「確信は嘘より危険な真理の敵である」 文学的な、あまりにも文学的な

 
「確信は嘘より危険な真理の敵である」―― これは、「人間的なあまりに人間的な」の中のニーチェの言葉である。

「確信は絶対的な真実を所有しているという信仰である」とも彼は書いているが、それが信仰であるが故に、確信という幻想が快楽になるのだ。

  例えば、人がその心の中で大きなストレスを抱えていたとする。

そのストレスは自分にのみ内在すると確信できるものなら、基本的に自分の力でそれを処理して いく必要が出てくる。

ところが、そのストレスが自分にのみ内在するものではなく、自分を取り巻く環境に棲む者たちに共通するものがあると感じ、且つ、その ストレスを惹起させる因子が外部環境に大いに求められると感じたとき、人はそこに、しばしば他者との「負の共同体」と呼べる意識の幻想空間を作り出す。

そのとき、自分の中の特定的イメージがその幻想空間に流れ込んで、それらのイメージが一見整合性を持った文脈に組織化されることで、そこに集合した意識の内 に「確信幻想」が胚胎されてしまうのである。

 人は確信を持ったとき、全く別の人格に自らを変容させる能力を持ち得る のだ。
 
 
(心の風景 /「確信は嘘より危険な真理の敵である」 文学的な、あまりにも文学的な )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2012/06/blog-post_6688.html(7月5日よりアドレスが変わりました)