政策の一貫性を振り捨てても『わが議席』の確保を優先させていてる『自分ファースト』の人たちばかりでした。これまで掲げて来た政策の一貫性や論理性よりも、おのれの『明日の米びつ』を優先的に配慮する政治家たちが、今切迫しつつある文明史的な転換に対応できる能力があると私は考えません。
 
日本はしばらくカオス的状況が続くでしょう。でも、それは世界中どこの国でも程度の差はあれ同じことです。『他の国もひどいことになっている』と言われて心がなごむというものではありませんが」(「巨大変化に目を閉ざす『身内ファースト』」)
 
以上、内田樹の政治批評を読み、愕然とした。
 
内田樹のこの文章を読んで、何か分ったような気になるだろうか。
 
何かを語ってるようで、何も語っていない文章の典型例ではないか。
 
分るのは、何かしらイメージに結ぶことが可能な背景説明から、「希望の党」が排外主義的な政党であり、世界の排外主義的な政治勢力と同質であるという主張だ。
 
バイアスに満ちた結論ありきの詭弁とも思える、イメージ繋ぎの所感的な文章の遣り切れなさ。
 
反論できるほどの論旨の一貫性もない、単なる思い付きの文章に過ぎないように思われのである。
 
以下、本質的な部分を切り取って、簡単に言及したい。



時代の風景 「排除の論理」=「踏み絵」というラベリングが奏功し、「臨在感的把握」が決定的に反転する より抜粋http://zilgg.blogspot.jp/2017/10/blog-post.html