夜と霧 ('55) アラン・レネ<「ある国の、ある時期の話」に封印してはならないというメッセージの力技>

 1  「ある国の、ある時期の話」に封印してはならないというメッセージの力技



 ナチスの台頭で米国に亡命し、その後、東独に生活の拠点を設け、東独の国歌をも作曲したユダヤ人、ハンス・アイスラーが作曲した、詩的でありながら、時には軽快で、淀みのないBGMに押し出されるように、カラーで記録された平和で牧歌的な戦後の〈現在〉と、 瓦礫処理の如く、ブルドーザーで死体の山を無造作に埋めていく、異様なまでの非日常の酷薄の実写を繋ぐ〈過去〉の風景をクロスカッティングさせていく、あまりに有名なこのドキュメンタリーは、どこまでも強烈な主題提起を持つ「映画性」の枠を崩さない程度において、〈時代状況性〉の落差を強調することで、風化させてはならない問題意識の堅固な継続力の保持を、観る者に問い続けていく ―― それが、ヌーベルバーグの映像作家の一人である、アラン・レネ監督による「夜と霧」だった。

 ナチスが残した記録映像を巧みに利用することで、「見える残酷」の極点とも言うべき、戦争犯罪を告発したドキュメンタリーの一篇の衝撃度の強さは、人間の死体を「物体」として処理される酷薄の実写の異様さにおいて際立っていた。

 舞台俳優出身のフランスの映画俳優、ミシェル・ブーケのナレーションが、クロスカッティングされた映像を、声高にならないギリギリの辺りで繋いでいく。

 「静かな風景。カラスが飛び、野焼きに煙る畑。車や農民の通る街道。楽しげなリゾート地の隣に強制収容所があった。アウシュヴィッツ、ベルゼン(ベルゲン・ベルゼン強制収容所のこと・筆者注)、ダッハウミュンヘン郊外にある強制収容所のこと・筆者注)など、どの村もありふれた村だった。今、収容所跡にカメラを手に訪れる。雑草が血の滲む地面を覆い隠す。もはや、鉄条網に電流は流れない」

 これが、一見、長閑な映像へのナレーションの導入だった。
 
 ナチスドイツのフィルムや、ヒトラーアジテーションの記録映像の中で、ミシェル・ブーケの抑制的ナレーションが流麗に続く。

 「1933年。機械の行進。一糸乱れぬ行動。全国民が協力する。収容所建設に業者が群がる。利権に賄賂が飛び交ったのだ。このときまだ、労働者たちや、ユダヤ人学生たちは遠くにいて、既に収容先が決定しているとは知らずに生きている。建物は住人を待っている。彼らは各地で検挙された。貨車に乗せ、収容所へ。ミスや偶然で、リストに加えられ、収容所に運ばれる人もいた。鍵を掛け、封印された列車。飢えと渇き、窒息と狂気。必死の落とし文。死者も出た。次は夜と霧の中。同じ線路に日は落ちる。カメラは何を求めて歩くのか。死骸の山の傷痕か。或いは、殴られ、運ばれた囚人の足跡か。別世界に来たようだ。衛生上の名目で裸にされ、屈辱に耐える」

 この辺りから、流麗なナレーションと寄り添えないような、衝撃的な記録映像が連射されていくのだ。

 そして、強烈な主題提起を持つ「映画性」を内包させて、最後のナレーションが一気に押し出されてくる。

 「カポも将校も言う。“命令に背けない”、“責任はない”。では、誰に責任が?冷たい水が廃墟の溝を満たす。悪夢のように濁って。戦争は終わっていない。今、点呼場に集まるのは雑草だけ。見捨てられた町。火葬場は廃墟に、ナチは過去になる。だが、900万の霊が彷徨(さまよ)う。我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか。次の戦争を防げるのか。今も、カポが、将校が、密告者が隣にいる。信じる人、信じない人。廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は、遠ざかる映像の前で、希望が回復した振りをする。ある国の、ある時期の話と言い聞かせ、絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる」

 「ホロコースト」を、「ある国の、ある時期の話」に封印してはならないというメッセージこそが、このドキュメンタリー映画の最も中枢的なテーマであることを、観る者は知るに至るのである。

 正直、メッセージの力技の問題を除けば、ドキュメンタリー映画としての「構築力」という視座で俯瞰すれば、科学的検証の有無を軽視したとも思える一点において、些か粗雑な映像の印象を受けるが、〈時代状況性〉を慮(おもんばか)れば、「それも仕方ない」と譲歩すべきなのだろうか。


(人生論的映画評論/夜と霧 ('55) アラン・レネ<「ある国の、ある時期の話」に封印してはならないというメッセージの力技>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/06/55.html