JSA('00) パク・チャヌク <澎湃する想念、或いは、「乾いた森のリアリズム」>

本作の最も重要な人物の一人である、北朝鮮軍のギョンピル中士は、子犬を追って来たウジン戦士と共に葦の茂みに踏み込んだとき、信じ難き光景を目撃した。誤って38度線を越えた韓国軍部隊にあって、地雷を踏んで身動きできない兵士と遭遇したのである。

 その名は、イ・スヒョク。本作の主人公である。

 「助けて下さい」と泣きながら懇願する敵の兵士を、ギョンピルは危険覚悟で地雷の信管を抜いて救ったのだ。

 「北方限界線」(海上における「南北」の軍事境界線/画像)で度々出来する拿捕(だほ)事件を例にとるまでもなく、「有り得ないこと」が、いかにも「有り得ること」のように描かれるこの描写のリアリズムは、このような状況に置かれたら、敵味方の区別なく、命を乞う人間の心理に叶っているという一点のみだが、それでもたとえ、「休戦状況」下とは言え、かつて激しい内戦を戦った相手の兵士の命を、しかも自分の危険をも顧みず、いとも簡単に救出する行為に走れるものだろうかという素朴な疑問が湧くが、本作の北朝鮮の軍人の場合は違っていた。

 彼は既に、本作の作り手によって、「こうあって欲しい」という澎湃(ほうはい)する想念の中で結晶化したヒューマニストであったからだ。

 季節は、2月17日の厳冬の夜。銃撃事件発生の8か月前の出来事だった。

 以降、この二人は2度再会している。

 一度目は、小隊の雪の行進の中でのこと。

 南の小隊長と煙草の火をつけ合う北のギョンピル中士がそこにいて、それを小隊の中で視認するスヒョクが近距離の位置で立っていた。

 二度目は、板門店の警備の際のエピソード。

 「影が境界線を越えているぞ。気をつけろ」と言ったのはギョンピルで、後ろに下がったのがスヒョク。

 そのような因縁の中で、二人はまもなく、南北を隔てる川を越え、石に吊るした手紙を投げ合う交流が始まった。

 
(人生論的映画評論/JSA('00) パク・チャヌク <澎湃する想念、或いは、「乾いた森のリアリズム」>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/08/00.html