奥武蔵の低山徘徊を趣味にしていた私にとって、そこで出会う一期一会の風景をカメラに収めることが、何より至福の歓びだった。
私の低山徘徊は、主に、新緑やヤマザクラ、ハナモモなどが咲く春季が一番多かったが、今思えば、冬型の気圧配置と放射冷却現象による厳しい冷え込みの代償として、見晴らしが良くなる冬の山歩きに至るまで、殆どフルシーズンのレジャーであったと言っていい。
そんな中で、私の中で忘れられない思い出がある。
或る年の11月3日に、奥秩父の両神山を登山したときのこと。
標高1723mもあるのだから、無論、この山は低山ではない。
因みに、低山とは、深田久弥の「日本百名山」へのアンチテーゼとして書かれたか否かは不分明だが、「日本百低山」(文春文庫)の著者(小林泰彦)によると、ローカルな里山であることを第一条件としていて、日帰りで、特別な技術を必要とせず、人並みの体力でOKの、大体、標高1500m以下の山地と考えれば良いらしい。(ブログ「低山のすすめ」参照)
閑話休題。
多くの場合、紅葉の撮影行のために、決して低山とは言えない山々を登ることがあった。
それは大菩薩峠(1897m)であり、三ッ峠(1785m)でもあり、尾瀬至仏山(約2228m)であり、宮城・秋田・岩手の三県に跨(また)がる山で、東北で指折りの「紅葉名所」として名高い栗駒山(約1627m)、等々であった。
そして真打ちは、この両神山。
「紅葉名所」と言われる、この「名山」に登らない訳にはいかないのだ。
「埼玉県両神村と大滝村の境に位置する両神山は、鋸の歯のように岩峰を連ねた山容が特徴的です。コース始めの沢沿いの登山道には、古い石像や石碑が点在し、両神山が信仰の山であることがわかります。上部に行くにつれて道は険しさを増し、鎖のかかった露岩を超えて登っていきます。頂上からは西上州の山々や八ヶ岳が見晴らせます」(日本気象協会 tenki.jp)
これが、両神山を紹介したHPの一文。
詳細は定かではないが、多分、一般コースである表登山道の道を辿って、妻を随伴して登ったその日、険峻な山なのでアプローチに戸惑ったが、それでも、何とか両神山荘に辿り着き、そこで一夜を明かした。
登攀途中で紅葉美の絶景を期待したが、これはものの見事に外れた。
些か失望した気分で山荘に着いたものの、そこで泊る人数の多さに圧倒されて、「神を祀る山」であるが故か、秩父山地の北端にあるこの山が、如何に登山者に愛好されている山であるかという現実を痛感した次第である。
やはり、「日本百名山」と言われるほどの山は、自然林が多く残されている魅力も手伝って、ここまでの求心力を持ち得るのか。
ここでまた、失望の念。
何しろ、私の低山徘徊には、「数珠繋ぎになって、ラインを結ぶハイカー」という構図のイメージを全く持ち得なかったからである。
山荘にギュウギュウに詰められて、そこで手に入れた布団は二人に一枚、という繁盛ぶりなのだ。
早い就寝時も、自分の場所を確保するのが精一杯。
しかも、人いきれの熱気で消し去ってくれるほど並みの寒さではなかった。
そればかりではない。
山荘宿泊に馴れている人は大鼾をかいて先に寝てしまうスキルに長けているだろうが、中々寝付けない妻と私は置き去りにされた気分。
とうとう、二人とも一睡もできなかった。
失望の念がピークアウトに達した頃、夜が明けた。
本格的の登山がこれから始まると言うのに、体力不足で自信も覚束ない。
そんな気分で外に出た瞬間、驚愕した。
一面の銀世界。
初雪だった。
それは、紅葉を求めて登攀した私たちに与えてくれた、自然からの贈り物の様な気がした。
疲れがすっかり浄化された気分で頂上を目指し、そして念願の頂上に辿り着いたときに見たパンフォーカスの世界は、私たちに異常な感動を与えてくれた。
写真を撮り捲ったのは言うまでもない。
妻の存在も忘れて一人で雪の山道を進んでいたとき、私の妻が滑って転んだことも眼中になく、ひたすら自然との睦みを愉悦していた。
こんな忘れ難い経験をもたらしてくれた、「神の山」・両神山に身を預けた2日間は、私の奥武蔵・秩父への愛着を強化させる特別な時間であったが、この類の経験がなくとも、奥武蔵・秩父の素朴な自然は、私にとって最も馴染み、愛着の深い風景になっている。
以下の写真は、四季折々に足繁く通った集落等で撮ったもので、容易に律動感を保持し得ない、鈍重な歩行による疲労を立ち所に払拭してくれる、それ以外にない頓服薬だった。
これと出会うために、鈍重な歩行を繋いできたと思わせるに足る、何とも言えない愉悦の気分を手に入れられるから、この愛着の深いエリアに繰り返し足を運んだのだろう。
今は、記憶の中にしか存在しない奥武蔵・秩父の風景への愛着は、まさに、その固有の記憶の中で彩り鮮やかに蘇生しているのである。(トップ画像は、奥秩父・両神山の初雪)
私の低山徘徊は、主に、新緑やヤマザクラ、ハナモモなどが咲く春季が一番多かったが、今思えば、冬型の気圧配置と放射冷却現象による厳しい冷え込みの代償として、見晴らしが良くなる冬の山歩きに至るまで、殆どフルシーズンのレジャーであったと言っていい。
そんな中で、私の中で忘れられない思い出がある。
或る年の11月3日に、奥秩父の両神山を登山したときのこと。
標高1723mもあるのだから、無論、この山は低山ではない。
因みに、低山とは、深田久弥の「日本百名山」へのアンチテーゼとして書かれたか否かは不分明だが、「日本百低山」(文春文庫)の著者(小林泰彦)によると、ローカルな里山であることを第一条件としていて、日帰りで、特別な技術を必要とせず、人並みの体力でOKの、大体、標高1500m以下の山地と考えれば良いらしい。(ブログ「低山のすすめ」参照)
閑話休題。
多くの場合、紅葉の撮影行のために、決して低山とは言えない山々を登ることがあった。
それは大菩薩峠(1897m)であり、三ッ峠(1785m)でもあり、尾瀬至仏山(約2228m)であり、宮城・秋田・岩手の三県に跨(また)がる山で、東北で指折りの「紅葉名所」として名高い栗駒山(約1627m)、等々であった。
そして真打ちは、この両神山。
「紅葉名所」と言われる、この「名山」に登らない訳にはいかないのだ。
「埼玉県両神村と大滝村の境に位置する両神山は、鋸の歯のように岩峰を連ねた山容が特徴的です。コース始めの沢沿いの登山道には、古い石像や石碑が点在し、両神山が信仰の山であることがわかります。上部に行くにつれて道は険しさを増し、鎖のかかった露岩を超えて登っていきます。頂上からは西上州の山々や八ヶ岳が見晴らせます」(日本気象協会 tenki.jp)
これが、両神山を紹介したHPの一文。
詳細は定かではないが、多分、一般コースである表登山道の道を辿って、妻を随伴して登ったその日、険峻な山なのでアプローチに戸惑ったが、それでも、何とか両神山荘に辿り着き、そこで一夜を明かした。
登攀途中で紅葉美の絶景を期待したが、これはものの見事に外れた。
些か失望した気分で山荘に着いたものの、そこで泊る人数の多さに圧倒されて、「神を祀る山」であるが故か、秩父山地の北端にあるこの山が、如何に登山者に愛好されている山であるかという現実を痛感した次第である。
やはり、「日本百名山」と言われるほどの山は、自然林が多く残されている魅力も手伝って、ここまでの求心力を持ち得るのか。
ここでまた、失望の念。
何しろ、私の低山徘徊には、「数珠繋ぎになって、ラインを結ぶハイカー」という構図のイメージを全く持ち得なかったからである。
山荘にギュウギュウに詰められて、そこで手に入れた布団は二人に一枚、という繁盛ぶりなのだ。
早い就寝時も、自分の場所を確保するのが精一杯。
しかも、人いきれの熱気で消し去ってくれるほど並みの寒さではなかった。
そればかりではない。
山荘宿泊に馴れている人は大鼾をかいて先に寝てしまうスキルに長けているだろうが、中々寝付けない妻と私は置き去りにされた気分。
とうとう、二人とも一睡もできなかった。
失望の念がピークアウトに達した頃、夜が明けた。
本格的の登山がこれから始まると言うのに、体力不足で自信も覚束ない。
そんな気分で外に出た瞬間、驚愕した。
一面の銀世界。
初雪だった。
それは、紅葉を求めて登攀した私たちに与えてくれた、自然からの贈り物の様な気がした。
疲れがすっかり浄化された気分で頂上を目指し、そして念願の頂上に辿り着いたときに見たパンフォーカスの世界は、私たちに異常な感動を与えてくれた。
写真を撮り捲ったのは言うまでもない。
妻の存在も忘れて一人で雪の山道を進んでいたとき、私の妻が滑って転んだことも眼中になく、ひたすら自然との睦みを愉悦していた。
こんな忘れ難い経験をもたらしてくれた、「神の山」・両神山に身を預けた2日間は、私の奥武蔵・秩父への愛着を強化させる特別な時間であったが、この類の経験がなくとも、奥武蔵・秩父の素朴な自然は、私にとって最も馴染み、愛着の深い風景になっている。
以下の写真は、四季折々に足繁く通った集落等で撮ったもので、容易に律動感を保持し得ない、鈍重な歩行による疲労を立ち所に払拭してくれる、それ以外にない頓服薬だった。
これと出会うために、鈍重な歩行を繋いできたと思わせるに足る、何とも言えない愉悦の気分を手に入れられるから、この愛着の深いエリアに繰り返し足を運んだのだろう。
今は、記憶の中にしか存在しない奥武蔵・秩父の風景への愛着は、まさに、その固有の記憶の中で彩り鮮やかに蘇生しているのである。(トップ画像は、奥秩父・両神山の初雪)
[ 思い出の風景 奥武蔵・秩父の四季(その1) ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/07/blog-post_08.html