父と暮らせば('04) 黒木和雄 <内側の澱みが噴き上げてきて>

 本稿の評論のテーマとして選んだ、「父と暮らせば」という映画は、「見えない残酷」を存分に見せ付けられた者の自我が負った傷跡の、その贖罪と癒しと再生を描いた印象的な一篇である。

 そこには、複雑で込み入った物語などない。

 そこにあるのは、煩悶する一人の娘と、その内側深くに澱んでいる精神世界の内実だけだ。それだけの設定で、「見えない残酷」の震えるような恐怖の中枢近くまで迫ったのだから、いかに筆者自身が、作り手たちのセンチメンタルな状況把握に馴染めないものを感受していたとしても、その原作となった戯曲と、それを演出した者たちの力量は相当なものであったと認めざるを得ない所である。

 
 ―― ともあれ、その娘の精神世界を簡潔にフォローしていこう。
 

 その娘の名は、福吉美津江。

 彼女は広島市内の市立図書館に勤めている。その図書館に一人の青年が現れた。彼の名は木下正。彼は原爆に関する資料を情熱的に集めていて、その協力を求めて、美津江が勤務する図書館に現れたのである。

 時は、1948年夏のことだった。
 
 いつでも若者の恋は、唐突にやってくる。

 いつしか二人の感情に、ときめきの思いが募ってくる。青年は美津江に、ピュアなるものの美しさを感じたのかも知れない。彼女も木下に同様の感情を抱いたのであろう。志で触れ合う者同士の魂は、掛け算のような膨らみ方で流れていきやすい。そこだけを切り取ってしまえば、二人のエピソードは数多ある純愛物語の一つでしかないだろう。
 
 しかし、この恋の進展に、手強い抑制が侵入してきた。

 その抑制の発信源は、娘の内側に潜んでいたものだ。

 恋をする娘は、その恋を抑制する何ものかによって縛られた。自縄自縛である。娘はほんの少し手を伸ばせば届くところにある至福の境地を前にして、その身体を一歩前に踏み出せないでいる。しかし娘の感情は、もうそこにまで踏み出してしまっていた。踏み出し切れない身体を、強引に引っ張り切れない感情の脆さがそこにある。娘の感情もまた、難しいラインの上を揺曳していて、それ以外の選択肢がない世界に一気に侵入できないのだ。

 そんなラインの微妙な攻防の中から、やがて二つの自我が眼に見えるような形で現出した。他者にとっては末梢的なことかも知れないが、娘の中では過剰なまでに切実だったのである。
 
 微分裂した自我の一つから、恋の進軍を押し上げるキャラクターが出現した。やがてこのキャラクターは、娘に最も身近な肉親の姿となって、娘の周囲に絶えず取り憑くようになったのである。

 そのキャラクターこそ、娘の父、竹造だった。彼は娘の「恋の応援団長」として、木下青年との関係を必死に取次ごうとするのだ。
 
 「あの日、図書館に入ってきんさった木下さんを一目見て、珍しいことに、お前の胸は一瞬ときめいた。そうじゃったな。そのときめきから、わしのこの胴体ができたんじゃ。お前はまた、貸し出し台の方に歩いて来る木下さんを見て、そっと一つ溜息を漏らした。そうじゃったな。その溜息から、わしの手足ができたんじゃ。更にお前は、あの人、ウチのおる窓口に来てくれんかな、そないにそっと願(ねご)うたろうが。その願いから、わしの心臓ができとるんじゃ」
 
 娘の美津江は、父のお節介な出現に当惑する。

 「ウチに恋をさせよう思うて、おとったんは、こないだから、この部屋をぶらーり、たらーりなさっておったんですか?」
 「うふふ」
 
 父竹造は、笑みを浮かべて頷いた。

 「・・・・恋はようせんのです。もう、ウチをいびらんでくれんさい」
 
 娘は竹造の応援を、頑なに拒むだけだった。


 映像展開の三日目。木曜日のことだ。

 「恋はようせんのです」と、恋に消極的な反応を示していた娘が、実は木下からプロポーズされていたことを、娘の告白によって知った父は、一人悦に入っていた。

 それにも拘らず、娘は恋の成就に拒否反応を示す。
 
 「そいじゃけん、いっそう、木下さんに逢(お)うちゃぁいけんのです」
 「・・・・ウチよりもっと、でっど幸せになってええ人たちが人が、ぎょうさんおってでした。そいじゃけん、そがぁな人たちを押しのけて、ウチが幸せになるわけにはいかんのです。ウチが幸せになっては、そがぁな人たちに申し訳がたたんのです・・・・」
 「あんときの広島は、死ぬるんが自然で、生き残るんが不自然なことやったんじゃ。ほじゃけん、ウチが生きてるんはおかしい・・・・ウチは生きとるんが、申し訳のうてならん!」
 
 全て美津江の反応である。

 娘の反応の奥にある部分に、描写が及んでくる。三日目からの映像の展開は、掛け合い漫才的な当初の会話の展開を逸脱してきている。

 
 映像展開の四日目。金曜日。最終日である。
 
 その朝、娘美津江は、庭に首がもげて顔が半分爛れた地蔵に見入っている。その爛れ方は、原爆瓦のそれと同じである。一個の石像に過ぎないが、まるで人の顔のようだ。いや、やはりそれは人の顔だった。娘の深層にあるものの顔が、紛う方なく、そこに映し出されているのだ。

 それは、父竹造の顔だった。

 父こそ、娘の心の根っこにある、最もネガティブな何かだったのである。
 内側の澱みが噴き上げてきて、遂に娘は父に告白する。
 
 「・・・・ウチはおとったんを、地獄よりもひどい火の海に、置き去りにして逃げた娘じゃ。そげな人間に、幸せになる資格はなあ!」
 
 娘の贖罪意識の基底には、「父を置き去りにして逃げた娘」という抑圧されていた感情があったのだ。娘にとって、ネガティブな反応を選択させる父竹造の喪われた身体が、娘の不可避な意識の中から飛び出して来て、娘と対峙し、未来に繋がる時間の内に何とか折り合いを付けようとする。娘もまた、自分の内なる父親像と対峙し、激しく葛藤するのである。

 そんな娘の煩悶に、父は確信的に応えていく。

 「親に孝行すると思うて、早(はよ)う逃げえや!おとったんに最後の親孝行してくれや、頼むで!そんでも、よう逃げんのやったら、わしゃ、今すぐここで死んでやるど!これでようわかったな。お前が生き残ったんも、わしが死によったのも、双方、納得ずくじゃ」
 「でも、やっぱ見捨てたことにゃ変わりがなぁ。ウチはおとったんとに死なにゃぁならんかったんじゃ!」

 ここで父親は、それ以外にない最後の言葉を搾り出す。

 「・・・・お前はわしに生かされとるんじゃ・・・・まっこと、あよなむごい別れが、何万もあったということを覚えてもらうために、生かされとるんじゃ・・・・人間の悲しかったこと、楽しかったこと、それを伝えるんが、お前の仕事じゃろが・・・・」
 
 地の底で沸騰し、沸き上がり、そこから立ち上ってきたような父の言葉こそ、娘美津江が切望していたものであるに違いない。

 それは、娘の内側で長く抑圧されてきたものが、切々たるときめき感情のうねりの内に、遂に突き上げてしまったものである。娘の激しい葛藤は、恐らく、そのような言葉によってしか折り合いがつけられない何かであった。

 娘の中の何かがより見えやすくなって、そして何かがより見えにくくなっていった。それで良かったのだ。それ以外にない折り合いのつけ方が劇的に展開されて、形の上では、何かが一応終焉し、そして何かが始まっていく。
 
 あとは、終焉したものとの別れの儀式だけだった。

 「今度は、いつ来てくれんさるの?」
 「そりゃ、お前次第じゃ」
 「しばらく、逢えんかも知れんね」
 「おとったん、ありがとありました」

 
 美津江という、PTSD(余稿にて後述)を抱えた一人の女性の内側で微分裂した二つの自我、即ち、過去に縛られ身動きできない自我と、希望の未来に向かって一歩踏み出したい自我が激しく葛藤した末、そこに一応の折り合いを付けた感銘深い映画の終りに、彼らをそのような苛酷な状況に追いやった、「見えない残酷」の不気味な恐怖が、観る者の心を鋭角的に切り裂いて、蓋(けだ)し名状し難い澱んだ感情が生き残されたのである。 

(人生論的映画評論/ 父と暮らせば('04)  黒木和雄 <内側の澱みが噴き上げてきて>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/04.html