地獄の黙示録('79) フランシス・F・コッポラ <「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>

イメージ 1 ベトナム戦争は、大義なき戦争であった。

 大義なき戦争を戦う者たちが、その自我の拠り所にするものは一体何か。

 そんな戦争であるが故にこそ、何とか自我の折り合いが付けられるような、自分なりの物語を紡ぎ出していくしかないであろう。その物語が紡ぎ出せなかったら、自らの感情に対して抑制的に動く自我を鈍磨させていく以外にない。それ以外にないのだ。そうすれば、戦争に対して過剰なまでにゲーム感覚で走り切ってしまうか、ニヒリズムで逃げ切ってしまうか、或いは、戦場から逸脱する世界に嵌っていくか、などの出口が用意されることになる。それらは大義なき戦争の迷路に囚われた者の、ある種の典型的な身の置き方と言っていいだろう。

 しかし、そんな邪悪なる戦争に疑問を抱かずに、国家が説明した大義を素朴に信じて戦場に赴いた若者もいるだろうし、或いは、大義の意味を理解できなかったり、理解してもそれに無関心であったりする若者も多くいたに違いない。そんな彼らが戦場という名の極限的なフィールドに赴いても、後にPTSDと呼ばれる戦争トラウマとは無縁に、殆ど普通の生活レベルに近い感覚を作り出し、それに馴化することで、その非日常の日常化的状況をやり過ごすことができた若者も存在したであろう。

 また、良心の痛みを覚えつつも、一年の兵役の後、際立った戦争後遺症に囚われることなく、本国での元の生活に適応できた者もいたはずだ。それもまた、様々な意味で緊要な問題なのだが、多分にデフォルメされ、カリカチュア化されたこの映像の守備範囲から逸脱するので、ここでの言及は避ける。
 
 この稿で問題にしたいのは、どこまでも「大義なき戦争の迷路に囚われた者の、その身の置き方」である。
 
過剰適応

 これは、最も厄介な身の置き方である。

 ここでは、そんな身の置き方をした者たちに言及したい。

 映画の中で、このような身の置き方をした者が三人いる。

 一人はキルゴア中佐、もう一人は、フランスのプランテーション農園主、そして三人目が、闇の王国の主のカーツである。彼らは、彼らなりの身勝手な身の置き方でベトナムの戦場に対峙したのである。

  ―― まず、キルゴアの身の置き方。

 それは、過剰なまでに愚劣だった。

 彼は戦場を巨大なゲームランドに仕立て上げて、その大仕掛けでスペクタクルな快楽装置の内に、殆んど抑制力を持たない自我を際限なく解き放っていた。彼にとって、戦場は自らの肥大しすぎた快楽を蕩尽するための空間なのである。

 その快楽を内側からより見えやすいものにするために、彼は「ワルキューレの騎行」(注8)をガンガン響かせた。この音楽の異様な扇動に乗って、男は殺戮のゲームを存分に楽しんだのである。
 このおぞましいゲームの目的は、ただ一つ。サーフィンをすることだ。

男はサーフィンの格好の海岸を確保するために、ベトコンが潜入する小さな村落を、ナパーム弾の煌(きら)びやかな色彩で染め抜いた。「朝のナパーム弾は最高だな」と言い放つ男の自我の爛れ方は、デーヴ・グロスマンが提出した、「否認防衛機構」(「考えられないことを否認する」)という概念のバリアの存在すらも無化してしまっていたのである。
 
それ故、自分の命の危険を顧みない男の振舞いが示すのは、部隊を率いる高級将校としての自己顕示であるよりも、寧ろ、人間の死に対して不感症になってしまった男の自我の、その崩され具合の怖さにこそあったと言えるだろう。

 同時に、そんな男の自我に、「反共の砦としての南ベトナムを死守する」という大義が堅固に棲みついていないことをも、男の一連の行動は充分に証明して見せた。

 男はサーフボードを取り返すためにのみ、ウィラードの乗る哨戒艇を追って、上空からその返還を叫び続けたのだ。

 男の視界には、単にサーフィンを楽しむための海の広がりしか映らないのである。大義を稀薄にした者が戦争の継続力を保証していくには、戦場をゲーマ化する以外になかったということだ。

 大義という物語を失った者が、その物語の実践を要求する場所になお留まるとき、その者たちは、戦場をスペクタクルなゲームランドに仕立て上げていくというような、過剰な適応を果たすことなどで、自らの思考停止状態の欠落意識を抹消しようと図るのである。
 
それもまた、「見える残酷」を乗り越えていくに足る、一つの巧みな方法論であるのか。少なくとも、男の自我が、「ベトナム」という厄介な妖怪に食(は)まれてしまったことだけは疑いようがないだろう。
 
 
(人生論的映画評論/地獄の黙示録('79) フランシス・F・コッポラ <「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/79f.html