福田村事件('23)   則るべき道理が壊れゆく

 

1  「あなたは、いつも見てるだけなのね」

 

 

 

1923(大正12)年

 

千葉県 東葛飾郡 福田村

 

日本統治下の京城(けいじょう/現在のソウル特別市)で教師をしていた澤田智一(以下、澤田)が妻の静子と共に故郷の福田村に帰村してきた。

 

彼の目的は教師を辞め百姓になること。

 

しかし、へっぴり腰で鍬を耕す澤田の様子を見た同級生で、村長をしている田向と在郷軍人の分会長の長谷川が声をかけてきた。

 

長谷川は腰を入れてと自ら耕して見せ、田向は澤田に学校の教師を依頼する。

 

「良い民が良い兵隊になる。良民良兵の世の中だ。それには教育だ」と長谷川。

「東京じゃ、自由教育運動っつうのが始まってんだと。軍人とか役人を育てるためじゃなくて、子供は子供らしく自由に生きてけって」と田向。

「子供のとき自由なら、大人になっても自由に生きられるのか?結局、兵隊に引っ張られて、戦争に殺されるんじゃ意味がない」と澤田。

「おめえ、アカか?」

「戦争しないで済む世の中にするために教育が必要なんだっぺよ。海外出兵止めさせて、普通選挙実施して、言論、集会、結社の自由があるのが、デモクラシーだっぺ」と田向。

「そんなもん、食うに困らない庄屋の息子の戯言(ざれごと)だ!」

「俺にはもう、教師はできねえ」と澤田。

 

そう言って澤田は鍬仕事を始めた。

 

「向こうで何かあったんか?」と田向。

 

千葉日日新聞では、編集長の砂田が記者の恩田に記事の末尾の書き直しを命じた。

 

「いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩か、犯人不詳の強盗殺人には、必ずそう書いておけ、何度言ったらわかる!」

「嫌です。新聞は、凶悪事件をなんでも朝鮮人の仕業のように書く。毎日こういう記事を読む読者は、どう思いますか?こういうのって、朝鮮で独立万歳運動が起こってからですよね?朝鮮人は極悪非道の犯罪者、社会の敵だ、そう思わせて、どうしたいんですか?」

「どうして鮮人の味方をする?」

「事実を書きたいだけです。朝鮮人にはいい人もいれば悪い人もいます。それは日本人も同じです…新聞は人々の暗い足元を照らす灯りのような存在としてあらねばならない、入社した時にそうおっしゃったのは部長です」

「分かった。俺が書く」

「ダメです」

「決めるのは俺だ」

 

【「千葉日日新聞」は千葉県の地方新聞として実在していた】

 

一方、香川の讃岐から薬売りの行商団の一行が関東地方を目指して北上し、村々で万病に効くという薬を宣伝して売り歩いていた。

 

親方の沼部が、らい病(ハンセン病)の患者に効き目がないにも拘らず、言葉巧みに語りかけ、売りさばく。

 

「ほんだら、あの人ら騙したんか?」と信義。

「病は気からじゃ。ないよりマシじゃ…わしらみたいなもんはの。もっと弱いもんから銭取り上げんと、生きていけんのじゃが。悲しいの」

 

沼部はせめてもの罪滅ぼしだと言って、らい者のお遍路に弁当を施す。

 

その頃、甲種合格した出征兵士を送る在郷軍人会主催の祝いの場で、軍隊から戻り舟渡し(ふなわたし)の職に就く倉蔵が、祝いの場に水を差してしまう。

 

「軍隊じゃ殴られるために行ったようなものだ…わしらなんか、弾除けにされるのがオチだ」

「国を守るためじゃ!」

「国を守るためにわしら死なすんか!そんな戦争意味あるか!」

「立派な非国民だっぺよ!」

「何が在郷軍人会じゃ!兵隊辞めてまで軍服着てえんか!そんなに軍隊がお好きですか…」

 

ここで、茂次が「よく言うなあ。亭主が兵隊取られてる隙に、女房に手を出した間男(まおとこ)がよお」と口を挟み、二人は取っ組み合いの喧嘩となる。

 

薬売りの行商の一行が移動中、朝鮮飴売りの少女に気づいた子供が飴を欲しいと強請(ねだ)った。

 

「鮮人が売ってるものやがち、何が入っとるか分からんぞ」と彌一(やいち)。

「たいちょぷ、たいちょぷ。悪いもの入ってない」

 

そこで沼部は5袋買ってあげた。

 

歩きながら沼部は、先ほどの彌一の言葉に引っかかりを覚えたことを口にする。

 

「言われたことあるんじゃ!エタが売りよる薬じゃがち、何が入ってるか分からん言うて…」

「わし、鮮人初めて見たが」と信義。

「鮮人言うな。朝鮮人と言え」と敬一。

「わしらと朝鮮人、どっちが下なんが?」

「どっちも下も上もない」

「アホ!鮮人よりわしらのが上に決まってるやろが!」と彌一。

 

そんな会話をして歩いていると、飴売りの少女が追いかけてきて、沼部に朝鮮の扇子をお礼に渡す。

 

讃岐から出て半年して、醬油で栄える野田に入り、利根川を渡って行商の最後の地での商いに期待が膨らむ。

 

4年前から静子を抱こうとしなくなった澤田との関係に不満を募らせていた静子は、明日出て行くと告げた。

 

9月1日。

 

家を出て行く支度をしていた静子の元へ、信義と朝明(ともあき)が薬を売りにやって来た。

 

静子は二人を家にあげ、茶菓子を出して客人扱いをする。

 

緑茶を拝む信義を不思議がる静子だったが、慣れない野良仕事で体が痛む澤田のために、勧められた『草津の湯』を買う。

 

家を出た静子は、いつも暇つぶしに倉蔵の舟に乗り、澤田に返すのを忘れた結婚指輪を倉蔵に託した後、倉蔵を誘惑して交接する。

 

その様子を、澤田と倉蔵の愛人の咲江(シベリア出兵で夫を亡くした未亡人)が土手から目撃していた。

 

東京府 南葛飾郡 大島町

 

プロレタリア演劇の祖として知られる平澤計七を恩田が取材中、突然、関東大震災に襲われた。

 

外に出た平澤の元にやって来た近所の人々が、「富士山が噴火した」「大津波がやってくる」「山本権兵衛首相が暗殺された」などと、流言を口にする。

 

「皆さん、落ち着いて下さい。こういう時は得てして、流言飛語が飛び交います。デマやウワサに惑わされず、冷静になりましょう」と平澤。

 

そこに通りすがりの自転車の男が、流言飛語を煽る。

 

「けどよ、あいつらなら、やりかねねえぜ。鮮人、主義者よ、強盗、強姦どころか、あちこちに火つけ回っている奴らもいれば、井戸に毒投げこんでいる奴もいるって話だ。地震の乗じて、日頃の恨み晴らそうって魂胆だ」

 

「あり得ない…あんたこそ、そんな噂を無責任に広めて…あんた、どこかで見たことが…」と言うと男は去ったが、平澤はその男は亀戸署の刑事だと言う。

 

9月2日

 

東京からの避難民が逃れて来て、震災の様子を伝え、福田村の人々に流言飛語をまき散らす。

 

夫と連絡が取れないトミが、出稼ぎ先の本所から来た人がいないかと訊ねる。

 

「本所は全部、燃えちまったらしいぞ」

「鮮人が火付けしたそうだ」

「日本人は皆、なぶり殺しにされたって言うぞ」

 

そこで田向が避難者に訊ねた。

 

「鮮人が襲ってくるとか、井戸に毒を投げ入れてるとか、あんたら、本当にその目で見たんか?」

「いや…だけどみんな、そう言ってたからな」

 

【1923年9月1日、死者・行方不明者10万人を超える未曽有の大災害となった最大震度7の「関東大震災」。台風通過の影響によって、炎を含んだ竜巻状の渦が発生する「火災旋風」が起こり、本所被服廠跡(ひふくしょう=軍服製造所/現・墨田区東京都慰霊堂)に避難していた約4万人がて犠牲になった】

 

宿に逗留していた薬売りの一行は、震災で町の薬屋が閉まっていると聞き、沼部は売り時だとして、男達だけ引き連れ商売に出かけていく。

 

外に出ると、町の殺気立った光景を見て、朝明が「こがいな時に商いしたら、殺されるかも分からん」と不安を口にする。

 

敬一が「損して得取れと言うじゃないですか」と沼部に進言し、一行は宿に戻った。

 

田向は在郷軍人会の面々や村の有力者を集め、話し合っているところに、内務省からの通達が届く。

 

そこには、「“不逞鮮人、暴動に関する件。在郷軍人会、消防隊、青年団等は、一致協力してその警戒に任じ、一朝有事(万一)の場合には、速やかに適当の方策を講ずる”」と書かれていた。

 

早速、長谷川は外で待機している村の男たちに向かって、自警団を組織することを告げ、「命を、家族を、村を守るべし」と鼓舞する。

 

高揚する在郷軍人会の面々が気勢を上げるのを目の当たりにした澤田に、田向が声をかける。

 

「こうなっともう、止められねえ」

 

その夜、静子が朝鮮人が襲ってくるとの村人の噂を心配そうに澤田に話す。

 

「この地震に乗じて、朝鮮人がそんなことするとは思えないんだよ…けど…やるかもしれない…韓国を併合してから、日本人は朝鮮人をずっと虐めてきた。だから、いつやり返されるのか、ずっと恐怖心があったんだ」 

「同じようなことになりませんか?また、軍隊や憲兵が朝鮮の人を…」

「提岩里事件(後述)ってあっただろ」

「教会が焼けた…」

「焼けたんじゃない…焼いたんだ。4年前、その場所にいたんだ…俺は憲兵隊に呼ばれて、29人の朝鮮人に通訳した…」

「え、何て?」

「…29人が教会に入ると、憲兵たちが戸や窓を板で打ち付けて、一斉射撃が始まった。何十発、いや何百発も、ずっと鳴りやまないんだ…中から苦しんでる声が聞こえてきた。まだ生きてるんだ。憲兵たちは教会に火をかけて全員焼き殺した。周りには彼らの家族がいた。泣き叫びながら女が走って来て、俺たちにこう言っていたんだ。“私の夫は、朝鮮独立のために闘ってるだけで、決して日本人を恨んでいるのではありません”。俺は必死に訳した。訳し終えると同時に、指揮官の有田中尉が軍刀で女の首を刎ねた。日本人は、朝鮮語を学ぶ必要がなかっただろ。朝鮮人に強制的に日本語をしゃべらせてたから。でも俺は、必死で朝鮮語を学んだ。彼らの土地で暮らす以上、俺は学ぶべきだと思った。必死で学んだその朝鮮語を、朝鮮人を殺すために俺は使ったんだ…何も感じないんだ。痛みも何もかも。感じないんだ」

「ひどいことをしたのね」

「ああ、ひどことをした」

「私にも」

 

一方、東京で被災した恩田は、朝鮮人の少女に声をかけられ、一緒に歩いてくれと頼まれる。

 

自警団に呼び止められた恩田は、取材で東京へ来て千葉に帰ると答えた。

 

しかし、怪しむ男たちに「十五円五十銭」と言わせられた恩田は、しっかり手を握った朝鮮人の少女が自分の妹で、生まれつき話せないと答え、一旦は通行を許可されたが、自警団の一人が、その少女が朝鮮の飴売りと分かり、逃げようとした少女は捕まってしまう。

 

女が自分の朝鮮名を毅然と名乗るや、自警団は竹槍で突き刺して殺害するに至った。

 

その現場を目の当たりにした恩田は新聞社に戻り、砂田に訴える。

 

「私の目のまで、朝鮮人の女の子が自警団に殺されました。書かせてください」

 

砂田は内務省から朝鮮人が放火したり、爆弾を所持しているとの通達を持ち出し、却下する。

 

「嘘です…記者が目撃した事実より、内務省の伝文を信じるんですか。それを紙面に載せるんですか。その結果、何が起こっているか…部長はその責任を取れるんですか?」

「俺は、書かないで起きることの方が怖い」

 

恩田は朝鮮人の少女が持っていた血の付いた飴を砂田に渡す。

 

「記者を信じないで、何を信じるんですか?」と同僚記者。

「私たち新聞は何のために存在してるんですか?読者を喜ばすためですか?それだけですか?権力の言うことはすべて正しいのですか?」

 

恩田は取材に出かけると言って出て行った。

 

澤田の家では、静子と船頭との行為を目撃していたことを知った静子は、それを止めようとしなかった澤田に一言。

 

「あなたは、いつも見てるだけなのね」

 

今や、夫婦の関係が壊れかかっていた。

 

人生論的映画評論・続: 福田村事件('23)   則るべき道理が壊れゆく  森達也