生きものの記録('55)   「神武景気」の只中で堂々と世に放たれたエンタメ排除の反核映画

1  「死ぬのはやむを得ん。だが、殺されるのは嫌だ!」

 

 

 

家庭裁判所の調停委員をしている歯科医の原田が家裁に着くと、家族によって裁判所に申し立てられた中島喜一(以下、喜一)が、荒木判事に向かって怒りをぶつけていた。

 

「この連中が一人前の人間に見えますか?親の財産ばかり気がかりで、ウロウロしていこいつらが!」

「あたしにだって、お父さんのおっしゃること、良く分かりますよ」と長女のよしこ。

「お父さんの抱いている不安は、日本人誰もが思ってる不安ですよ」と長女の夫・隆雄。

 

次男の二郎が、「そうですよ。ただ、お父さん、少し…ね、兄さん」と長男の一郎に同意を求めると、黙って頷く。

 

「はっきり言え!」と興奮して机を叩く喜一に、何す術もなく泣き出す妻のよし。

 

収拾がつかなくなったところで、弁護士の堀が家族をなだめ、「我々第三者を入れて、お互いの言い分をとっくり言い合うことにしてみたら」と提言する。

 

準備のために喜一ら家族が廊下に出されると、荒木判事が調停委員の二人に「申立の主旨」を読み上げる。

 

「右、中島喜一を準禁治産とする旨の宣告を求め、事件の実情、申立人は事件本人、中島喜一の妻であるが、右、喜一は、昨年6月ごろより、突如として原子爆弾水素爆弾、および、同放射能に対する極端なる被害妄想に陥り、同年9月、南方方面より来る放射能を避けると称し、近親者全員の反対にも関わらず、秋田県仙北郡大麻村(大麻村は架空・筆者注)に480坪の土地を購入し、奇妙な地下家屋の建築を始めたが、同年11月、北方方面からの放射能が同地に及ぶとの新聞記事の発表により、ようやく右工事を中止した。しかし、その結果、中島家の財政は、740万円の無意味な損失を被った。ところが、事件本人の奇矯なる行動はそれのみに止まらず、その後は、もはや地球上で安全に暮らせる土地は南アメリカだけしかないと称し、近親者全員のブラジル行きを全く独断的に計画。これが実行のため、全財産を投入するも止む無しと宣言するに至った。よって、この際、準禁治産者として補佐人をつけなければ、事件本人、並びに近親者全員の生活が根柢から破壊される恐れがあるので、準禁治産の宣告を求めるため、この申し立てをする次第である」

 

準禁治産者とは、現在、精神障害の故に財産管理を親族の補助人に委ねられた者】

 

廊下では部屋に入れなかった喜一の妾の家族が、喜一が準禁治産となると、金が自由にならないことの不安を話し合っている。

 

申立人が部屋に入るよう呼ばれると、申立てに消極的だった妻のとよが泣いて拒むと、喜一は「さっさとせんか。時間が無駄じゃ」と声を荒げる。

 

とよに続き、一郎、二郎、よしこが部屋に入り、隆雄は申立人ではないとして入れなかった。

 

その後、喜一が経営する鋳物工場内の喜一の家に、裁判を終えた兄妹たちが集まっている。

 

「大人が4人も揃ってさ、一日がかりで裁判所で何してきたの?『双方とももう少し頭を冷やして出直せ』。要するにそれだけでしょ?」と次女のすえ。

 

そこに車で乗り付けた、ブラジルで移民として成功したという老人を喜一が迎え入れると、家族と共に喜一が移住先として購入を予定している現地の農場の8ミリ映像を見せられる。

 

喜一は朝早く、2番目の妾の子・良一のアパートを訪ね毎月の生活費を渡し、ブラジル行きを誘うが、良一は婉曲に断る。

 

「僕はならいいんですよ。僕は結局、余計者なんだから。この上ブラジルまでついて行って、お父さんの重荷になりたくないですよ。僕はもう、ちょっとまとまったものさえ頂ければ、こっちへ残ってもいいんです…」

 

しかし、喜一は聞く耳を持たず、「任しとけ」と言い放って帰り、次に3人目の妾・里子と娘の妙子(たえこ)の家を訪れる。

 

喜一は同じくブラジル行を誘うが、そこまでしてくれなくてもいいと遠慮を口にし、特に妙子は全く行く気がなどなかった。

 

更に4番目の妾の朝子の家を訪ねるが、朝子の父は呆れ、朝子も遠慮するが、喜一は「黙って、わしについて来さえすればいいんじゃ。何にも心配いらん。わしが引き受けてるんじゃから」と、皆が気兼ねして行くと言えないと思い込んでいる。

 

朝子は笑って、父親が気兼ねするのは行きたくないからだと話し、朝子も喜一に聞かれて口ごもる。

 

その時だった。

 

突然、嵐がやって来て、雷が鳴ると、喜一は部屋に逃げ込み、幼子を抱えるようにして怯える。

 

驚いて泣く赤ん坊を抱き上げ、複雑な表情で喜一を見つめる朝子。

 

大雨が降り出し、荒木判事から原田の家に2回目の裁判の繰り上げ召集の電話が入った。

 

「事件本人が裁判所の忠告を無視して、例の計画をどんどん推し進めているらしいんです。これ以上もう放って置くわけには行かんと言われるんで…」

 

2回目の裁判での話し合いで、ブラジル行きがまた無意味な出費に終わると家族が主張するのに対し、喜一は向こうの農場の持ち主で日本に帰りたがっている人と、財産の物々交換をすれば問題ないと反論する。

 

ここで原田は、自分の意見を開陳(かいちん)していく。

 

「どうでしょう。お父さんがこれほど配慮なさってるんですし、ひとつお父さんの言われるとおりにすることは考えられませんか?私はね、こうして色々伺っているうちに、向こうへ行くのも悪くないじゃないかって気がしてきたんですがね。現在、ブラジル行の希望者はずいぶん多くて、船が足りないくらいだと聞いてるんですが…」

「お言葉を返すようですが…我々の生活事情を無視したご忠告のように思われますが…我々の身にもなってください。我々は、今のままで結構幸せにやってるんですよ。それを何を好んで…」と二郎。

「私たちは生まれたのも、工場の中ですし、その育ったのも…」と一郎。

「我々にはあの工場を離れた生活なんて考えられない」と二郎。

「何をぬかす。あれを、あの工場を一生かけて築き上げたのは、このわしだ。あの工場と別れるのは、わしが一番辛い」と喜一。

 

ここで一同は、下を向いてしまう。

 

父・喜一の唯一の切り札が感情含みで提示されたからである。

 

「分かります。分かりますよ。お父さんは、その苦痛を忍んでまで、僕たちのためにブラジル行きを計画した。その気持ちはありがたいですよ。でもね、これこそ本当の有難迷惑ってやつでね」と二郎。

「家だって、仏文の教師で、それがブラジルで何を…」とよしこ。

「鋳物屋がいきなり然百姓やったって…」と一郎。

「バカ!命あっての物種だということが、分かんないのか、お前たちは!」

「命、命と言いますがね、人間誰だって、多かれ少なかれ、死ぬんじゃありませんか。そう考えれば、水爆も、放射能も…」と二郎。

「そうよ、そう考えれば…」とよしこ。

「死ぬのはやむを得ん。だが、殺されるのは嫌だ!」

 

一斉に喜一の顔を見る裁判官たちは、沈黙したまま視線を下に落とした。

 

「じゃ、お父さん、ちょっとお伺いしますがね。ブラジルへ行くのは僕たちだけなんですか?それとも…」

 

禁じ手を出されて狼狽するとよが、二郎の発言を止める。

 

「この際、何もかもはっきりして置くべきですよ…」と二郎が、前回の審判の際に廊下でもめていた妾家族の存在を話し始める。

 

それに対し、喜一は自分は面倒を見ている「妾が二人、その子供が二人と、もう一人、死んだ妾の子」の5人も、ブラジルへ連れて行くと主張するのだ。

 

「これなんですからね…お分かりでしょ。父のやることがどんなに非常識で我儘だか。父のやることは結局自分本位の我儘なんですよ。僕らもう、そんな我儘の犠牲になるのは嫌です。お父さん、ブラジルへ行くなら、どうかお一人で行ってください。いえ、妾でもその子供でも、何でも連れて行ったらいいでしょ。僕らはご免ですわ」

 

それを聞いた喜一は、立ち上がって二郎を叩き続けてしまう。

 

まもなく、喜一らを廊下で待たせ、頭を抱え込んだ裁判官らが重い口を開き、審議を開始する。

 

「結局これは、準禁治産の申立てを認めるしかないじゃないですかな?」と堀弁護士。

 

「原田さんの考えは?」と荒木判事が聞くと、原田は答えず下を向く。

 

「じゃ、一つそういうことで」と荒木が書記の田宮に手続きを促す。

 

「ちょっと待ってください。ただ、私は、準禁治産該当の浪費者というのは、酒食、もしくは賭博などに耽って無意味に金を使う者のことで、原水爆に対する予防措置を、その…」と原田。

「一般論としては勿論そうですが、この場合、あの老人の言動が、どうも常識の埒を越えとるんでね」と堀。

「精神鑑定の結果は別に異常はないんですが、まったく桁外れですな」と荒木。

「そこなんですよ。その桁外れな問題なんですよ。しかし、原水爆に対する不安は、我々だって持ってる。荒木さんだって、堀さんだって、田宮君だって持ってるはず。そうでしょ?しかし、我々はあの老人ほどじゃないだけで。従って、地下家屋も作らんし、無論、ブラジルなぞ行こうとは思わん。だが、だがです。この気持ちは全然分からんというもんではありますまい。これは日本人全部に、強弱の差こそあれ、必ずある気持ちです。これをただ桁外れと言うことだけで、簡単に処置してしまっては。そのことは…」

「私はこれを、現実問題として扱おうと思うんです。老人のそういう気持ちが、その一方にどうしてもブラジルに行きたくないと言う家族の気持ちがあるわけですね。これを強いることは、勿論これは人権問題である。ところで事態をこのままにして置くとしますか?あの老人は家屋工場の売却を強行するに決まってます。すると当然、家族は生活の手段を失って路頭に迷うことになる」と堀。

「それは調査官の報告から考えて、はっきり言えますね」と荒木。

「ですから、それを防ぐためには、当面やはり、準禁治産の処置が…」と堀。

「そりゃそうです。しかしですよ。そんならなぜ、これほど簡単明瞭に答えが出ることに、我々がこれほど考え込んだのか。とにかく、現に、あの老人の姿は我々の胸に堪える。これは、我々にも家族の連中にも分からない、あの老人だけが感じてるその原水爆に対する不安の実感から来てると思うんですが、一体それは、その不安の実感は、どうして、どんな動機から生まれたのか、私はその辺のところを、もう一度とっくり…」

 

そこで、喜一を呼び、話を聞くことになった。

 

「不安?いやぁ、そんなものは感じておりません」

「ではなぜ、慌ててブラジルなぞへ」

「わしは、原水爆だって避ければ避けられる。あんなものにむざむざ殺されてたまるかと思うとるからこそ、このように慌てとるんです。ところが、臆病者は震え上がって、ただただ目を瞑っている。倅どもがいい例です」

 

喜一が席を外し、3人はますます困惑する。

 

「臆病者ですか。残念ながら、我々もその仲間ですな」と苦笑いする堀は、続けて原田を説得にかかる。

 

「あの老人は、とにかく何と言っても無謀ですよ。一個人の力じゃ、どうにもならない大きな問題と取っ組んでるんですからね。このままで行けば、結局、二進も三進(にっちもさっち)も行かなくなることは目に見えてます。だから、今のうちにあの老人を、法律の手で束縛してやる方が、あの老人にとっても一番親切な道だっていうことになりゃしませんか?」

 

この結論を持って、家族全員が部屋に呼ばれた。

 

原田は診療所で、『死の灰』という本を読み、それを進に勧める。

 

「日本も鳥や獣がそれを読んだら、みんな日本から逃げ出すね」

 

喜一に準禁治産の決定が言い渡されたが、すぐに控訴して高等裁判所で争うことにし、ブラジルへの移住の準備はそのまま続けていた。

 

例のブラジルから来た老人との財産の交換で、新たに日本での土地の購入が必要になり、妾宅へ渡した金を一時的に充てようとするが断られ、それでも何とか掻き集めた金を老人に渡すと、今日のところ持って帰り、息子たちに返し、家族と再度話し合うことを促す。

 

「実は、わしもの、親父がブラジル移住する言い出した時きゃ、それこそ死に物狂いで反対したもんよの。ハハハ。そしたら火事におうての…それでやっと、踏ん切りがついたようなもんじゃがの…あんたの息子さんたちの気持ちも無理ないんじゃけん」

 

喜一は老人に言われた通り、家族を集め、長男に金を返そうとすると、二郎が受け取りを反対する。

 

「待ってください、兄さん。それね、お父さんに自由に使っていただこうじゃないですか…これでお父さんの準禁治産も決まったようなものですよ…意義を申し立てておいて、その間に勝手なことされちゃ困ると思ったから、家の財産は裁判所から処分禁止の命令を貰ってるんですよ。つまり、裁判が決定するまで、裁判所の許可なしに、家の財産に手を付けることは誰にもできないんですよ。それなのにお父さんは…これは明らかに違法行為ですよ」

 

断固金を受け取ろうとしない二郎に、すえが雑誌を投げつけると、二郎も投げ返し、怒った喜一は二郎を叩き続ける。

 

帰国するブラジルの老人が搭乗する飛行機を見送る喜一。

 

結局、喜一は準禁治産の宣告を受けることになった。

 

人生論的映画評論・続: 生きものの記録('55)   「神武景気」の只中で堂々と世に放たれたエンタメ排除の反核映画  黒澤明