ジム・ジャームッシュ監督の世界

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ジム・ジャームッシュの奇跡的傑作である「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の評論を擱筆(かくひつ)した後、暫くして、私は偶然にも一冊の著書と出会う機会に恵まれた。
 
その本の名は、「JIM JARMUSCH INTERVIEWS 映画監督ジム・ジャームッシュの歴史」(ルドヴィグ・ヘルツベリ編 三浦哲哉訳 東邦出版刊)。
 
邦訳出版されたのは、2006年5月。
 
拙稿と照合することによって、そこに生じた誤差を確認したいという思いもあって、私は当著を読み進めて行った。
 
内容は、タイトルにあるようにインタビュー構成になっていて、却って、ジム・ジャームッシュという映像作家の素顔が、その肉声の内に感じ取れる新鮮さを与えてくれるものだった。
 
決して饒舌ではなく、それでいながら、本質的な反応を刻む彼の裸形の表現は、十分に刺激的だったのである。
 
その幾つかの彼の肉声を、本作との関連の中で、ここに拾ってみよう。
 
「―『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を作るにあって、どんなものから影響を受けていたのか教えてもらえますか。
 
影響はたくさんある。
 
何であれ、自分を感動させてくれるものにはなにかしら影響を受けるわけだし。
 
ヨーロッパ映画、日本映画、それからアメリカ映画。
 
この映画の登場人物たちは、すごくアメリカ的だと思う。
 
作品自体もすごくアメリカ的なところがあるけど、形式について言えば従来のアメリカ映画とははっきり違うし、トラディショナルではないね。
 
シナリオの書き方のせいだと思う。
 
僕はさかさまに書くんだ。
 
つまり、語るべきストーリーがまずあってその上で肉付けしていくというのではなくて、まず最初にディティールを集めて、その後、パズルみたいにストーリーを組み立てていく。
 
主題、ある種のムード、それからキャラクターはあっても、直線的に進むプロットはない。
 
それもあって、今みたいな物語形式になったんだ。
 
(略)プロットありきという考え方にはぞっとするんだよ。
 
プロセスにこそ、何かがあると考えていたほうがエキサイティングだ。
 
僕の方からストーリーを定式化するというより、ストーリー自身が自分のことを僕に話し始めてくれるんだ」
 
更に、こんな肉声も刻んでいる。
 
「―・・・二人は600ドルを持ってクリーブランドを発ち、そのうち使うのは・・・
 
50ドル。
 
金の役割というのが、この作品のサブ・テーマだった。
 
ここでの金は、窃盗、詐欺、犯罪によって、あるいは棚ぼた式に手に入れるものであって、日々きちんと生活して、人生設計を組み立てて稼ぐようなものではない。
 
必要があれば、手に入れるものとでも言うかな。
 
このテーマは多分、今後も変わらないと思う。
 
立身出世に取り憑かれたキャラクターになんて興味が湧かない。アメリカン・ドリームなんて単純に言って、くだらないね」
 
彼の肉声は続く。
 
核心的部分に触れていく。
 
「―富めるアメリカ像などよりも、あなたが提示したアメリカ像のほうが誠実だと思われますか?
 
ああ、こっちのほうが誠実だと思う。
 
でも、映画の中ではすごく抽象的になってしまう。
 
限られたものしか見せないわけだからね。
 
ただ、それでもこっちが誠実だと言えるのは、このアメリカが現に存在するアメリカであって、派手なテレビ的イメージよりも多くの人間にとってずっとリアルだからだ。
 
でも、見せるものと見せないものを取捨選択している以上、映画の中で何をしようとも、観客にとって何がリアルでなにがリアルじゃないかまで操作していることにはなる。
 
それが映画というものだし、つまり、裏表があるってことだ・・・」。
 
またインタビューでは、「アメリカという場所について」の印象を求められ、彼はこう答えている。
 
アメリカを国として愛しているし、アメリカの風景も大好きだ。
 
それに旅先で出会ったりする人間たちも、たいがいは素晴らしい連中だ。
 
でも、政府と、それから最近の大衆の態度にはぞっとする。
 
僕はアメリカのいろいろな側面を愛しているけど、同時に、僕の同世代が普通に持っている経済感覚、政治的方針からすれば僕は自分をストレンジャーだと思わざるを得ない―なんとも気詰まりなことさ。
 
(略)ニューヨークに関してはアメリカだという気がしてないね。自由地区とでもいうか、アメリカとは無関係なところがある」