スポーツの風景 「スポーツ科学のエビデンスを根源的に失った『昭和の野球』の欺瞞性」より

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1  極端な体育会系精神主義に収斂される「御意見番」張本勲 ―― 「壊れても当然」と言い放つ男の愚昧の極致
 
 
「確証バイアス」・「サンプリング バイアス」等々の複数の理由で、TBSの「サンデーモーニング」には、どうしても馴染(なじ)めないが、言論の自由だから見なければいいだけの話。
 
しかし、Yahooニュースで入ってくる「張本勲の喝!」のコーナーだけは、どうしても看過できなかった。
 
この男は、「ジャイアンツの独走」と言い切った翌週に、それと真逆の情報を、恬(てん)として恥じない口調で発信する
 
DNAと広島の連勝という結果を見てから発信するから、かてて加えて、性質(たち)が悪いのだ。
 
一週間のゲームの結果を見て発信する「御意見番」とは、一体、何者なのか。
 
このレベルの矛盾なら、いつもの調子なので、聞き流せばいいのだが、しかし、2019年7月28日での「解説」には、開いた口が塞(ふさ)がらない。
 
人口に膾炙(かいしゃ)しているので詳細は省略するが、大船渡の国保陽平(こくぼようへい)監督が佐々木朗希(ろうき)投手を温存したことで、その起用の是非を巡って世論が沸騰した。
 
以下、「御意見番」持論。
 
「私は残念で仕方ありませんよ!夏は一回勝負だから99%投げさせなきゃダメでしょう。
一生に一回の勝負でね。色々、言い訳はありますけど、投げさせなきゃ。その前の(準決勝で)129球?それがどうした。歴史の大投手たちは皆、投げてますよ。勝負は勝たなきゃダメなんだから。投げさせなきゃいいという人は野球を知らない人だし、自分はよく思われようと言っている人なんだよ。壊れても当然、ケガをするのはスポーツ選手の宿命だもの。痛くても投げさせるくらいの監督じゃないとダメだよ。将来、将来って、将来は誰が保障するの?球界のって誰が決めたの?」
 
更に、畳み掛けていく「御意見番」。
 
「あの苦しいところで投げさせたら、将来、本人のプラスになるんですよ。選手はそれを乗り越えて、人並み優れたピッチャーにならなきゃ。彼が投げても負けたかもしれないよ。それでも彼に試練を与えることが、野球を辞めても、彼の人生のプラスになるじゃないの。人生の90%は苦しいことのほうが多いじゃない。あのときの苦しみを考えれば、こんな苦しみ、屁でもないというような気持にもなるんですよ。どんなであっても、彼には出してほしかった」(参考記事・「週刊文春」)
 
以上、「御意見番」張本勲の持論が、極端な体育会系精神主義の一語に収斂されるもので、この男に、プロ野球の指導者のオファーがなかったこと(?)を、大いに欣喜(きんき)せねばならないだろう。
 
それにしても、「壊れても当然、ケガをするのはスポーツ選手の宿命だもの」と言い放った、この愚昧(ぐまい)な男の暴言に、絶句した。
 
「壊れても当然」と言い放つ男の、その人格総体を貫流する極端な体育会系精神主義
 
そのアナクロな発想の風景に張り付く、「昔は良かった」という文脈の表層に、検証困難な情報が群れを成し、そこから、「歴史の大投手たちは皆、投げてますよ」という言辞が暴走する。
 
「だから、歴史の大投手たちは短命だった」
 
「権藤・権藤・雨・権藤」と称された、「地獄の連投」の惨鼻(さんび)に象徴されるように、この類(たぐい)の重要な事実が、この男の脳から、そっくり剥落(はくらく)しているのだ。
 
以下、愚昧なこの男の、「昔は良かった」論や、極端な体育会系精神主義異論を呈したい。
 


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