1 「宮沢賢治はその程度の文士なのか?その程度で諦めんのか?トシがいねえのなら、私が全部、聞いてやる!私が宮沢賢治の一番の読者になるじゃ!」
明治29年9月
岩手県花巻で質屋を営む宮沢政次郎(まさじろう)は、妻・イチが長男を出産したという電報を受け、汽車に乗り急いで自宅へ戻って来た。
店に着くや、一目散に赤ん坊の元へ走る政次郎。
政次郎の父・喜助(きすけ)が命名した赤ん坊の名は「賢治」。
6歳になった賢治は赤痢に罹り、入院することになった。
荷造りするイチから行李(こうり)を取り上げ、喜助の制止を振り切り、自分が看病すると言って、病院へ走って向かう。
「賢治が死んだら、私も死ぬ」
泊って看護する政次郎は、自分が腸カタルになって入院することになってしまった。
ベッドに横になる政次郎を見舞う喜助に、自分の教育方針を話す。
「賢治を盛岡の中学さ、行かせてやろうと思います」
「質屋に学問など必要ねえ…」
「私は、お父さんとは違う。新しい文明開化の時代の明治の父親なのす」
「おめえはなあ…父でありすぎる」
大正3年3月
中学を卒業した賢治が実家に戻り、卒業証書と成績表を政次郎に渡した。
「88人中60番?…まんつ、世の中の広さというものが分かったべ?」
「はい。おかげさまで、広ぐ世の中のことを学ばせていただきました」
政次郎はひとまず、賢治の中学卒業を労い、祝福する。
「んだば、明日から家業の修行さ励め」
「嫌です…質屋は嫌です。お父さん。俺は、エマーソンやベルクソン、ツルゲーネフやトルストイの本を読んで勉強しました。質屋は農民から搾取することで成り立ってる。つまり、お父さんは弱い者いじめをしているんじゃねえのすか?」
「それは違う。金のねえ農民に銀行は金を貸さねえ。もし、うぢのような質屋がながったら、娘っこ売ったり、首をくくるもんがいっぺえ出てくる。断じて、弱い者いじめなんかではねえ。質屋は農民を助けてるんだじゃ…とにかく、明日から店さ出ろ」
翌日、賢治が店番をしていると、ずぶ濡れの男が鎌の質入れに訪れた。
妻がカリエスに罹り、乳飲み子がいると聞いた賢治は、本来1円のところ5円渡してしまうのだった。
それを後ろで聞いていた政次郎は呆れて、それを窘(たしな)める。
「あいづには、子供なんぞ、おらん。お前が渡したあの金は、酒と博打に消えるだけだ…おめえは、世間というものが何にも分かってねえ」
程なくして、北上川沿いの土手で寝そべっている賢治の元に、妹のトシが自転車でやって来た。
トシは持ってきたアンデルセンの本を読み、賢治は「すげえなあ」と感嘆する。
「お兄ちゃんも、書げるんでねえの?…“日本のアンデルセンになる”って言ってたべ」
「バカっこ。子供の頃の話だ」
「…約束したでねえか。大きくなったら、もっともっと、いっぺえ、お話作ってくれるって…私、ずーっと楽しみにしてたんだよ。なして書かないのよ?」
「申し訳ねえ。だども、物書きは俺の才ではねえ」
賢治は質屋も才ではないと言い、その晩、政次郎に進学したいと、頭を下げて懇願する。
「俺はもっといろいろなこどを勉強して、人の役に立つ人間になりてえのす」
しかし、政次郎は「頭、冷やせ」と聞く耳を持たない。
「賢治、おめえは質屋になるごとがら逃げてるだけだ」
その話を聞いたトシは、兄の進学について政次郎を説得する。
「お父さんは、これがらの時代を見据えた新しい父親です」と切り出したトシは、人差し指を立て続けた。
「この先、必要なものは何か、ちゃんと分がっていらっしゃる…お兄ちゃんの進学は、いずれ必ずや、宮沢家のためになるのす」
プライドを刺激され、自分が「新しい父親」だと自負する政次郎は、あっさり賢治の進学を認め、「いったん自由に勉学に励んだ後、卒業したら店を継ぐ」という条件で許可することになった。
賢治が望んでいた進学先は、父の意に反し、農民のための盛岡高等農林学校だった。
「俺は農民を助け、農民と共に生ぎていぎだいのす…お父さん、言ったでねえすか。“質屋は農民を助けてる”と。俺も同じことを、自分のやり方で、やってみてえのす」
政次郎を黙らせてしまった。
夏休みに戻って来た賢治は、農民と共に生きるのは簡単ではないと分かり、今度は人造宝石を作る商売をやりたいと言い出すのだ。
資本金が2,300円必要だと、頭を下げる賢治。
寝室でイチが、政次郎に訊ねる。
「賢さんの資金、出すのすか?」
「出せるわけねがべ…あいづは、夢みてえなことばっか言って」
「…あの子は、本当は、旦那様に褒められたいだけなのではねえのすか」
トシが雪の積もる実家に、東京の女学校から帰って来た。
認知症を悪化させている喜助が「はだぐぞ!」と暴れ、イチらが手をこまねいていると、トシが突然祖父の頬を叩き、「きれいに、死ね!」と言い放って抱き締めた。
「大丈夫ですよ、おじいさん。怖くないのす。死なないでいられる人などおりません。若(わげ)い人も、年老いだ人も、子供でも。だから、おじいさん、どうか心穏やかに…」
「家に帰るんじゃ…長男が…生まれたんじゃ」と立ち上がる喜助を背後から政次郎が「お父さん!」と呼びかけ、振り向いた喜助は目を細め、政次郎を抱き絞めた。
咽び泣く政次郎。
彼岸花の咲く頃、喜助は亡くなった。
白装束の長い葬列が続く。
夏休みに実家にいる賢治は、食事もせず部屋に引き籠り、「“南無妙法蓮華経”」を唱え続け、悶々としてる。
心配する政次郎に、学校を辞めたいと言い出し、政次郎を呆れさせるのだ。
「自分は何者なのが、問い続けました。人のために何ができるが、でも、見つからなかったのす。このままであれば、俺は修羅になってしまう。俺は人でなくなっでしまうのす。お父さん、俺は信仰に生ぎます」
「信仰?」
「はい、日蓮宗です。もはや、俺が生ぎる道は、それしかねえのす」
「なに言うが。うぢは代々浄土真宗だじゃ」
「浄土真宗は、ウソ偽りの宗教です。“南無阿弥陀仏”と繰り返せば、極楽往生だなんて、そっだらもん、人間を堕落させるだけでねえすか」
「バカたれ!人造宝石の後は、日蓮か!貴様!明日は何になんだ?」
「もう二度と変えません」
「…さっさと家を継いで子どもを作れ!」
「できねえ!」
「お前は宮沢家を潰すきか!」
「俺は、もう何もできねえ!」
賢治は泣きながら「何もできねえ!」と繰り返し、トシが兄を抱き締め宥める。
神社の境内で人が集まり、獅子踊りの太鼓が響く中に、うちわ太鼓を叩きながら、大声で「“南無妙法蓮華経”!」と唱える賢治の声が聞こえてくる。
人々が呆気に取られ、戸惑うのを構わず、狂ったように太鼓を叩き、“南無妙法蓮華経”を唱え続ける賢治。
それを見ていた一人が、「賢治君が、気が触れた!」と店にやって来て、政次郎は慌てて賢治の元へ行き、皆に謝りながら、強引に家に連れて帰る。
「お父さん、俺は命を懸けているんです。自分の信じる信仰に生ぎるか、さもねぐば、死んでも構わねえのす」
政次郎の鉄拳が飛んだ。
「このバカたれが!まともに生ぎようともしてねえくせに、死ぬなどと軽々しく口にするな!そっだなこと許さん!」
家族が止めるが、政次郎は「バカたれが!」と賢治を叩き続ける。
賢治は汽車に乗り、東京の国柱会館に身を寄せようとするが、ここは駆け込み寺ではないと断られてしまう。
【国柱会(こくちゅうかい)は、元日蓮宗僧侶・田中智学(ちがく)によって創設された日蓮主義の宗教団体】
下宿先で実家からトシの病気を知らせる電報を受け取った賢治は、文具店で目に留まった有りっ丈の原稿用紙を買い、昼夜を問わずペンを走らせ、一気に物語を書き上げた。
その原稿をトランクに入れ、実家に戻った賢治は、トシが結核であることを知らされる。
早速、静養先の「桜の家」と呼ばれる祖父の別荘を弟・清六(せいろく)と父と共に訪ねると、青白い顔で寝ているトシをイチが看病していた。
賢治が来たことが分かると、トシは体を起こし、「やっど帰ってぎた」と喜ぶ。
トランクを開け、原稿を見せると、それが風に舞った。
清六と政次郎が原稿を拾い、手にした原稿を真剣に読む政次郎は、賢治に声を掛けられ、我に帰る。
賢治は早速、原稿をトシに読んで聞かせていく。
『風の又三郎』だった。
最後まで読み上げると、トシは泣き出し、「すっげえ、面白いもの」と言って、今度は笑顔になり、そして、「ありがとう、兄ちゃん」とまた泣くのだった。
その二人の様子を縁側で聞いている政次郎。
夜になると、賢治は原稿を書き、昼間はトシに読んで聞かせるのである。
【『風の又三郎』/谷川の岸の小さな小学校に、ある風の強い日、不思議な少年が転校してくる。少年は地元の子供たちに風の神の子ではないかという疑念とともに受け入れられ、さまざまな刺激的行動の末に去っていく。その間の村の子供たちの心象風景を現実と幻想の交錯として描いた物語/ウィキ】
明るく元気になったかに見えたトシだったが、食事をして咳き込み、喀血(かっけつ)してしまう。
夜になり、看病する政次郎に、トシは本音を吐露する。
「次、生まれてくる時は、もっと、強い体で…他の人の…幸せのために生ぎられるように、生まれてきてえな…お母さんには言わないでけれ。申し訳ねえから」
「おめえは立派だ、トシ。お父さんにとっても、お母さんにとっても、自慢の娘だじゃ」
雪が舞う中、トシを大八車に乗せ、政次郎らは実家に運んだ。
家族に見守られる中、荒い息のトシは賢治に哀願する。
「雨雪…取ってきて…けんろじゃ」
賢治は庭に走り、松の葉にかかる霙(みぞれ)を茶碗に入れると天を見上げて、「トシ…行ぐな」と呟く。
賢治はトシの口に霙を含ませ、取って来た松の葉を握らせる。
トシは賢治とイチに手を握られ、家族に見守られ静かに息を引き取った。
まさに「永訣の朝」だった。
浄土真宗の火葬の儀式で、一人賢治は“南無妙法蓮華経”をうちわ太鼓を叩きながら大声で唱えて回るが、途中で泣き崩れて蹲(うずくま)ってしまう。
イチが、お経が違うと言うのを押さえ、政次郎は賢治に歩み寄り、背中をさするのである。
「なした?賢治。しっかりしろ!お前の信じる心で、トシを見送ってやれ。ちゃんと極楽浄土さ、送ってやれ」
「ダメです、お父さん。もう俺には、何の力もねえのす。トシを送ることなんて、俺にはできねえのす…」
「賢治、お前の作った物語がトシには光だったべ。道だったべ?だから、お前の言葉で導いてやらねば。トシは極楽浄土、行げねえべ」
「トシがいなければ、俺はもう何も書けねえのす。やっぱり俺は、何の力もねえのす。ごめんなさい。ごめんなさい…」
地面に頭をつける賢治を起こし、賢治を励ます。
「バカが!宮沢賢治はその程度の文士なのか?その程度で諦めんのか?トシがいねえのなら、私が全部、聞いてやる!私が宮沢賢治の一番の読者になるじゃ!だから、書げ。物語を書げ!」
息子の心を父が受け止めた瞬間だった。
人生論的映画評論・続: 銀河鉄道の父('23) 魂の呻きを捩じ伏せて、なお捩じ伏せて、這い出して、熱量を噴き上げていく 成島出