2012-07-21から1日間の記事一覧

人間をサイボーグにさせない自由の幅  文学的な、あまりにも文学的な

役割が人間を規定すると言われる。 役割が人間を規定することを否定しないということは、人間は役割によって決定されるという命題を肯定することと同義ではない。 そこに人間の、人間としての自由の幅がある。 この自由の幅が人間をサイボーグにさせないので…

苦悩することの可能なくしては、享楽することの可能は不可能である  文学的な、あまりにも文学的な

「苦悩を癒す方途は無意識を意識の衝撃にまでもたらすことであり、決して無意識の裡に沈潜させることではなくして、意識にまで自らを昂揚し、而もよりいっそう苦悩することである。(略)苦悩の悪は、より大なる苦悩によって、より高次の苦悩によって癒える…

禁断の愛の破壊力  文学的な、あまりにも文学的な

禁断の愛は、堅く封印された扉を抉(こ)じ開ける愛である。 その扉を抉じ開けるに足る剛腕を必須とする愛、それが禁断の愛である。 そして、その扉を抉じ開けた剛碗さが継続力を持ったとき、その愛は固有なる形をそこに残して自己完結する。 果たしてそこに…

「確信は嘘より危険な真理の敵である」 文学的な、あまりにも文学的な

「確信は嘘より危険な真理の敵である」―― これは、「人間的なあまりに人間的な」の中のニーチェの言葉である。 「確信は絶対的な真実を所有しているという信仰である」とも彼は書いているが、それが信仰であるが故に、確信という幻想が快楽になるのだ。 例…

「自虐のナルシズム」というイメージの氾濫  文学的な、あまりにも文学的な

私たちの内側では、常にイメージだけが勝手に動き回っている。 しかし、事態は全く変わっていない。 事態に向うイメージの差異によって、不安の測定値が揺れ動 くのだ。 イメージを変えるのは、事態から受け取る選択的情報の重量感の落差にある。 不安であれ…

眼の前に手に入りそうな快楽が近接してきたとき  文学的な、あまりにも文学的な

比べることは、比べられることである。 比べられることによって、人は目的的に動き、より高いレベルを目指していく。 これらは人の生活領域のいずれかで、大なり小なり見られるものである。 比べ、比べられることなくして、人の進化は具現しなかった。 共同…

幸福の選択に博打はいらない  文学的な、あまりにも文学的な

一度手に入れた価値より劣るものに下降する感覚の、その心地悪さを必要以上に学習してしまうと、人は上昇のみを目指すゲームを簡単に捨てられなくなる。 このゲームは強迫的になり、エンドレスにもなるのである。 自己完結感が簡単に手に入り難くなるのだ。 …

「晒された、寡黙なる陰鬱さ」 文学的な、あまりにも文学的な

「察知されないエゴイズム」 これがあるために、一生食いっぱぐれないかも知れない。 人に上手に取り入る能力が、モラルを傷つけない詐欺師を演じ切れてしまうからだ。 「察知されない鈍感さ」 これがあるために、不適切な仕草で最後まで走り抜けてしまうの…

草生す廃道に蹲る意志  文学的な、あまりにも文学的な

絶対的弱者は絶対的に孤独である。 自らが他者に全面依存しているという確信的辛さが、ますます弱者を孤独に追いやり、弱者の自覚を絶対化する。 弱者は、もうこの蜘蛛の糸から脱出不能になる。 弱者はかなりの確率で抑鬱化するだろう。 壊れゆく明日のリア…

それでも人は生きていく  文学的な、あまりにも文学的な

どれほど辛くても、これをやっていれば、少しは辛さを忘れられるというレベルの辛さなら、軽欝にまで達していないのかも知れない。 忘れられる辛さと、忘れようがない辛さ。 辛さには、この二種類しかない。 楽しみを持つことで辛さを忘れられる者を、「躁的…