虐殺の大地を走り抜き、鮮烈な時間を拓いていく 映画「ルワンダの涙」('05)の壮絶さ

1  虐殺の大地の一角で木霊する神父の炸裂

 

 

 

【これはこの地で起きた実話である】

 

ルワンダ 1994年。フツ族の政府は30年来、少数民族ツチ族を迫害していた。西欧の圧力で、大統領は渋々、ツチ族との政権分担に同意。国連は平和監視の目的で、首都キガリに小隊を置いた」

 

1994年4月5日 公立技術学校 キガリ

 

学校を運営するのは、土地の者から慕われるクリストファー神父。

 

そこに教師として赴任してきた国連協力隊の英国人・ジョーは、子供たちを笑わせる親しみやすい男だった。

 

そのジョーがキガリルワンダの首都)の中心部で、BBCの記者・レイチェルからルワンダの不穏な状況を知らされる。

 

「カチル(キガリのカチル地区のこと)でツチ族の集会を取材してたら、フツ族が乱入してきて、ナタで皆殺しに。警察は、ただ見守るだけ。怖かったわ。フツ族ツチ族の共存を期待したけれど、ワインの異種ブレンドとは訳が違うわ」

「ローマは1日にして成らずさ」

「迫害がこれほどとは。老女の顔を半分に切って、ツチ族を挑発してた」

 

何かが起こる前兆だった。

 

1994年4月6日

 

政府のシボナマ議員が学校を訪れ、クリストファーに国連軍の人数を聞き、活動の様子を伺いに来た。

 

ジョーに好意を抱き、マラソンに熱心なツチ族の少女マリーが、この日もマラソンの練習をしていると、フツ族の少年たちから「ニェンジ(ゴキブリ)」と言われ、投石される。

 

そして、この夜、由々しき事件が出来した。

 

クリストファーとジョーは国連平和維持部隊(PKO)の指揮官・デロン大尉から、大統領機が墜落したことを知らされる。

 

「守りの堅い、この学校を防衛拠点にする」とデロン大尉。

 

閉鎖した学校の外では砲撃が鳴り、大勢のツチ族の住民たちが助けを求め、門の前に押し寄せていた。

 

「門を開けろ」と神父。

「ここは基地だ。難民キャンプじゃない」とデロン大尉。

「ここは学校だ。私のね」

 

そう言うや、神父は門を開けさせ、住民を学校に入れた。

 

老夫妻がジョーに話しかけてくるものの、ルワンダ語が分からず、学校の整備係で ジョーの通訳係を兼任するフランソワに通訳を頼むが、老夫妻は押し黙ってしまう。

 

「おれはフツ族だ。ツチ族に憎まれてる」

 

フランソワはそう話し、父親の家へと帰っていった。

 

1994年4月7日

 

ラジオで、大統領の死が伝えられ、ルワンダで暴動が起きていることを伝えるニュースが流される。

 

「政府筋は、これがツチ族のテロによるものと非難しています」

 

ジョーは学校を出て、マリーの所在を確かめるために、学校所有の車で出かけるが、マリーは不在だった。

 

学校へ戻ると、マリーは家族と共に避難していて、安堵するジョー。

 

デロン大尉は、撤退の準備を始めるとクリストファーに話す。

 

そこに、元閣僚のツチ族の男性が入って来て、国連軍に介入を訴えた。

 

「殺害は、でたらめに起きているのではない。計画的なものだ。国連本部の介入の要請をしてほしい」

「我々の任務は平和の監視です。それ以上のことは…」

フツ族の過激派にとって、ツチ族は、まさにユダヤ人。絶滅を計画している」

 

再び、シボナマ議員が学校を訪れ、神父に警告する。

 

「政府は、この学校に難民を入れることに反対です。ルワンダ人のことは、ルワンダ人が」

「だが私は、大尉に意見できる立場にない」

 

この時点で、首相を護衛していた10名のベルギー兵が行方不明になり、その首相も暗殺されるという厄介な事態にエスカレートしていた。

 

「我々は無力だ。国連が標的にされているなら、もう何もできない」

 

クリストファーはジョーに嘆いた。

 

ジョーは、神父にテレビ中継を提案する。

 

「ここで起きてる事件を世界に知らせるには、TVしかないからです」

「できるのかね?」

「BBC放送のレイチェルに話してみます」

 

しかし、デロンに外出の護衛を断られ、頓挫する。

 

行方不明だった部下たちが、政府の兵舎で処刑されていたのが見つかったからだ。

 

ジョーは単身、学校の外に出て、通訳のフランソワの家を訪ねるが不在で、レイチェルに取材を依頼するが、手一杯だと断られる。

 

しかし、学校には40人のヨーロッパ人がいると聞き、レイチェルはカメラマンを連れジョーの車で学校へと向かう。

 

【「ヨーロッパ人」という言葉は、メディアを動かす武器になるのである】

 

「今では一般人や警察までがツチ族を殺してる。至る所でナタが振るわれてるわ」

 

道端にはツチ族の遺体が転がり、更に民兵が殺害している現場を視認する。

 

銃を持った民兵に車を止められた3人は、暴力的に車から引き摺り降ろされてしまうのだ。

 

小突かれながら、レイチェルはジョーが教師であることや、自分がBBCの記者であると伝えると、民兵はそれ以上の暴力を振るわなくなった。

 

しかし、ジョーは一人の男が、惨殺されるのを目の当たりにする。

 

その民兵の中に、ナタを持ったフランソワがいて、ジョーに気づき、何やら仲間に話すと、3人は解放され退散した。

 

3人の奇跡的解放が、フランソワの口利きであることは自明だった。

 

道すがら、虐殺死体の映像を撮るBBCの2人。

 

ジョーは怯え、衝撃を受け、口を閉ざす。

 

学校に戻ったジョーは、神父にフランソワが殺害者に加わっていることを話す。

 

一方、デロン大尉にインタビューする気丈なレイチェル。

 

「この敷地の外では、今も虐殺が…阻止しないのですか?」

「命令されていないし、武器が使えるのは自衛のみなので…」

「これは、ジェノサイドでは?だとすれば、介入の義務がありますね」

 

デロンは、ここでカメラを止めさせる。

 

「私には権限がない。たとえ無能を思われても、命令に従うしかないんだ」

「でも国連は…」

「命令を下すのは安保理(国連安全保障理事会のこと)だ。本部に訴えてくれ。我々も努力した。君たちもやってみろ」

 

フツ族民兵が学校を包囲し、ナタを持って中に入り込んだ男が捕捉された。

 

発電機の故障で灯が消え、建物の奥から女の叫び声が聞こえた。

 

ジョーとレイチェルが向かうと、クリストファーが懇意にしているエッダのお腹から赤ん坊を取り上げるところだった。

 

新しい命が誕生し、束の間の喜びが溢れ、その子は、クリストファーと名付けられた。

 

しかし、クリストファーに元気がなかった。

 

教会が襲撃され、同僚の神父も惨殺されたからである。

 

それでも、エッダの赤ん坊の具合が悪いと知り、市販薬を買い、連絡がつかない修道院へ行くと言って、クリストファーは自ら車を出した。

 

フツ族の子供に与えると偽り、馴染みのジュリアスの店で薬を手に入れ、道々に虐殺死体を見ながら修道院へ向かうと、中は修道女たちのレイプ死体に溢れていた。

 

九死に一生を得る思いで学校に辿り着いたクリストファーは、デロンから死体に群がる犬を撃ち殺すので、銃声に驚かないよう、難民に伝えてくれと頼まれる。

 

それに対し、疲弊し切ったクリストファーは、怒りを込めて反駁(はんばく)する。

 

「君らを撃ったのか?」

「何のことだ?」

「君らが受けてる命令のことだ。犬を撃つのは、先に犬が撃ってきたからだろうな。言わせてもらう!なぜ、下らん命令に従うんだ?衛生上の問題は、次々に作り出されるぞ!連中のナタで」

 

神に仕える神父の炸裂が、虐殺の大地の一角で木霊(こだま)するのだ。

 

【ここで、Shooting Dogsという原題の意味が明かされる】

 

 

人生論的映画評論・続: 虐殺の大地を走り抜き、鮮烈な時間を拓いていく 映画「ルワンダの涙」('05)の壮絶さ  マイケル・ケイトン=ジョーンズ

 より