DNAと広島の連勝という結果を見てから発信するから、かてて加えて、性質(たち)が悪いのだ。
一週間のゲームの結果を見て発信する「御意見番」とは、一体、何者なのか。
このレベルの矛盾なら、いつもの調子なので、聞き流せばいいのだが、しかし、2019年7月28日での「解説」には、開いた口が塞(ふさ)がらない。
以下、「御意見番」の持論。
「私は残念で仕方ありませんよ!夏は一回勝負だから99%投げさせなきゃダメでしょう。
一生に一回の勝負でね。色々、言い訳はありますけど、投げさせなきゃ。その前の(準決勝で)129球?それがどうした。歴史の大投手たちは皆、投げてますよ。勝負は勝たなきゃダメなんだから。投げさせなきゃいいという人は野球を知らない人だし、自分はよく思われようと言っている人なんだよ。壊れても当然、ケガをするのはスポーツ選手の宿命だもの。痛くても投げさせるくらいの監督じゃないとダメだよ。将来、将来って、将来は誰が保障するの?球界の“宝”って誰が決めたの?」
更に、畳み掛けていく「御意見番」。
「あの苦しいところで投げさせたら、将来、本人のプラスになるんですよ。選手はそれを乗り越えて、人並み優れたピッチャーにならなきゃ。彼が投げても負けたかもしれないよ。それでも彼に試練を与えることが、野球を辞めても、彼の人生のプラスになるじゃないの。人生の90%は苦しいことのほうが多いじゃない。あのときの苦しみを考えれば、こんな苦しみ、屁でもないというような気持にもなるんですよ。どんなであっても、彼には出してほしかった」(参考記事・「週刊文春」)
以上、「御意見番」張本勲の持論が、極端な体育会系精神主義の一語に収斂されるもので、この男に、プロ野球の指導者のオファーがなかったこと(?)を、大いに欣喜(きんき)せねばならないだろう。
それにしても、「壊れても当然、ケガをするのはスポーツ選手の宿命だもの」と言い放った、この愚昧(ぐまい)な男の暴言に、絶句した。
「壊れても当然」と言い放つ男の、その人格総体を貫流する極端な体育会系精神主義。
「だから、歴史の大投手たちは短命だった」
「権藤・権藤・雨・権藤」と称された、「地獄の連投」の惨鼻(さんび)に象徴されるように、この類(たぐい)の重要な事実が、この男の脳から、そっくり剥落(はくらく)しているのだ。