#その他人文科学

連作小説(3) 死の谷の畔にて

一 私はかつて一度、自死の恐怖の前に立ち竦んだ。 自死へのエネルギーをほんの少し残しながら、それを他の行為に転化することができたことで、何となく救われた。その恐怖はその後、私の脳裏にべったりと張り付いて決して離れることはなかった。 以来私は、…

「勝者」と「敗者」を作り出す飛び切りの娯楽 -------- その名は「風景としての近代スポーツ」

1 「勝利⇒興奮⇒歓喜」というラインを黄金律にする近代スポーツ 近代スポーツは大衆の熱狂を上手に仕立てて、熱狂のうちに含まれる毒性を脱色しながら、人々を健全な躁状態に誘(いざな)っていく。 この気分の流れは、「勝利⇒興奮⇒歓喜」というラインによ…

「最高のルール」なるものと出会うまでの、最低のルールを通過する辛さ

ルールの設定は、敗者を救うためにあると同時に、勝者をも救うのだ。 戦いの場でのテン・カウントは勝敗の決着をつけると共に、スポーツの夜明けを告げる鐘でもあった。これは、坂井保之(プロ野球経営評論家)の名言である。 死体と出会うまで闘いつづける…

視覚の氾濫  文学的な、あまりにも文学的な

沈黙を失い、省察を失い、恥じらい含みの偽善を失い、内側を固めていくような継続的な感情も見えにくくなってきた。 多くのものが白日の下に晒されるから、取るに足らない引き込み線までもが値踏みされ、僅かに放たれた差異に面白いように反応してしまう。 …

11人の迷走する男たちの人間的なる振れ方  文学的な、あまりにも文学的な

「十二人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督)という有名な作品がある。 一人の強靭な意志と勇気と判断力を持った男がいて、その周りに11人の個性的だが、しかし、決定的判断力と確固たる信念による行動力に些か欠如した、言ってみれば、人並みの能力と…

尊厳死の問題の難しさと深淵さ  文学的な、あまりにも文学的な

「自我が精神的、身体的次元において、統御可能な範囲内にある様態」―― 私はそれを「人間らしさ」と呼ぶ。 例えば、耐え難いほどの肉体的苦痛が継続するとき、間違いなく自我は悲鳴を上げ、その苦痛の緩和を性急に求める。 しかし、その緩和が得られないとき…

恋愛ゲームの手痛い挫折者  文学的な、あまりにも文学的な

アンデルセンは、片思いの恋人(ルイーゼ・コリン)に読んでもらうために自伝を執筆し、それを出版した。 その中で自分の数奇な遍歴を誇張し、努力家としての自分のイメージを必死に売り込んだ。 しかし、ルイーズから手紙を送り返されて、嘆くばかりだった…

人間をサイボーグにさせない自由の幅  文学的な、あまりにも文学的な

役割が人間を規定すると言われる。 役割が人間を規定することを否定しないということは、人間は役割によって決定されるという命題を肯定することと同義ではない。 そこに人間の、人間としての自由の幅がある。 この自由の幅が人間をサイボーグにさせないので…

苦悩することの可能なくしては、享楽することの可能は不可能である  文学的な、あまりにも文学的な

「苦悩を癒す方途は無意識を意識の衝撃にまでもたらすことであり、決して無意識の裡に沈潜させることではなくして、意識にまで自らを昂揚し、而もよりいっそう苦悩することである。(略)苦悩の悪は、より大なる苦悩によって、より高次の苦悩によって癒える…

禁断の愛の破壊力  文学的な、あまりにも文学的な

禁断の愛は、堅く封印された扉を抉(こ)じ開ける愛である。 その扉を抉じ開けるに足る剛腕を必須とする愛、それが禁断の愛である。 そして、その扉を抉じ開けた剛碗さが継続力を持ったとき、その愛は固有なる形をそこに残して自己完結する。 果たしてそこに…

「確信は嘘より危険な真理の敵である」 文学的な、あまりにも文学的な

「確信は嘘より危険な真理の敵である」―― これは、「人間的なあまりに人間的な」の中のニーチェの言葉である。 「確信は絶対的な真実を所有しているという信仰である」とも彼は書いているが、それが信仰であるが故に、確信という幻想が快楽になるのだ。 例…

「自虐のナルシズム」というイメージの氾濫  文学的な、あまりにも文学的な

私たちの内側では、常にイメージだけが勝手に動き回っている。 しかし、事態は全く変わっていない。 事態に向うイメージの差異によって、不安の測定値が揺れ動 くのだ。 イメージを変えるのは、事態から受け取る選択的情報の重量感の落差にある。 不安であれ…

眼の前に手に入りそうな快楽が近接してきたとき  文学的な、あまりにも文学的な

比べることは、比べられることである。 比べられることによって、人は目的的に動き、より高いレベルを目指していく。 これらは人の生活領域のいずれかで、大なり小なり見られるものである。 比べ、比べられることなくして、人の進化は具現しなかった。 共同…

幸福の選択に博打はいらない  文学的な、あまりにも文学的な

一度手に入れた価値より劣るものに下降する感覚の、その心地悪さを必要以上に学習してしまうと、人は上昇のみを目指すゲームを簡単に捨てられなくなる。 このゲームは強迫的になり、エンドレスにもなるのである。 自己完結感が簡単に手に入り難くなるのだ。 …

「晒された、寡黙なる陰鬱さ」 文学的な、あまりにも文学的な

「察知されないエゴイズム」 これがあるために、一生食いっぱぐれないかも知れない。 人に上手に取り入る能力が、モラルを傷つけない詐欺師を演じ切れてしまうからだ。 「察知されない鈍感さ」 これがあるために、不適切な仕草で最後まで走り抜けてしまうの…

草生す廃道に蹲る意志  文学的な、あまりにも文学的な

絶対的弱者は絶対的に孤独である。 自らが他者に全面依存しているという確信的辛さが、ますます弱者を孤独に追いやり、弱者の自覚を絶対化する。 弱者は、もうこの蜘蛛の糸から脱出不能になる。 弱者はかなりの確率で抑鬱化するだろう。 壊れゆく明日のリア…

それでも人は生きていく  文学的な、あまりにも文学的な

どれほど辛くても、これをやっていれば、少しは辛さを忘れられるというレベルの辛さなら、軽欝にまで達していないのかも知れない。 忘れられる辛さと、忘れようがない辛さ。 辛さには、この二種類しかない。 楽しみを持つことで辛さを忘れられる者を、「躁的…

「絶対孤独」の闇に呑まれた叫び  文学的な、あまりにも文学的な

「君の現実が悪夢以上のものなら、誰かが君を救える振りをする方が残酷だ」 この言葉は、「ジョニーは戦場へ行った」(ドルトン・トランボ監督)の中で、一切の自由を奪われた主人公が、その残酷極まる悪夢で語られた、イエス・キリストの決定的な一言。 映…

「手に入れたものの小ささ」と「失ったものの大きさ」との損益分岐点の攻防戦

1 「競馬の醍醐味」への「スノッブ効果」的侵入 「ギャンブル依存症」と言ったら大袈裟になるが、私はかつて競馬三昧の生活を送っていたことがあった。 遥か成人に届く前の青臭い頃だ。 アルバイトで知り合った年長の先輩たちから、「競馬の醍醐味」を教え…

「目立たない程度に愚かなる者」の厄介さ

私たちは「「程ほどに愚かなる者」であるか、殆んど「丸ごと愚かなる者」であるか、そして稀に、その愚かさが僅かなために「目立たない程度に愚かなる者」であるか、極端に言えば、この三つの、しかしそこだけを特化した人格像のいずれかに、誰もが収まって…

「脆弱性」―― 心の風景の深奥 或いは、「虚偽自白」の心理学

1 極限的な苦痛の終りの見えない恐怖 こんな状況を仮定してみよう。 まだ眠気が残る早朝、寝床の中に体が埋まっていて、およそ覚醒とは無縁な半睡気分下に、突然、見たこともない男たちが乱入して来て、何某かの事件の容疑事実を告げるや、殆ど着の身着のま…

自己満足感

人は仕事を果たすために、この世界に在る。これは私にしかできないし、私がそれを果たすことで、私の内側で価値が生じるような何か、私はそれを「仕事」と呼ぶ。 この「仕事」が、私を世界と繋いでいく。「仕事」は私によって確信された何かであり、私自身に…

耐性獲得の恐怖

アラン・パーカー監督の「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年製作/写真)についての映画評論を書き終えた際に、その【余稿】のつもりで言及したテーマがある。「ハシシの有害性」についての小論である。 私なりの見解を、そこで簡単に触れた一文を、…

病識からの自己解放

「病気」とは何だろうか。 38度の熱があっても普通に生活するなら、恐らく、その人は「病気」ではない。 微熱が気になって仕事に集中できない人がいるなら、その人は「病気」であると言っていい。 「病人」とは、自らを「病気」であると認識する人である。…

志野の小宇宙

志野茶碗は、何故、かくも日本人の心を打つのか。 温かい白い釉(うわぐすり)に柔らかい土。その釉を汚すことを拒むように、遠慮げに加えられた簡素な絵柄。ナイーブで、自在なラインとその形。特別に奇を衒(てら)って、個性をセールスする愚を拒み、静か…

フォーレの小顕示

私は元々、交響曲が好きではない。 私の狭量な音楽的感性の中では、その騒々しさにどうしても馴染めないのである。敢えて挑発的に言ってしまえば、空間を仕切ったつもりの、その「大顕示」が苦手なのかもしれない。だからワグナーも、マーラーも、ベートーベ…

過分な優越感情に浸る新たな愚かしさ

「集団にとっても個人にとっても、人生というものは風解と再構成、状況と形態の変化、及び死と再生の絶え間ない連続である。人生はまた行動と休止、待つことの休むこと、そして再び、しかし今度はちがうやり方で行動を開始することである。そして、いつも超…

日常性の危ういリアリズム

この国でベストワンの映像作家を選べと言われたら、私は躊躇なく「成瀬巳喜男」の名を挙げる。 確かにこの国には、成瀬より名の知られた巨匠級の映像作家がいる。溝口健二、黒澤明、小津安二郎の三氏である。三氏とも極めて個性的な映像世界を構築し、世界で…

騙し予言のテクニック

確信の形成は、特定的なイメージが内側に束ねられることで可能となる。 それが他者の中のイメージに架橋できれば、確信はいよいよ動かないものになっていく。 他者を確信に導く仕掛けも、これと全く同じものであると言っていい。 その一つに、「騙し予言のテ…

相対経験

経験には、「良い経験」と「悪い経験」、その間に極めて日常的な、その時点では評価の対象に浮き上がって来ない、厖大な量のどちらとも言えない経験がある。 この経験が結果的に自分を良くしてくれたと思われる経験が「良い経験」で、その逆のパターンを示す…