HANA-BI('98)  北野武 <自我が分裂した二つの〈生〉の究極の様態>

 1  感覚を突き抜けていく映像作家



 北野武は、「感覚を突き抜けていく映像作家」である。

 単に、感覚を大切にする映像作家ではない。

 突き抜けていくほどに「自分の感覚」を信じ、それをカット繋ぎの技巧によって、削って、削って、削り抜いて残った絵柄のみをフィルムに記録していく映像作家であるように見える。

 無論、彼には主張がない訳ではない。言いたいことは山ほどあるだろう。

 しかし彼の映像作りは、彼の主張したいテーマを言語化したシナリオに全面依拠することなく、撮影のプロセスの中で自在に変更するから、多くの場合、シナリオは「あってないような参考資料」に過ぎないようだ。

 彼以外の多くの監督がそうしている範疇を遥かに超えて、彼の映像作りが、その場における「自分の感覚」を信じ切る者の確信的映像作家であるか否か、私は知らない。

 恐らく北野武は、そのときの判断の基準を、観る者の立場に立って、その需要度・受容度を推し量り、それに極力合わせていく映像構築ではなく、「自分が観客だったら、どのような絵柄の繋ぎを求めるか」という徹底した自己基準によって、どこまでも「自分の感覚」の中で篩(ふるい)にかけていく映像作りを心掛けているはずである。

 その際、彼は篩にかけた「自分の感覚」を信じ切って、妥協なしに映像作りを継続していくだろうから、どうしてもその作業の果てに構築された作品は、「感覚を突き抜けていく」映像に逢着するに至るに違いない。

 「感覚を突き抜けていく映像作家」としての北野武が、そこに凛として立ち上げられているという訳だ。

 当たり前のようだが、これを貫徹するのは相当に困難である

 ピュアなまでに、感覚的な濃度の深い主観的世界で表現された映像に対する親和動機は、「それが自分の好みに合うか否か」という一点にしかないのだ。

 従って、説明的な描写を捨てた彼の映像の中で頻繁に記録された、「暴力」や「日常性描写の特異な絵柄」等の描写の根柢にある、「脱感傷」の濃度に満ちた北野作品に対する評価は、その個性的な「北野武流映像世界」に対する、観る者の「好みの問題」の内に収斂される運命から解放されないだろう。

 正直言えば、私も「北野武流映像世界」は苦手である。

 どうしても物事を理屈で考えてしまう性癖が、自分の中に内在すると思うからだ。

 理屈で理解できない世界へのアプローチを敬遠する気持ちが強いのである。繰り返すが、それはもう、「好みの問題」と言うしかないだろう。

 しかし、本作は「感覚を突き抜けていく映像作家」としての北野武の映像でありながら、そこで提示された形而上学的テーマは、単に感覚のみでアプローチし得る範疇を超えていた。そこに、私の主観的な映像感性がフィットし得る何かを感受したのである。
 
 即ち、本作は「北野武流映像世界」の中で異彩を放っていると言えるだろう。

 そこに、特定的に選択された主題に対する観念的・形而上学的なアプローチが堂々と展開されているからだ。

 「その男、凶暴につき」、「ソナチネ」(画像)といった作品に特徴的な、突き抜けるほどに圧倒的なバイオレンス描写を好む向きには不満かも知れないが、彼の他の作品に比較して、ジャン=リュック・ゴダールが絶賛(注1)した「キタノ・ブルー」(注2)全開の、情感系の濃度が些か深い本作だからこそ、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞した所以であったとも言えるだろう。

 では、そのテーマ性とは何か。

 それを一言で言えば、〈生〉と〈死〉の問題であり、その死生観であると言っていい。

 以下、その深甚なテーマ性を持つ映像を検証してみたい。



(注1)「日本映画の中で、ここ四、五年、私が素晴らしいと思っている、北野武の映画があります。『HANA-BI』という作品です。私が『HANA-BI』を好きなのは、それが日本映画だからではなく、普遍的な映画だからです。そこに登場するほとんどの人物たちが一重瞼の細い目をしていることに気づかないほど、普遍的な映画だと思います」(2002.10.23 ジャン=リュック・ゴダールインタビュー「映画をつくること、それしかできない」より)

(注2)色彩心理学によると、ブルーは「冷たさ」、「重さ」、「後退色」=「遠距離感」に対して親和性を持っていると言われる。また、好みの順位では、最も好まれる色彩であるというデータがある。因みに、ブルーに次いで赤、緑が好まれ、年齢が高くなるに従って、暖色系から寒色系へ好みが変わってくると言われているそうだ。

 また、「キタノ・ブルー」についての本人の説明があるので、それを掲載する。

 「色に関しては、交通事故の後遺症だね。街のネオンやビルが雑然として統一性がないのが嫌になった。それでそぎ落とすとブルーとグレーが残って、で『キッズ・リターン』(1996)は色をはじいた」(「All About」・『TAKESHIS'』北野武監督に直撃インタビューより)


(人生論的映画評論/HANA-BI('98)  北野武 <自我が分裂した二つの〈生〉の究極の様態>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/01/hana-bi98.html