1 告白
「一周年記念 大特売!」と看板を下げたトラックが、マイクで記念セールのアナウンスする社員たちを乗せて、軽快な律動感を辺り一面に振り撒いて、町を走り抜けていく。
「全て半額のお値段!全店5割引という開店以来のサービスです!」
そこに流れるメロディは、「高校三年生」。
やがてその爆発的な人気によって、後に「御三家」と称された舟木一夫のデビュー曲である、当時、大ヒットしたメロディに見事に嵌るような女子アナウンスの軽快な旋律が、清水市の目抜き通りを支配していた。
そして、その宣伝カーを恨めしそうに見遣る食料品店の店主。すぐ近くに立つスーパーの前に、特売品を求める消費者が途切れずにラインを成していたからである。
「あんた、スーパーマーケットじゃ、卵一個5円なのよ」と店主の妻。
「5円?」と店主。振り返って、自分の店の卵の価格を確かめたら、「一個11円」と書いてあった。
市内にある、とあるバー。
そこにスーパーの従業員たちが羽振りを利かせて、バーの女たちを相手に「卵喰い競争」で遊興している。女たちは次々に、両手に持ったゆで卵を自分の口に押し込んでいる。それを吐き出す女もいる。店内は、座興と呼ぶにはあまりに下品なゲームで盛り上がっていた。
そんな遊興に堪え難き感情が噴き上がってきたのか、一人の若者が立ち上がって、怒ったように釘を刺した。
「おい!バカな遊びは止せよ!世の中には、卵はおろか、麦飯も食えない人間がいるんだ」
「なら、どうしたってんだ」
一瞬、その場は険悪な空気に包まれて、彼らの上司らしい男が、若者に近寄って来た。彼らはバーの女から、その若者が森田屋酒店の息子であることを知らされていた。
「おい、商売人は商売で喧嘩しよう。あの卵はウチで買うと一個5円だ・・・俺が買ってきたんだ。ドブに捨てようと豚に食わせようと、お前の指図は受けねぇよ」
金を置いて黙って帰ろうとする若者にスーパーの男が引き留めて、有無を言わさず、殴り合いの喧嘩になってしまった。最初に手を出したのは若者であった。
翌日、警察からの連絡で、森田屋酒店の礼子は若者を所轄署に引き取りに行った。
若者の名は幸司。
最近勤めていた東京の会社を辞めて、清水の実家に戻っていたのである。礼子は酒店の未亡人で、今や店を一人で切り盛りしていた。その礼子は幸司の母しずに内緒で、警察に出向いたのである。最近の息子の行状を案じる母に、これ以上の心配をかけられないという礼子の判断だった。同時にそれは、幼少時から幸司の世話を焼いてきた礼子の責任意識でもあった。
幸司と別れて、店に戻って来た礼子を待っていたのは、義妹の久子だった。彼女は、長く一人身でいる礼子の縁談話を持ってきたのである。しかしその話に、全く気乗りのしない礼子を、母のしずだけは柔和な態度で庇って見せた。しずは穏やかで、保守的な女性なのである。
「何だか義姉(ねえ)さん見ると、済まない気がするのよ。この家を任せっぱなしで・・・」
「だって、この家は私の家ですもの」
「でもさ。例えばよ、幸司にお嫁さんでもきたら、義姉さんやりにくくない?」
何も反応しない礼子に、しずは優しくフォローする。
「別に急ぐことはないけど、礼子さんも、一度は考えてみたら」
「はい・・・」と礼子。自分の置かれた状況の変化を察知しつつあるのだ。
その夜遅く、麻雀をしていた幸司はようやく帰宅した。礼子だけが心配して、茶の間で待っていた。
「悪いと分ってて、どうしてそんなことするの?」
「義姉さん怒らせるの、趣味なんだな、俺」
礼子は幸司の将来を案じて、幸司に酒店を継いでもらいたいと洩らした。しかし幸司は義姉こそ、この店を継ぐべきだと主張したのだ。
二人はその後、昔話に花を咲かせた。
礼子が死んだ夫の元に嫁いだのは、幸司がまだ7歳の児童のときで、それから月日は早や18年経っている。幸司は今、25歳の青春期の盛りだ。礼子が嫁いだのは19歳だから、彼女は今、37歳の女盛りということになる。しかし、そんな意識の稀薄なる義姉に、幸司は辛辣に言い放った。
「でも考えてみると、義姉さん、この家(うち)の犠牲になったんだな、18年間」
「犠牲?」
「そうだよ」
「そんなこと・・・幸司さん、覚えてないでしょうけど、あの人の戦死の公報が入ったその晩に、この家が空襲で焼けたのよ」
「皆が疎開したのに、義姉さん一人ここに残って、この店を再建したんだ。義姉さんみたいな人は珍品だな。骨董品だよ」
「何でもいいけど、折角、お店がここまでになったんだから、後は幸司さんに継いでもらいたいのよ・・・」
「俺はやだね・・・」
二人の会話は、いつもどこかで擦れ違う。しかしその擦れ違いの会話を、明らかに幸司は愉しんでいるように見える。
店を継ぐのを拒んだ幸司は、翌日、店の仕事を手伝っていた。
そこに母が戻って来て、食料品店主が首吊り自殺したことを聞かされた。昨晩遅くまで、共に麻雀の卓を囲んでいた幸司は衝撃を受けた。
「スーパーがこの人、殺したんですよ!夕べ遅く家に帰って来て、もう一軒スーパーができるそうだって、もう家はおしまいだなぁって・・・一人で先に死んじゃうなんて・・・」
食料品店主の妻は、幸司の前で激しく泣き崩れた。
その幸司は、久子の夫の提案を聞くことになった。
その提案とは、酒店をスーパーマーケットに替えるというもの。そのため幸司には、中心になって会社経営を担って欲しいと督促された。
幸司は提案自体に不満はなかったが、傾きかけた酒店を、ここまで繁盛させた最大の功労者である礼子を無視する相手の思惑には、とうてい首肯できなかった。久子夫婦の再建プランには、礼子を早く再婚させ、酒店から縁を切って欲しいという本音が潜んでいたのだ。
しかし母のしずには、娘たちのやり方にどうしても納得し切れない思いがある。戦災の苦労が身に沁みているばかりか、旧来の倫理観から簡単に解き放たれることのないしずには、時代の急速な変化の速さについていけない感情があったのだ。
「全て半額のお値段!全店5割引という開店以来のサービスです!」
そこに流れるメロディは、「高校三年生」。
やがてその爆発的な人気によって、後に「御三家」と称された舟木一夫のデビュー曲である、当時、大ヒットしたメロディに見事に嵌るような女子アナウンスの軽快な旋律が、清水市の目抜き通りを支配していた。
そして、その宣伝カーを恨めしそうに見遣る食料品店の店主。すぐ近くに立つスーパーの前に、特売品を求める消費者が途切れずにラインを成していたからである。
「あんた、スーパーマーケットじゃ、卵一個5円なのよ」と店主の妻。
「5円?」と店主。振り返って、自分の店の卵の価格を確かめたら、「一個11円」と書いてあった。
市内にある、とあるバー。
そこにスーパーの従業員たちが羽振りを利かせて、バーの女たちを相手に「卵喰い競争」で遊興している。女たちは次々に、両手に持ったゆで卵を自分の口に押し込んでいる。それを吐き出す女もいる。店内は、座興と呼ぶにはあまりに下品なゲームで盛り上がっていた。
そんな遊興に堪え難き感情が噴き上がってきたのか、一人の若者が立ち上がって、怒ったように釘を刺した。
「おい!バカな遊びは止せよ!世の中には、卵はおろか、麦飯も食えない人間がいるんだ」
「なら、どうしたってんだ」
一瞬、その場は険悪な空気に包まれて、彼らの上司らしい男が、若者に近寄って来た。彼らはバーの女から、その若者が森田屋酒店の息子であることを知らされていた。
「おい、商売人は商売で喧嘩しよう。あの卵はウチで買うと一個5円だ・・・俺が買ってきたんだ。ドブに捨てようと豚に食わせようと、お前の指図は受けねぇよ」
金を置いて黙って帰ろうとする若者にスーパーの男が引き留めて、有無を言わさず、殴り合いの喧嘩になってしまった。最初に手を出したのは若者であった。
翌日、警察からの連絡で、森田屋酒店の礼子は若者を所轄署に引き取りに行った。
若者の名は幸司。
最近勤めていた東京の会社を辞めて、清水の実家に戻っていたのである。礼子は酒店の未亡人で、今や店を一人で切り盛りしていた。その礼子は幸司の母しずに内緒で、警察に出向いたのである。最近の息子の行状を案じる母に、これ以上の心配をかけられないという礼子の判断だった。同時にそれは、幼少時から幸司の世話を焼いてきた礼子の責任意識でもあった。
幸司と別れて、店に戻って来た礼子を待っていたのは、義妹の久子だった。彼女は、長く一人身でいる礼子の縁談話を持ってきたのである。しかしその話に、全く気乗りのしない礼子を、母のしずだけは柔和な態度で庇って見せた。しずは穏やかで、保守的な女性なのである。
「何だか義姉(ねえ)さん見ると、済まない気がするのよ。この家を任せっぱなしで・・・」
「だって、この家は私の家ですもの」
「でもさ。例えばよ、幸司にお嫁さんでもきたら、義姉さんやりにくくない?」
何も反応しない礼子に、しずは優しくフォローする。
「別に急ぐことはないけど、礼子さんも、一度は考えてみたら」
「はい・・・」と礼子。自分の置かれた状況の変化を察知しつつあるのだ。
その夜遅く、麻雀をしていた幸司はようやく帰宅した。礼子だけが心配して、茶の間で待っていた。
「悪いと分ってて、どうしてそんなことするの?」
「義姉さん怒らせるの、趣味なんだな、俺」
礼子は幸司の将来を案じて、幸司に酒店を継いでもらいたいと洩らした。しかし幸司は義姉こそ、この店を継ぐべきだと主張したのだ。
二人はその後、昔話に花を咲かせた。
礼子が死んだ夫の元に嫁いだのは、幸司がまだ7歳の児童のときで、それから月日は早や18年経っている。幸司は今、25歳の青春期の盛りだ。礼子が嫁いだのは19歳だから、彼女は今、37歳の女盛りということになる。しかし、そんな意識の稀薄なる義姉に、幸司は辛辣に言い放った。
「でも考えてみると、義姉さん、この家(うち)の犠牲になったんだな、18年間」
「犠牲?」
「そうだよ」
「そんなこと・・・幸司さん、覚えてないでしょうけど、あの人の戦死の公報が入ったその晩に、この家が空襲で焼けたのよ」
「皆が疎開したのに、義姉さん一人ここに残って、この店を再建したんだ。義姉さんみたいな人は珍品だな。骨董品だよ」
「何でもいいけど、折角、お店がここまでになったんだから、後は幸司さんに継いでもらいたいのよ・・・」
「俺はやだね・・・」
二人の会話は、いつもどこかで擦れ違う。しかしその擦れ違いの会話を、明らかに幸司は愉しんでいるように見える。
店を継ぐのを拒んだ幸司は、翌日、店の仕事を手伝っていた。
そこに母が戻って来て、食料品店主が首吊り自殺したことを聞かされた。昨晩遅くまで、共に麻雀の卓を囲んでいた幸司は衝撃を受けた。
「スーパーがこの人、殺したんですよ!夕べ遅く家に帰って来て、もう一軒スーパーができるそうだって、もう家はおしまいだなぁって・・・一人で先に死んじゃうなんて・・・」
食料品店主の妻は、幸司の前で激しく泣き崩れた。
その幸司は、久子の夫の提案を聞くことになった。
その提案とは、酒店をスーパーマーケットに替えるというもの。そのため幸司には、中心になって会社経営を担って欲しいと督促された。
幸司は提案自体に不満はなかったが、傾きかけた酒店を、ここまで繁盛させた最大の功労者である礼子を無視する相手の思惑には、とうてい首肯できなかった。久子夫婦の再建プランには、礼子を早く再婚させ、酒店から縁を切って欲しいという本音が潜んでいたのだ。
しかし母のしずには、娘たちのやり方にどうしても納得し切れない思いがある。戦災の苦労が身に沁みているばかりか、旧来の倫理観から簡単に解き放たれることのないしずには、時代の急速な変化の速さについていけない感情があったのだ。
(人生論的映画評論/ 乱れる('64) 成瀬巳喜男 <繋げない稜線を捨て去って、振り切って、遂に拾えなかった女>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/12/64.html