眼の前に手に入りそうな快楽が近接してきたとき  文学的な、あまりにも文学的な

 比べることは、比べられることである。


 比べられることによって、人は目的的に動き、より高いレベルを目指していく。

 これらは人の生活領域のいずれかで、大なり小なり見られるものである。

 比べ、比べられることなくして、人の進化は具現しなかった。

 共同体という心地良い観念は、比べ、比べられるという観念が相対的に停滞していた時代の産物である。

 皆が均しく貧しかった人類史の心地良い閉塞が破られたとき、自分だけが幸福になるチャンスを与えられた者たちの大きなうねりが、後に続く者への強力なモチーフにリレーされ、産業社会の爆発的な創造を現出した。

 誰が悪いのでもない。

 眼の前に手に入りそうな快楽が近接してきたとき、人はもう動かずにはいられなくなる。

 昨日までの快楽と比べ、隣の者の快楽と比べ、先行者との快楽と比べ、人は近代の輝きの中で、じっとしていられなくなった。

 比べられるものの質量が大きくなればなる程、人はへとへとになっていく。

 それでも止められないのだ。

 戻れないのだ。

 恐らく、それが人間だからである。

 その行き着く果てに何が待っているか、人は不必要なまでに甘めの予測を立てるが、決して真剣には考えない。

 それもまた人間だからだ。
 
 
(心の風景  /眼の前に手に入りそうな快楽が近接してきたとき  文学的な、あまりにも文学的な  )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2012/06/blog-post_8918.html(7月5日よりアドレスが変わりました)