1 語るべき価値を持つ男が語った言葉の重量感
この国で語られる言葉がいよいよ価値を持たなくなった時代の中で、そこに作られた重い空気を、殊更(ことさら)排除する下手な技巧を一切駆使することなく、男はゆっくりと、それまでもそうであったように、考え抜かれた本質的な言葉だけを紡ぎ出す。
男の名は松井秀喜。
この国で、語る価値のある言葉を持つ稀有な有名人の一人である。
場所は、ニューヨーク・マンハッタンのホテル。
2012年12月28日のことだった。
そこで紡ぎ出された言葉の全てを、後日、繰り返し読み直した私は、改めて松井秀喜という男の本質に触れる思いだった。
語るべき価値を持つ男が語った言葉には、真剣に耳をそばだてて聴く者の情動を揺るがしていく。
いつもそうだった。
この男は、最も肝心なところで、決定的にブレないのだ。
そこに、多少リップサービスが含まれていたとしても、それもまた、男の人格から発せられる、偽りのない心情が必ず顔を覗かせている。
これほど自分に誠実で、且つ、厳しく凝視する男を、私は知らない。
一貫して、特定の有名人の「ファン」になった記憶がない私にとって、松井秀喜だけは例外だった。
巨人時代から充分に感じ取っていた「特別な何か」が、海を渡ってフル稼働したのだ。
海を渡ってもなお、びんびんと響いてくる、フル稼働した「特別な何か」に触れて、私は、この男の一挙手一投足に釘づけになった。
フル稼働したのは、迷いに迷った末、海を渡ることを決断した男の、その括り切った覚悟の全人格的な身体表現である。
「チームが勝つためだけにプレーする」
「チームの勝利に自分が如何に貢献するか、それしか考えたことがない」
それが全てだった。
巨人時代より一貫して変わらないその姿勢が、自分よりも遥かにパワーと技巧に優れたプロ集団の中で、自分の役割を弁(わきま)えた「仕事」に専心する。
ランナーがいないときは、ひたすら出塁することを考え、得点圏にランナーがいるときは、進塁打、または、そのランナーをホームに生還させる軽打に徹する。
世界一の球団のクリ―アップを任された男に与えられた使命は、ただ、それだけを考えて、この国では平均的なサイズに過ぎない、壮健な体躯を駆動させていく。
ホームランは、タイムリーの延長上でしかなかった。
「本塁打は魅力の一つ。でも、常に意識したのはチームが勝つこと。そのために努力することしか考えてなかった。たまたま、こういう結果が出ただけです」
「松井秀喜緊急記者会見」での言葉である。
明らかに、日本時代と風景が異なる、松井秀喜の「最適適応」の様子を目の当りにした私は、まさにこの「異界の風景」こそが、男が唯一目指す、「ワールドチャンピオンへの道」という栄誉を掴み取るためだけに駆動させている、決して折れようがないモチベーションが隠し込んだ、「落ち着き払った情動炸裂」の輪郭の一端であることを再認識させられたのである。
松井秀喜は、日本を去るとき、「命を賭けてきます」と言い切った。
当時、この言葉を、メディアやファンに向けたリップサービスの臭気を放つ、フラットな「意思表明」であると誰もが考えていたに違いない。
何しろ、この男は、苦渋な表情を浮かべ、「何を言っても裏切り者と言われるかも知れない」とまで吐露して、既に、権利として認知されているFA権の行使にすら、特段の「後ろめたさ」を感じてしまうような律儀なプロ野球選手なのだ。
ともあれ、「命を賭けてきます」と言い切った男の真情の意味について、私の場合は些か違っていたが、それでも、その言葉に込められた重量感にまで届き得ていなかったと思う。
しかし、この言葉こそ、「海を渡って、一年生としてやり直す」という言葉と対を成す、由々しき言辞であったことを知るには、彼がメジャー生活に馴致した男の、考え抜かれた本質的な言葉を聞く機会を多く持つようになってからだった。