連作小説(4) 崩されゆく明日

 一
 

 この年の、例年にも増して蒸し暑い盛夏に吐き出されて、その夜の外気には、皮膚を焦がすような尖った悪意がたっぷりと含まれていた。飼い主を失って、餌を漁っているような黒褐色の老犬が一匹、堤下を繁茂する夏の色彩の深みに半身を埋めて、明日に繋がらないかのように見える、粗い呼吸を辺り一面に撒き散らしていた。

 必要以上に広いだけで個性のない河川敷には、もう誰もいなかった。

 堤の上を律動感に溢れた足音が近づいてきて、そしてあっという間に遠ざかっていく。私の視界の端っこに、高校生らしい女の子の、髪を束ねた色鮮やかなジャージの後姿が捉えられた。その後から、今度は律動感に乏しいが、地面を蹴る音だけは逞しい、白地の小さな動体が近づいて来た。そこには七十歳を越えたと思える血色の良い老人の、明らかにジョギングを楽しむ眩いまでの風景があった。「今晩は」という一言を残して、老人は堤の向こうに消えていった。

 この夜の白地に身を包んだ老人の天衣無縫な笑顔は、私にはあまりに眩し過ぎた。この快活な走りは、この老人を一人の自律した対象人格として把握するのに相応しいものだった。およそ十分前、私がこの手で縛ってきた一人の老人の映像は、今、私の眼の前を疾走した白地の老人の陽気さと残酷なまでに対照的だったのだ。

 私に縛られて、病院のベッドの上で死んだように怯えているに違いない一人の老人。これが私の父だ。

 この悲哀なる老人は四六時中自由を奪われ、そこに僅かな自由があっても、それを行使できない極めつけの弱者として、つい先刻まで私の眼の前に沈んでいた。

 時折小さく唸り、親に叱られた子供の眼差しで何かを哀願する。しかし抵抗する果敢さも空気を支配する訴えも、そこに拾うことはできなかった。既に黄褐色に塗り変っていた顔の辺りに、一筋の液状のラインの澄んだ糸が、情感を焦がされた流れのように這っていき、それが真新しいシーツの白を薄く滲ませた。

 「あ、あっ」と老人は何かを訴えた後、細い棒のような体を震わせていた。その精一杯の抵抗を私は封殺した。ここで封殺したのは老人の身体ばかりではない。老人の中に僅かに残る、絶え絶えの情感を吐き出そうとする最後の意志。それをも私は封殺した。末期癌の痛みに煩悶する老人はもう何も語らなくなり、何も聞かなくなっていった。

 私がその夜初めて経験した、病棟での束縛的な看護の実態。

 そこで目の当りにした凄惨な現実の只中で、私は鬼になっていた。鬼になるより外になかった。そう促されてもいた。付添婦さんから、父がベッドを離れようとして、些かの隙間も許されないように、その痩躯に巻きついている点滴装置を倒した事実があったことを聞いていたからだ。以来、就寝時には「抑制」という名の身体拘束を強いられたというわけだ。

 そのことを知った夜、私も鬼の仲間に加わった。

 縛りながら声を上げたかった。それが父の微かな呻きに対する贖罪のような気がした。声を上げることで楽になりたかったに過ぎないが、私は担当のナースに向かって本当に声をあげた。

 「縛らなくて済む方法はないんですか」
 「これは皆、やっていることなんですよ。先生の指示も出ていますし」
 「そうかも知れないけど、点滴を倒したのは一回だけなんだし。ベッドから起きないように気をつければ」
 「でも、夜通し起きているわけにもいかないんですよ」

 そう言われて、私は言葉を返せなかった。

 父の日常的な世話は、地元の家政婦紹介所から派遣された初老の付添婦さんが、病院付き添いサービスとして負担してくれていたのである。恥ずかしい話、私の家族は単なる父への見舞い人であり、それ以上の役割を請け負うことはなかった。危篤状態になった最後の数日間を除けば、父の病室で夜を明かすものは一人もいなかったのだ。一切を病院と専門の付添婦さんに委託していた私に、束縛的な看護を批判する資格などあるはずがなかった。

 その夜、遣る瀬ない気分を悶々と引き摺って、私は逃げるようにして病室を後にした。

 そのまま総武本線小岩行きのバスに乗り込む気分に流れていけない私は、バス停を見下ろす江戸川の堤の傍らに下半身を投げ出していた。騒ぐばかりの心も投げ出していた。渦巻く思いが空回りしていて、何ものも束ねられず、何ものも固められず、澱んだ夏の湿気を含んだ夜の外気にすっかり包み込まれていた。

 
(心の風景 /連作小説(4) 崩されゆく明日 )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2009/10/blog-post.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)