カティンの森('07)  乾いた森の虐殺のリアリズム

 

【1939年8月23日 ドイツとソ連は不可侵条約を結ぶ  9月1日 ドイツ軍がポーランドに侵攻  17日 ソ連軍もポーランドに侵攻する  本作品は、クラクフからソ連占領下のポーランド東部まで、将校である夫を追ってきた妻アンナの物語から始まる】

 

 

1  オープニングシーンンで映像提示された構図の悲劇的極点

 

 

 

「私はどこの国にいるの?」

 

これは、説明的描写を限りなくカットして構築した、この群像劇の中で拾われている多くのエピソードを貫流する、基幹テーマと言っていい最も重要な言葉である。

 

この言葉を放ったのは、物語終盤で挿入された、「ワルシャワ蜂起」の生き残りの女性であるアグニェシュカ。

 

彼女については後述するが、この言葉を最も象徴的に挿入された描写 -――  それがオープニングシーンであった。

 

ポーランドの西方から侵略したナチス・ドイツ軍に追われる人々と、ソ連軍によって東部から追われた人々が群塊と化して鉢合わせした。

 

場所は、ポーランド東部のブク川に架かる橋梁。

 

このブク川は、ポーランドを流れるヴィスワ川を遡上すると、ワルシャワの北の一地点で分岐する大河である。

 

ここで出てきたヴィスワ川こそが、東欧をドイツとソ連が分割支配する独ソ不可侵条約の秘密議定書第2条にある、ポーランド条項で取り決められた大体の境界線の一つであった。

 

1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約は、全世界に深刻な衝撃をもたらした国際条約であることは周知の事実。

 

多くの国際条約に秘密議定書が作成されるという事実が一般的な時代状況下にあって、この秘密議定書にあるポーランド条項の苛酷さこそが、そこから開かれる「ポーランドの悲劇」を決定的に鏤刻(るこく)する現実を集中的に表現するものだった。

 

なぜなら、この秘密議定書が作成されてから約一週間後に、第二次世界大戦の勃発を告げる、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻が開かれたからである。

 

1939年9月1日のことだ。

 

そして、この秘密議定書を、スターリン政権下のソ連が忠実に実行したその日こそ、同年の9月17日。

 

即ち、映像のオープニングシーンで描かれた、ブク川に架かる橋梁での混乱だったのである。

 

独軍が迫ってくるのに、ソ連軍が侵攻してきた。引き返したほうがいい」

 

ポーランド東部に向かう大勢のポーランド人の中から、男の叫びがブク川の橋梁で炸裂する。

 

その中にアンナと娘ニカがいた。

 

夫アンジェイを探しに橋を渡っていたのである。

 

既に、この時点で、中国大陸への侵略戦争で膠着状態を迎えていた日本が、ソ連軍によって蹴散らされたノモンハン事件(1939年5月)が起こっていて、更に、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告(9月3日)するという時代状況の趨勢は、欧州戦争の枠組みを超え、第一次世界大戦の凄惨なイメージをも胚胎しつつあった。

 

オープニングシーンの構図が象徴するのは、まさに、地政学的リスクの高さに加えて、軍事的に弱体化された国家の悲哀そのもののリアルな活写であった。

 

ロシア革命に対する干渉戦争(ポーランドソビエト戦争)の歴史的経緯を想起するとき、ソ連による侵略の危険性を全く予測していなかったとは思えないが、当時のポーランドの軍事的弱体性を考えると、愛国精神に根差した、ポーランド陸軍における高級将校の質の高さに象徴される、ポーランド騎兵旅団の評価の高さは、常に「戦力的限定性」の瑕疵を抱えていて、たとえ優秀な人材を具備したと言っても、ドイツ空軍に比べ圧倒的に不利だったポーランド空軍や、小規模なものでしかなかったポーランド海軍の「戦力的限定性」の瑕疵と同様に、少なくとも、常に「ポーランドの歴史的仮想敵国」でありながら、当時、2000両以上の軽戦車を主力とし、鉄壁の装甲師団保有する陸軍や、爆撃機を含む戦闘機で武装した空軍を誇る、独軍との戦力の差の歴然たる事実は、ポーランド政府の欧州情勢の読みの甘さを露わにするものだった。

 

その結果、一月も満たないうちに、独軍ソ連軍によって、ポーランド全域が完全制圧され、降伏を潔しとしないポーランド政府は、残存兵力を伴ってルーマニアハンガリーに脱出するに至った。

 

この状況が本作の背景となっている事実を認知したうえで、物語の世界に這い入っていきたい。

 

オープニングシーンンに戻ろう。

 

そこで、映像提示された構図の悲劇的極点 ―― それは、人間の死をも政治利用することを止めない国家によって屠られた男たちの、その凄惨な最期を冷厳なまでに映し切った、15分間にも及ぶラストシークエンスで描かれた、銃の発砲音と機械音だけが響く「カティンの森」の風景だった。

 

スターリンプーチンに変わっただけで、ロシアは昔も今も変わらないのだ。

 

本作は、この事件によって、地中深く埋められた男たちの生還を、ひたすら待ち続ける女たちの物語であると同時に、このラストシークエンスを撮るために、50年間もの、気が遠くなりそうな時間を待ち続けた男の内側で、瞋恚の焔(しんいのほむら)が激発的に噴き上げることを抑制しつつ、徹頭徹尾、冷厳な筆致で映し切った物語でもあった。

 

男の名はアンジェイ・ワイダ

 

言わずと知れた、ポーランドを代表する映像作家である。画像・映画監督 アンジェイ・ワイダ – 国立映画アーカイブ

 

そのアンジェイ・ワイダ監督が創り上げた映像は、本作をライフワークと考えていたに違いない作り手が、そこだけはどうしても流し切れない澱が張り付いてしまった印象を拭えない強烈な一篇だった。

 

自らの両親をモデルにした冷酷なる群像劇だったからである。

 

人生論的映画評論・続: カティンの森('07)  乾いた森の虐殺のリアリズム  アンジェイ・ワイダ