名画短感⑦ ペレ('87)  ビレ・アウグスト監督

 それは、スウェーデンが信じられないほど貧しかった十九世紀末の話。
 
 「祖父と孫」の関係かと見紛うほど、年の離れた父子が、「パンにバターを塗って食べる生活」を求めて、海を隔てて対峙する大国、デンマーク王国の領内にあるボーンホルム島に、移民船に乗って旅立った。

 しかし下船後、忽ち二人は厳しい現実に晒される。見るからに、ひ弱な二人を引き受ける雇い主がいないのだ。

 ようやく、最後まで港に残った二人を、「石の農園」の管理人が渋々拾っていった。夢にまで見た、デンマークの移民生活の始まりである。

 だが、二人に待っていた現実は余りに苛酷だった。

 父子に与えられた家はなく、牛舎の片隅で暖をとる生活の凄惨さは、少年ペレの心に、移民生活の実態を忽ちのうちに刻印することになる。それは、労働力として殆ど価値を持たない父子が、宿命的に負わねばならない現実だった。

 1988年のカンヌで、パルム・ドールを制したこの映画には、遣り切れないほど暗いエピソードが詰まっている。

 しかし、様々な辛い現実の体験を通して、一人の少年の成長を描くこの作品の凄さは、徹底してリアルに、思春期前期の危うさや卑屈さを、感傷を排して描き切ったところにあった。

 移民であるが故に虐められることが多かったペレが、一人の知恵遅れの少年を打擲(ちょうちゃく)するシーンがある。その子もまた知恵遅れであるが故に、村の皆から馬鹿にされていた。

 あろうことか、ペレは友だちでもあったその少年に、「お金をやるから叩かせてくれ」と頼み込み、その了解を取って少年の裸の尻を繰り返し、本気で叩き続けたのである。
 
 全く手を緩めることのないペレの暴行に、少年は、僅かな金のために歯を食いしばって耐え忍ぶのだ。

 「酒は自由に飲める。子は働かなくていい」という父の夢物語が、無残に砕かれていく日々の中で、ペレの心は、どこかで少しずつ、眼に見えるような歪みを生み出していたのである。
 
 その歪みは、ペレの本来の性格の良さ、例えば、向上心、勤勉さ、素直さや優しさなどによって、思春期の確かな自我形成を通して充分に修復され、克服されていくだろう。

 しかし、友だちの尻を叩くペレの内面世界の現実は、自分より弱い立場に置かれた者に向かって、飽和点に達しつつあったストレスを発散せざるを得ない、卑屈な一面を存分に晒していたのだ。

 それは、本作の最も印象に残るシーンの一つであった。


(人生論的映画評論/名画短感⑦ ペレ('87)  ビレ・アウグスト監督」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/87.html