名画短感⑥ 人情紙風船('37)   山中貞夫監督

 時代劇といえば、戦後の東映のオハコの娯楽映画のエース。

 しかし、長屋の住人の脳天気さという印象を相対化させてしまう程に、ここに描かれる際限なく陰鬱な江戸期の人々の描写のイメージは、まもなく前線に放り込まれる運命にあった27歳の青年監督の、その絶望的なメッセージを映し出している。

 恰もそれは、戦前に作られた時代劇の印象を定番付けてしまう程なのだ。

 とりわけ、前進座の俳優を起用した本作の中でも、粋な小悪党である髪結新三を演じた中村翫右衛門(3代目)と異なって、海野又十郎という、主体性も馬力もない冴えない浪人役を演じた、河原崎長十郎(4代目)の憂鬱な表情が忘れられない。

 仕官を拒絶され、一人、雨中に立ち竦むシーンである。

 一貫して、「喪家の狗(いぬ)」(餌をもらえず、元気のない犬)の印象を残すだけの惨めな役どころだった。

 それは、溝口健二の「元禄忠臣蔵」(1941年製作)という長編映画で、大石内蔵助を演じた俳優とはとても思えない「喪家の狗」の裸形の姿なのである。

 寧ろ、この海野又十郎という浪人像は、「どっこい生きている」(山本薩夫監督)という佳作で、主人公の失業者を演じた河原崎が見せる陰鬱な表情と重なるのだ。

 共に自死を考えるが、一方は未遂に終り、他方は既遂する。

 生と死を分けたのは、家族の愛情の違いではない。

 絶望の淵に立たされて、そこで未来を覗く僅かな余裕があった者と、それがなかった者との違いだった。

(人生論的映画評論/名画短感⑥ 人情紙風船('37)   山中貞夫監督)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/37-38.html