アスガー・ファルハディ監督の前作である「彼女が消えた浜辺」(2009年製作)を初めて観たときの興奮と感動は、今でも脳裏に鮮烈に焼き付いて離れない。
それは、当局との検閲との関係で、愛らしい子供を主人公にした癒し系の映画の風景とは全く違う、イラン映画であったということ。
そんなときに観た「彼女が消えた浜辺」の凄みは、大人の俳優が素晴らしい表現力を具現化し、「非日常」の厄介な事態に遭遇したときの人間の心の振幅を精緻に描き切って、震えが走る程だった。
「別離」もまた、似たようなテーマの延長線上にあるが、群像劇であった前作と違って、二つの家族に特定された登場人物が紡ぎ出す、その圧倒的な表現力に完全に脱帽の状態だった。
これほどの映画監督がイランに在住していて、且つ、人間の根源的な問題を決して声高に叫ぶことなく、一貫して静謐な画像の提示のうちに表現された小宇宙を目の当りにして、私は今、世界で最も高い水準の映画を作り続けているマイク・リー監督やミヒャエル・ハネケ監督などが、既に老境に入っていることを思えば、韓国のポン・ジュノ監督と共に、21世紀の映画界に重要な足跡を残す作品を作り続けるであろうことを確信して止まないのである。
「別離」 ―― この映画と出会えた僥倖に感謝する思いで一杯である。
【特選名画寸評(追加編)】よりhttp://zilgh.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html