得意淡然、失意泰然 ―― 2009 松井秀喜の最高到達点

 1  ペドロ・マルティネスという恐怖のハンター



 ペドロ・マルティネス。(画像下)

 メジャーリーグベースボール(以下、MLB)の投手部門の最高の名誉であるサイ・ヤング賞を過去3度受賞し、現役最高の右腕とも称されるドミニカ共和国出身の投手の名は、MLBファンの中で知らない者はいないだろう。

 2009年11月現在、38歳になるペドロは、往年の剛球投手のイメージこそないが、切れ味の鋭い変化球と抜群の制球力は今なお健在である。加えて、この男の本当の凄味は、通算350勝を超える火の玉投手、ロジャー・クレメンスと共に、打者の内角を平気で攻める攻撃的投法にあると言える。

 打者に恐怖心を与えるための目的で危険球を投げる男だからこそ、「格闘技」としてのMLBを生き残ってきたという伝説は、ハートのシャイな打者の格好の餌食になっていたことで証明されようか。

 抜群の制球力と、ビーンボールの多投が矛盾しない怖さを持つ男が作った乱闘エピソードも有名だが、この怖さに一時(いっとき)怯んだかのような過去を持つ強打者についての様々な言及が、本章のテーマである。

 かつて、「戦後、日本がアメリカに送り出すもっとも美しい日本人」(伊集院静の著書の中の言葉)という薄気味悪いトリビュートを贈られた、松井秀喜という男こそ件の強打者である。

 シンキング・ファストボール(シンカー)によって打たせて取るハイレベルのスキルを持つ投手、ロイ・ハラデイ(トロント・ブルージェイズ)と共に、殆ど天敵とも言えるペドロ・マルティネスとの対戦のエピソードは、松井秀喜にとって決して心地良い話であるとは言えないだろう。

 忘れもしない、2004年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズのこと。

 松井秀喜は、シリーズ前半のゲーム1、ゲーム3の2試合で、10打点を記録する大爆発によってボストン・レッドソックスのテリー・フランコーナ監督を震撼させたが、信じ難きことにヤンキースの勢いは3連勝しながら史上初の4連敗を喫し、ワールドシリーズ出場を逃してしまったのだ。

 特筆すべきは、ゲーム2とゲーム5に先発したペドロ・マルティネスビーンボール紛いの内角攻めに、腰を引いた松井秀喜のバットから快音が消え、打点の更新の記録も途絶え、当然の如く、3連勝の勢いによって高まっていたMVPの期待も呆気なく消滅した。

 ヤンキースの屈辱的な敗退を球史に残したゲーム7において、中継ぎで登板したペドロから辛うじて一矢報いた松井秀喜の表情には、安堵感とは全く無縁な悔しさの感情が滲み出ていた。

 その年、破竹の快進撃でワールドシリーズを4連勝したレッドソックスは、遂に「バンビーノの呪い」(ベーブ・ルースヤンキースに放出して以来、レッドソックスがワールドチャンピオンになれないという俗説)を解くに至ったが、その主役の一人であったペドロ・マルティネスは、翌年にナショナルリーグニューヨーク・メッツに移籍し、投手が打席に立つDH制のためか、危険球もめっきり減少していった。

 当然、松井秀喜との因縁の対決もなくなったが、ヤンキースプレーオフでの屈辱的な敗退だけは延長され、ジョー・ジラルディ監督に変わった2008年に至っては、ワイルドカード(リーグの最高勝率の2位チームが得られるプレーオフへの出場権)でのポストシーズン進出の年中行事すらも消滅してしまったのである。

 そして2009年。

 新ヤンキースタジアム元年である。

 より左打者に有利な球場設計として悪評も絶えないが、新スタジアム元年を祝うべく、代変わりしたスタインブレナー一族の絶対命題として、2000年以来のワールドチャンピオンの奪取が例年になく声高に叫ばれ、3年契約ながら、2年目のジラルディ監督のラストチャンスの年とも言われた。

 CC・サバシア、A.J.バーネット、マーク・タシエラという大型補強に成功した結果、新スタジアム元年のこの年、ヤンキースは103勝を挙げ、強豪ぞろいのアメリカンリーグ東地区をぶっちぎりで1位通過し、定番行事的なプレーオフ進出を難なく果たした。

 そして、選ばれし8チームに所属する全てのメジャーリーガーにとって、最もタフな精神力が問われる「苛酷な10月」の幕が切って落とされたのである。

 これまでメンタル面の弱さ(?)から、プレーオフに結果を残せなかったA・ロッド(アレックス・ロドリゲス)の大変貌や、中3日で登板したCC・サバシア等の大車輪の活躍が原動力となって、新スタジアム元年のヤンキースは、少なくとも、近年のこのチームで露呈されていた、競り合いの弱さとは打って変わった勝負強さを遺憾無く発揮して、「今年のヤンキースは違うぞ」という印象を与えたのである。

 「苛酷な10月」のファーストステージであるディビジョンシリーズ(地区シリーズ)を3連勝で勝ち抜いたヤンキースは、セカンドステージであるリーグチャンピオンシップシリーズを激戦の末、ロサンゼルス・エンジェルズを4勝2敗で下し、遂にワールドシリーズという名の頂上決戦のステージまで上り詰めていった。

(心の風景 /得意淡然、失意泰然 ―― 2009 松井秀喜の最高到達点 )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2009/11/blog-post.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)