さらば、わが愛 覇王別姫('93)  チェン・カイコー <人間の脆弱さの裸形の様を描き切った映像の凄味>

 序  説明過剰な冗長さに流されない映像構成力の切れ味


 3人の主要な登場人物の複雑で、絡み合った愛憎のリアルな関係を基軸にした生身の「物語性」の中で、途方もなく紆余曲折した中国現代史の波乱万丈な時代の航跡や、そこで呼吸する者の息吹を伝える社会を描き切った本作は、当然の如く、「大河ロマン」の性質を持つが故に、相当程度、長尺なフィルムになったはずである。

 従って、「物語性」を通して時代を描く映像の生命線は、説明過剰な冗長さに流されない作家的構成力の構築性の内実に因ると言っていい。

 それでも、公開版が170分の上映時間を超える長尺なフィルムに仕上がった本作でありながら、日本軍の占領や中国革命、文化大革命という重要な歴史に関わる描写を、全く説明的に描くことをしなかったことで、本来的に抱える主題性を希釈化させなかったばかりか、時代に呼吸する者の生きざまの大枠を規定し、呱々の声をあげて間もない不安定な新生社会主義国家に特徴的な、過大な影響力による大衆(紅衛兵等)の暴走や屈折と言った、極めて人間学的世界の臭気を映し出す映像構成力の切れ味は抜きん出ていたのだ。

 だからこれは、「大河ロマン」的な作品に見られる、説明過剰な冗長さに流されない、決定的に成功した映像となった。



  1  人間の脆弱さの裸形の様を描き切った映像の凄味① ―― 「新しい社会は旧体制とは違うんだ!」



 以下、物語のアウトラインを、短感的分析を交えてフォローしていこう。

 京劇養成所で言語に絶する厳しい修行を強いられながら、脱走中に観劇した「覇王別姫」の素晴らしさに感動した二人の少年が、やがて「覇王別姫」を演じる花形スターになっていく。

 因みに、「覇王別姫」とは、「四面楚歌」という4文字言葉で有名だが、劉邦と天下を争った楚の項羽が、漢軍包囲という劉邦の心理誘導的な策謀に欺かれた際に、寵姫だった虞姫(虞美人)が自刃するという京劇(中国の伝統的な歌劇)の演目の一つ。

ともあれ、兄とも慕う「立ち役」(男の役を専門に演ずる俳優)の小婁に対する明瞭な同性愛の感情を潜ませる蝶衣は、小婁の妻となる売れっ子娼婦の菊仙に嫉妬しつつも、その感情を相対化させることができなかった。

 この複雑に絡みつくような三角関係もまた、激動の中国現代史の荒波の中で、嫉妬、憎悪、裏切りの情念が逆流し、そして菊仙の自死という悲劇を生むに至る。

 そして、受難の歴史を刻む京劇の翻弄のされ方は、そこに命を賭けた蝶衣の自刃に繋がるラストシーンによって閉じられた。

 京劇の受難と、中国現代史の荒波の中での3人の裏切りの連鎖こそ、歴史劇の範疇を超えて、本作の骨格を支える人間ドラマの極限を表現し切っていたと言えるだろう。

 まず、日本軍降伏後の京劇の受難のエピソード。

 日本軍降伏後、中国共産党との内戦下にあった中で、国民党軍に冷眼視される京劇を演じ続ける小婁が放ったのが、以下の言葉。

 「兵隊さん。芝居の最中にライトを点滅させないで下さい。日本軍もしなかったことだ。芝居を観るなら、席について下さい」

 ここまで言われた国民党軍の兵士は、「日本人より劣っているとは何事だ!」と叫んで、二人の舞台を破壊し切ったのである。

 この状況下で、小婁は「弟」である蝶衣を庇っている。

 未だ、自分の身に深刻な危機が及んでいなかったからだ。

 そして、文化大革命の渦中で暴れ回った裏切りの連鎖。

 「あんたは、時代が変わった事を分っていない・・・新しい社会は旧体制とは違うんだ!見てるがいい。今に主役になってみせる」

 これは、京劇役者を目指す小四が、その師である蝶衣への違背宣言。

 明らかに、伝統文化としての京劇に対する視線の変化によって、歴史の変異の中で翻弄される有りようを描いたこの一連の描写は、たとえ歴史的に継続力を持ち得た文化と言えども、それを堅固に保護する社会的背景がない限り困難である事情を説明するものだ。

 社会が大きな変容を遂げていったとき、それでも「文化の永遠性」を信じる者の自我の、拠って立つ安寧の基盤を保証するのは容易ではない。

 と言うより、伝統文化への思いの強さを持っても、単独の人格的振舞いの脆弱さを検証するだけだろう。

 その重い現実を、蝶衣が身をもって感受するのは、抑性が効かなくなるほど、文化大革命の激流が澎湃(ほうはい)してきたときだ。

 ここから開かれる、ラスト18分間の映像のラインは壮絶であり、全てここに勝負を賭けたと思えるほど気迫に満ちた人間ドラマが展開されるのだ。

 
(人生論的映画評論/さらば、わが愛 覇王別姫('93)  チェン・カイコー <人間の脆弱さの裸形の様を描き切った映像の凄味>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/03/93.html