夏の長期休暇をとって、湖畔の別荘へ向かうショーバー一家。
ヨットを牽いたワゴン車内には、夫のゲオルグ、妻のアナの夫妻と、一人息子のショルシと愛犬が同乗している。
奇妙な「事件」が起きたのは、セーリングの準備をしている父子の留守のときだった。
夕食の支度をするアナの元に、唐突に、肥満気味の青年が訪れて、「卵を分けて欲しい」と言うのだ。
ペーターと名乗るその青年は、4個の卵をもらって帰ろうとした際、玄関前で卵を割ってしまい、図々しくも代りの卵を要求するが、その間にも、あろうことか、アナの唯一の携帯を台所の水の中に落としてまう始末の悪さ。
当初、礼儀正しい態度を見せていたペーターの厚顔さを目の当たりにして、次第に神経を苛つかせるアナは態度を硬化させていくが、そこに、もう一人の青年が出現することで、事態は一気に暗転していく。
もう一人の青年の名は、パウル。
痩身のパウルは、相棒をペーターと呼ばず、「デブ」と言い捨てていく態度を見れば、特段に悪相とは思えない二人組のリーダーがパウルであることが了解し得るだろう。
アナを挑発するパウルの言動が、態度を硬化させていたアナの心に、経験したことがないような恐怖感が加速的に分娩されていく。
まもなく、愛犬の鳴き声で、別荘での異変を察知したゲオルグが、息子のショルシを随伴して帰宅して来た。
しかし、二人の不気味な青年を相手に手こずっている妻を見て、夫のゲオルグは仲裁に入ろうとしても困難であることを実感する。
ヨットを牽いたワゴン車内には、夫のゲオルグ、妻のアナの夫妻と、一人息子のショルシと愛犬が同乗している。
奇妙な「事件」が起きたのは、セーリングの準備をしている父子の留守のときだった。
夕食の支度をするアナの元に、唐突に、肥満気味の青年が訪れて、「卵を分けて欲しい」と言うのだ。
ペーターと名乗るその青年は、4個の卵をもらって帰ろうとした際、玄関前で卵を割ってしまい、図々しくも代りの卵を要求するが、その間にも、あろうことか、アナの唯一の携帯を台所の水の中に落としてまう始末の悪さ。
当初、礼儀正しい態度を見せていたペーターの厚顔さを目の当たりにして、次第に神経を苛つかせるアナは態度を硬化させていくが、そこに、もう一人の青年が出現することで、事態は一気に暗転していく。
もう一人の青年の名は、パウル。
痩身のパウルは、相棒をペーターと呼ばず、「デブ」と言い捨てていく態度を見れば、特段に悪相とは思えない二人組のリーダーがパウルであることが了解し得るだろう。
アナを挑発するパウルの言動が、態度を硬化させていたアナの心に、経験したことがないような恐怖感が加速的に分娩されていく。
まもなく、愛犬の鳴き声で、別荘での異変を察知したゲオルグが、息子のショルシを随伴して帰宅して来た。
しかし、二人の不気味な青年を相手に手こずっている妻を見て、夫のゲオルグは仲裁に入ろうとしても困難であることを実感する。
「タマ、取られるなよ」
代りの卵を要求するペーターの傍らで、突然、恫喝するパウルの暴言に反応し、ものの弾みでパウルの頬を平手打ちにしてしまった。
ゲオルグがパウルによって、ゴルフクラブで膝の辺りを打ち砕かれたのは、そのときだった。
更に、車内に放り込まれた愛犬の惨殺死骸を見せるパウル。
昼間、初対面のときに吠えられたリベンジである。
彼はこのとき、カメラにウインクするカットが挿入されていたことで、本作が明瞭に、観る者への確信的視線に満ちた映像であることが判然とするだろう。
ともあれ、礼儀正しい言葉遣いを捨てて、無差別殺人鬼の本性を剥き出しにするパウルとペーター。
夜になった。
「お前らは12時間で御陀仏(おだぶつ)かどうか賭けよう。生きてる方に賭けろよ。俺たちは死んでる方だ」
「クローズドサークル」(出口なしのミステリー)とも言える、恐怖に満ちた殺人ゲームが開かれた瞬間である。
代りの卵を要求するペーターの傍らで、突然、恫喝するパウルの暴言に反応し、ものの弾みでパウルの頬を平手打ちにしてしまった。
ゲオルグがパウルによって、ゴルフクラブで膝の辺りを打ち砕かれたのは、そのときだった。
更に、車内に放り込まれた愛犬の惨殺死骸を見せるパウル。
昼間、初対面のときに吠えられたリベンジである。
彼はこのとき、カメラにウインクするカットが挿入されていたことで、本作が明瞭に、観る者への確信的視線に満ちた映像であることが判然とするだろう。
ともあれ、礼儀正しい言葉遣いを捨てて、無差別殺人鬼の本性を剥き出しにするパウルとペーター。
夜になった。
「お前らは12時間で御陀仏(おだぶつ)かどうか賭けよう。生きてる方に賭けろよ。俺たちは死んでる方だ」
「クローズドサークル」(出口なしのミステリー)とも言える、恐怖に満ちた殺人ゲームが開かれた瞬間である。
「クローズドサークル」の極点を露わにした映像は、そこに内包する恐怖をいよいよ加速していったのだ。
(人生論的映画評論/ファニーゲーム('97) ミヒャエル・ハネケ <暴力の本質的な破壊力についての、冷徹なまでに知的な戦略的映像の極北>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/09/97.html