ツリー・オブ・ライフ('11) テレンス・マリック  <生命の無限の連鎖という手品を駆使した汎神論的な世界観で綴る、「全身アート」の映像宇宙>

イメージ 11  「シン・レッド・ライン」における「唯一神の沈黙」のイメージ



私が主観的にイメージするテレンス・マリック監督の世界観に必ずしも共鳴するものではないが、しかし、観る者と作り手との世界観の落差に必要以上に拘泥する狭隘な思考を拒否するが故に、私にとって、そこで表現された映像の内実こそが、唯一の評価の対象になり得るものである。

ボイス・オーバーされる内的言語を静かに繋いでいく、テレンス・マリック監督の独特の映像宇宙の素晴らしさに取り憑かれている私には、そこで表現された一級のアートの醍醐味を味わうだけで、もう充分なのだ。

何より、テレンス・マリック監督の素晴らしさとは、映像で提示された人間の根源的問題について、「これが全ての問題の答えだ」と俯瞰して語る者の如く、決して訳知り顔の相貌性を押し出す傲慢さと明瞭に切れていることである。

例えば、「シン・レッド・ライン」(1998年製作)において典型的に表現されていたように、それがどれほど瑣末な内実であっても、内側で語り継ぐことでギリギリに守られる実存的感覚を簡単に失わないように努める者たちの、極限状況下での葛藤や煩悶を丹念に拾い上げていくデリケートな感覚を捨てない、一種特有な作家精神が息づいている素晴らしさには溜息が出る程だ。

ある者は自分に問い、愛する者に問い、「あなた」という名の神に問う。

無論、そこに答えはない。
 
正気と狂気の境である「一本の細く赤い線」 ―― 即ち、「シン・レッド・ライン」を越えた者たちの、苦悩や絶望や危うさに答えられる者など果たしているだろうか。

 「シン・レッド・ライン」における「唯一神の沈黙」のイメージこそ、テレンス・マリックの哲学的テーマの重量感を弥増(いやま)していくのだった。

だから、テレンス・マリックの作品は最も重い映画になった。

それは、瑣末な事態に悩み、煩悶する裸形の人間の実存的感覚の乾きを露わにしつつも、それを晒すときの奥にある、容易に答えの出ない人間の根源的問題を継続的に、己が内的行程の時間のうちに収斂させていくのだ。

しかし、どれほど偉そうなことをレクチャーしても、所詮人間は、その人格総体が包含する能力の範囲の中でしか、「時間」を切り開くことが困難であるということ。

そして、その人格総体の能力の落差など高が知れているということ。

それ以外ではなかった。

あとは全て、単に「運不運」の問題に過ぎないとも言える。

 「原始なる自然」の世界と切れて築いた文明の、未知なる輝きを目眩(めくるめ)く放つ快楽装置に身も心もすっぽり嵌ってしまった以上、もう私たちには、その世界からの自覚的離脱は相当の覚悟なしに殆ど困難であるということだったのか。

 それが人間であり、「進化」を求めて止まない人間の悲しき性(さが)と言うのか。

だからと言って、声高に文明批判を叫ぶことをしないテレンス・マリック監督の客観的な視座は、内的言語による語りの中でのみ、怖れを知る者の心象世界を静かに、或いはしばしば、絶対孤独の際(きわ)にある者の貯留された懊悩の深さを刻んでいくのだ。

そんなテレンス・マリック監督が描く悠久の自然は、あまりに寛容であった。

 何もかも呑み込み、何もかも、あるがままに推移する。
 
そんな自然に則して生きる南太平洋の原住民たちが、そこに呼吸を繋いでいたのだ。

 殺戮に走る者も走らぬ者も、そして彼らを包む大自然もまた、神の創造物ではなかったのか。

 

2  生命の無限の連鎖という手品を駆使した汎神論的な世界観で綴る、「全身アート」の映像宇宙



然るに、万全の準備を経て、2011年にテレンス・マリックが放った本作には、「シン・レッド・ライン」で描かれた柔和なる大自然は、宇宙の誕生と地球の歴史という巨視的視座のうちに包括され、肉食恐竜が支配する弱肉強食の「全身野生」の世界を再現して見せたのである。

そればかりではない。

19歳の次男の喪失に震える信仰深い母親の苦悶は、神の所在を鋭利に問いかけていくことで、「唯一神の沈黙」の「試練」の残酷さを突き抜こうとするのだ。

「神」に問うオブライエン夫人のボイス・オーバーが拾われていく。
 
「私は不誠実でしたか?主よ。あなたはどこに?予期なさってました? あなたにとって私たちは?あなたにとって私たちは・・・答えて下さい・・・あなたに縋ります。我が魂。私の息子・・・我が命の光。あなたを探し求める・・・」
 
この間、提示された構図の全てが一幅の絵画になるような稀有なる映像は、宇宙の誕生と地球の歴史を、最先端の文明の贈り物である、CGを駆使したアートの世界のうちに開いていく。

深い冥闇(めいあん)の中から揺らぐ、真紅に燃え上がった炎が爆発する。

宇宙の始まりを告げ、現在の膨張宇宙に至ったというビッグバンである。

そして、地球上の有機化合物の化学変化によって生まれたとされる原始生命が、複雑な化学進化を経ていく歴史のダイナミズムを描くシークエンスが、独立系のイメージを被せつつも、それが物語の基幹に横臥(おうが)する由々しき展開のうちにインサートされていくのだ。
 
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ツリー・オブ・ライフ('11) テレンス・マリック    <生命の無限の連鎖という手品を駆使した汎神論的な世界観で綴る、「全身アート」の映像宇宙>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/11/11.html