サラエボの花('06)  ヤスミラ・ジュバニッチ <非日常の日常下から、物言わぬ圧迫感で押し潰す恐怖を分娩する物語の重量感>

 1  ネガティブに暴れてしまう「語られない父」への幻想



 絶対に知られたくない秘密を持つ母が、そこだけは特段に武装することで繋いできた娘との、相応の融和性に満ちた母子関係の中で、いつしか、母の武装性それ自身の発露への違和感を感受するに足る感性を身に付けてきた娘の、その思春期自我を狙い打ちし、骨肉相食(は)むかのように襲いかかってきた、アイデンティティに関わる由々しき初発の危機。

 それが、自らの自我のルーツに関わることだけに、娘が感受した得体の知れない感情は、思春期の快走を許容しないほどに深甚な何かだった。

 「パパはシャヒード(殉教者)よ」

 サッカーのゲームに興じる男子と混じって、件の少女が、一人の男子と派手な喧嘩をしたときに、その喧嘩を止めに入った教師に放った言葉である。

 サラの担任教師が、彼女に両親を呼ぶことを命じたからである。

 シャヒード。
 
 それは、ボスニア紛争(1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)で、セルビア軍に制圧された際に戦死したボシュニャク人(ムスリム)らのサラエボ市民のこと。(画像は、砲爆により火災を起こしたサラエボのビル・ウイキ)

 この特別な響きを内包する言葉が、母から教えられた、亡き父に関する情報の全てである。

 自分の父は、一体、何者だったのか。

 「パパに似ている点は?」
 「・・・髪の毛よ」と苦しい言い訳。

 なぜ、母はそれについて詳細に語ってくれないのか。

 そんな娘が、母に懇願する。

 「ママは結婚しないで。約束して」
 「いい加減にしなさい!」
 「私を捨てるのね」
 「何があっても捨てないわ!絶対に!」

 娘を抱擁する母。
 
 娘の名はサラ。

 12歳(ヤスミラ・ジュバニッチ監督は、インタビューで13歳と説明)である。

 母の名はエスマ。

 このときのサラの情動を支配していたのは、両親の離婚が子供に与えるストレッサーと同質の感情であると言っていい。

 ここで言うストレッサーとは、既に父を喪った子が、母まで失う事態への恐れである。

 要するに、「見捨てられ不安」である。
  思春期自我にある難しい年頃の子供にとって、「語られない父」への幻想だけがネガティブに暴れてしまって、どうしても、拠って立つ自我の安寧の基盤を埋めるに足る決定的な何か、絶対的で、包括的な愛情という何かへ渇望が煩く騒いで止まないなのだ。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/サラエボの花('06)  ヤスミラ・ジュバニッチ <非日常の日常下から、物言わぬ圧迫感で押し潰す恐怖を分娩する物語の重量感>)より抜粋http://zilgz.blogspot.com/2012/02/06.html