天城越え('83)   「無常と祈り」の映像風景が揺蕩っている

1  「あたしはハナ」「ハナ?」「そう。咲いた咲いたのハナ。簡単な名前だわ」

 

 

 

現代。

 

静岡県警察本部刑事部嘱託の田島松之丞(以下、田島)が、刑事捜査資料の印刷の依頼で、県内にある港印刷所を訪ね、事務員に名詞と原本を置いて行った。

 

病院でレントゲンを撮って会社に戻った港印刷社長の小野寺建造は、その資料を渡されて中をめくると、「天城山の土光殺し事件」に関する記述に目が留まった。

 

それを見て驚きを隠せない小野寺。

 

以下、小野寺の回想。

 

「私も川端康成の小説『伊豆の踊子』みたいに、天城を越えたことがある。あれと違うのは、私が高等学校の学生ではなく、14歳の鍛冶屋の倅で、尋常高等小学校高等科の一年生で、朴歯(ほおば)の高下駄ではなく、ゴム裏草履で、小説とは逆に下田から上って峠にかかったことである。そして、家には黙って出て来たことである」(小野寺のモノローグ)

 

修善寺で印刷屋の奉公をしている兄を頼り、下田の鍛冶屋を家出した建造は、呉服の行商人と語らいながら旅をする。

 

途中、行商人と別れ、急に心細くなった建造。

 

「私は後悔し始めていた。知らぬ他国の知らない人間ばかりの中に、一人突入していくことが、空恐ろしくなりかけていた。今から引き返し、夜通し歩けば、朝には下田に帰れる。そう思い始めていた」

 

結局、下田の家に戻った建造だったが、母と叔父の情交を見て衝撃を受け、港に行って佇んでいた。

 

建造に目撃されたことが分かった母は、建造の元に走り寄り、肩を抱いて泣き咽ぶ。

 

建造もまた涙を一筋流すのだった。

 

昭和15年6月29日午前10時、県警本部に上狩野村湯ヶ島巡査駐在所より殺人事件の一報が入り、田島は主任の山田警部補と共に、現場の天城トンネル付近の捜索に向かった。

 

河原に散乱する衣類や所持品の遺留品のみで死体は発見できなかったが、少し先の製氷所の氷倉(こおりぐら)でオガ屑の上に裸足の九文半の足跡が見つかり、男性ではなく、女性のものと判断された。

 

大雨の中、懸命に川底で死体の捜索をするが見つからず、田島らは身元の分からない被害者の遺留品の法被(はっぴ)を持って、土工風の男の聞き込みをして回る。

 

煙草屋で、事件のあった28日の5時頃に、一言も発しない気持ちの悪い40歳くらいの大男がタバコを買って、天城峠の方へ向かい、その後一時間くらいして、垢抜けした玄人風の裸足の女も峠を上って行ったとの証言を得た。

 

その男が所持していた傘に記された土屋良作(りょうさく)の名の主を訪ねると、良作らは草むらに寝転がっていた土工に酔っぱらって小便をかけてしまったことを詫び、宿屋へ連れて行ったと言う。

 

田島は良作とその宿屋の主人から話を聞くことになった。

 

「良作さんたちで宿賃出し合って」と宿屋の主人。

「ここんとこ、しょっちゅう雨だしね。あんな体で病気があるみたゃで。朝発つとにゃぁ、まあ念のためだ、声をかけておくれと、俺んちも教えて」と良作。

「そんで傘盗まれて」と良作の妻。

 

田島は宿帳を見せてもらうが、「いくら聞いても、在所も名前も本籍もなんも」分からないので、仕方なく書いたという土工の腕の入れ墨の桃の絵が宿帳に記載されていた。

 

久しく布団に寝たのがないのか、こんこんと眠り、朝も昼も起きず3時ごろ宿を発つとき、宿屋の主人は餞別として、「この人をよろしく」と一円札の裏に赤鉛筆で書いて渡したと話す。

 

「情けは人のためならず。この男がもしもどこかで行き倒れても、懐に一文もなしじゃ、弔ってももらえにゃぁだ」

 

程なくして、建造の家に田島が聴き取りにやって来た。

 

「女の人と一緒だったね」

「はい」

「誰?その人」

「知りません」

「君、トボケちゃいかんよ」

 

ここで、建造はハナと会った時の様子を田島に話す。

 

「あたしはハナ」

「ハナ?」

「そう。咲いた咲いたのハナ。簡単な名前だわ」

 

ハナとは色々話したが、用があると言うので別れたと話す。

 

田島に大きな土工風の男を見たかと聞かれ、見たと答える建造。

 

「トンネルの中で後ろを見たら…」

 

「出来事の知らせを受けてから、実に12日目の7月10日に死体が発見された。それは山葵沢(わさびざわ)から更に1里ばかり下流の滑沢(なめさわ)の橋杭(はしくい)にかかって発見された。死体は腐乱甚だしく、ひと目では見分けのつかぬ状態だったが、腕の刺青で問題の土工風の男と断定できた。解剖の結果、他殺と断定。犯人は鍛冶屋の倅が見た女を最も有力な容疑者と見、捜査はその女に絞られた」(田島のモノローグ)

 

出征兵士が見送られる下田の港に、ハナを乗せた船が着き、建造は、田島にハナが連行されるのを目撃する。

 

「見せもんじゃないよ!」と野次馬に凄むハナ。

 

署に着き、田島から名前を訊かれると、「大塚ハナ」と答えるが、現住所は言えなかった。

 

「ねぇ、もういい加減にしてくれない?こんなとこに長居ごめんだよぉ。あたしさ、そんな土工なんて殺してないだってば」

「ふざけんな!」

「こっちの言うことだ!」

「証拠がある!」

「どんな証拠だ。見せとくれよ」

 

田島はハナの頬を思い切り平手打ちする。

 

建造が連れて来られ、対面すると満面の笑みを浮かべるハナ。

 

「兄(あに)さん」

 

田島は建造に質問する。

 

「君は、トンネルのところで別れた時、この人は大男の土工と話をしてた。間違いないね?」

「はい」

 

それだけ聞かれると、部屋を出される建造に、ハナはもっと話をさせてと懇願する。

 

「兄さん、助けてよ!」

 

田島はハナを叩(はた)き、更に、憚(はばか)りに行こうとするハナを抑えつけ、自白を強要する。

 

「事件の時、天城峠には、被害者の土工のほか、お前と今の少年しかいなかった!」

「だったら、やったのあの子だっ…」

 

黙秘するハナは、夜になり口を開く。

 

「お願い、憚りに行かせて」

「しゃべる気になったか」

「証拠があるなら、並べて見せてよ。そんなもん、あるはず…」

「まず第一の証拠。氷倉の足跡だ…」

「知るもんか、そんなとこ、あたしが」

「君、足は何文かね?」と山田。

「九文半」

 

氷倉(こおりぐら)など知らないと言うハナに、当日、雨宿りで中に入ったが、冷えて寝られないので、湯ケ野の旅館へ泊ったと、田島は自身の推理を押し付ける。

 

「お前は、6月28日午後1時ごろ、住み込み先の修善寺の料理店西原方から、着の身着のままの無一文で足抜け逃走した。いい加減に、吐いたらどうだ!」と山田。

 

虎の子の一円で泊ったとハナが話すと、田島が「この人よろしく」と書かれた一円札を見せる。

 

「どうしてお前が土工の一円札を持ってた!」

 

ハナは憚りに我慢できずに立ち上がって向かうが、取り押さえられ、田島に殴り飛ばされた。

 

「人でなし…」

 

ハナは田島らを悔しそうに睨みつけ、涙を流し、失禁してしまうのだ。

 

その様子を見て、呆然とする刑事たち。

 

一方、建造は母が叔父の下宿先へ行っている間に、匕首(あいくち)を鍛冶場で燃やして叩き潰していた。

 

大塚ハナが土工殺しの犯行を自白したと新聞で大きく報道されるに至る。

 

それを目にした建造は雨の中を走り抜けていくのだ。

 

そこに、ハナのモノローグがオーバーラップしていく。

 

「わたくし、大塚ハナは天城峠付近で被害者と出会い、金を得る目的で自分の方から持ち掛け、交合しましたが、約束通り金を払わないので、カッとなり、兼ねて懐に所持していた匕首を出して斬りつけ、下の谷に転がり落としたところ、本人は絶命していました。そこで、金はないかと思って滅茶滅茶に衣類を脱がしたところ、一円札が一枚出てきたので、それを奪い、死体と凶器の匕首を捨て、逃走しました。胴巻きの中にあった財布は…」(ハナのモノローグ)

 

新聞記者たちが群がる中、田島に押送(おうそう)されるハナは、編み笠を振り払い顔を出す。

 

野次馬の中で佇む建造と目が合ったハナが立ち止まって見つめ返すと、建造は立ち所に泣き顔となる。

 

ハナはうっすらと笑みを浮かべ、顔を横に小さく振り、「さようなら」と呟いて、車に押し込められ去って行った。

 

人生論的映画評論・続: 天城越え('83)   「無常と祈り」の映像風景が揺蕩っている  三村晴彦