「自虐のナルシズム」というイメージの氾濫  文学的な、あまりにも文学的な

私たちの内側では、常にイメージだけが勝手に動き回っている。

しかし、事態は全く変わっていない。

事態に向うイメージの差異によって、不安の測定値が揺れ動 くのだ。

イメージを変えるのは、事態から受け取る選択的情報の重量感の落差にある。

不安であればあるほどに情報の確実性が低下するから、情報もまた、イ メージの束の中に収斂されてしまうのである。

 結局、イメージが無秩序に自己増殖してしまうから、不安の連鎖が切れにくくなるのだ。

イメージの自己増殖が果たす不安の連鎖によって、いつしか人は、予想だにしない最悪のイメージの世界に持っていかれてしまうのである。

最悪のイメージに逢着 した自我が、そこで開き直る芸当を見せるのはとても難しく、そこに澱んで、自らを食(は)んでしまう恐怖から、一体、誰が生還できると言うのだろうか。

人は自分を不断に告発し、断罪し、苛め抜くことによって、「ここまで責めたから赦しを与えよう」という浄化の観念に、束の間潜り込んでいく。

それを私たち は「良心」と呼んでいるが、そこに、「自虐のナルシズム」という感情ラインが重厚に絡んでいる心理的文脈を誰が否定できようか。
 
 
(心の風景  /「自虐のナルシズム」というイメージの氾濫  文学的な、あまりにも文学的な)より抜粋http://www.freezilx2g.com/2012/06/blog-post_3589.html(7月5日よりアドレスが変わりました)