四季を歩く

 眼の前にキャベツ畑が広がる、西大泉の一角で学習塾を開く傍ら、そこで空いた時間を目一杯利用しての、私の低山徘徊・撮影行脚は約20年間続いた。

 今、思い起こしてみると、私の行動エリアは写真撮影限定の、都心や郊外の花名所巡りと、奥武蔵・秩父への低山徘徊がメインになっていたことが分る。

 殆ど単身の低山徘徊・撮影行脚だったが、休日には妻を随伴して出かけたものである。

 一緒に山を登ったり、特定のビューポイントで粘る私を、辛抱強く待ち続けていたときの不機嫌を宥めたりしたことを思い起こすと、未だ、本人の趣味になり得ていない行動に巻き込んでしまったことへの済まなさが、今も相応の悔いとして残っている。

 風景撮影における単調な構図に物足りなさを感じた私は、そこもまた宥めるようにして、度々、妻に構図の中に収まるように歩行してもらったりしたからである。

 当時、秩父路での散策や低山徘徊には、私の妻の協力が不可欠だと考えたのだろう。

 人物撮影に全く興味を持たない私には、ただ単に風景との均衡のみを考えていたので、プロのカメラマンのようにポーズを要求することは全くなかった。

 当然である。

 歩行してもらったり、座ったりしてもらうだけで、それで、一枚の写真ができると安直に考えていたからだ。

 そんな昔の趣味をスキャナーを通して、フィルムから画像を再生しているが、自分でも特定できない場所も多くあり、とても恥ずかしい限りである。

 それでも、その当時の雰囲気だけは脳裡に生々しく焼き付いていて、それらの多くは決して心地悪いものにはなっていない。

 ただ、しばしば強引に付き合ってもらった妻には、私なりに申し訳ないという気持ちが残っているが、現在に至っても、その妻に介護される立場になって、いよいよ頭が上がらない心境である。

 
[ 思い出の風景   四季を歩く   ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/09/3.html