ベニーズ・ビデオ(‘92) ミヒャエル・ハネケ <「両親が何者であり、父が何をするか」を知っている少年の有罪意識の在りよう>

イメージ 11  完成形の作品が居並ぶ稀有な映画監督の、優れて構築力の高い映像の凄み



ハネケ監督の映画を観た後、必ずと言っていいほど、私は次の映画の批評に入る気分が失せてしまっている。

ハネケケ監督の作品で、映像総体の完成度のハードルが一気に高くなってしまった堅固な壁を、難なく跳び越えていく映画と出会う確率が低いという諦めの気分が、私の中で生まれてしまうのである。

情緒過多・説明過多で、不必要なまでにBGMを多用する映画の批評に向かう気力など、とうてい起こりようがないのだ。

全ての映画が私の厭悪する作品ばかりでない事実を認知しつつも、中々、次の作品の批評に向かえないのだ。

何かどうしようもなく、それ以外の映画が稚拙に見えてしまうのである。

しかし、このような映画の見方は、決して歓迎すべき心的現象ではない。

全ての映画とは言わないが、幾つかの作品には、作り手特有の作風や個性や、どうしても訴えたいテーマもあり、その構成において、破綻なく描かれている作品の価値を否定することなどできようがないのだ。

時として、偏見の濃度の高い瑕疵を露呈する私の感覚的な尖りの自己修復を、忽(ゆるが)せにできない課題として内化すべきと、今は括っている次第である。

それというのも、殆ど全ての映画が完成形の作品が居並ぶ、この稀有な映画監督の、優れて構築力の高い映像の凄みがもたらした産物なのである。
 
本篇の「ベニーズ・ビデオ」も、そんな作品の一つだった。



2  「両親が何者であり、父が何をするか」を知っている少年の有罪意識の在りよう ―― その1



以下、本作のDVDの特典映像の、「ミヒャエル・ハネケ セルジュ・トゥビアナ対談」を下地にして、「ベニーズ・ビデオ」の批評を結んだ文章である。

 まず、べニーの少女殺しについて考えてみよう。

 学校も違う見知らぬ少女との会話が弾まず、何とかピザを食べ合う関係の延長上に、べニーは自慢のビデオを見せていく。

 父親の屠殺場で、豚の殺戮現場を録画したビデオである。

このビデオから、「死体を見たことがあるか」という話題に転じた少女に、べニーはとっておきの秘蔵物を見せる。

父親の屠殺場から銃丸入りで盗み出したスタンガンである。

 牛や豚のような畜産動物の屠殺は、額にスタンガンを撃ち込んで気絶(時には絶命)させた後 、頸動脈を切り裂いて出血死させられるのが通常で、スタンガンには屠殺銃の別名がある。
 
その豚の殺戮で使用されたスタンガンを、少女に自慢げに見せるベニーは、「撃てよ」と言って、少女を挑発する。

その挑発に乗らない少女は、スタンガンをテーブルに置く。

「弱虫」とべニー。
「あんたこそ」と少女。

逆に挑発されたべニーは、「撃てば」と言う少女に対して、スタンガンを向けた瞬間だった。

「弱虫」という少女の言葉が再び発せられるや否や、スタンガンの引き金を引いてしまったのである。

腹部を撃たれて悶絶する少女を前に、慌てふためくべニー。

「助けてあげる。静かにして」

そう言って、少女を保護しようとしても、悶絶する少女に拒絶されるだけ。

その直後のべニーの行為は、録画したビデオの世界を「現実」と幻想する、思春期中期の脆弱性を露呈するものだった。

再びスタンガンを手にして、恐らく、額に撃ち込まれて絶命した豚が静かになったように、自ら「死体」を作り出す行為に及んだのである。
 
これが、べニーの少女殺しの顛末だが、この事件の一部始終を、べニーのビデオカメラが撮影していたのだ。

このべニーの行為の一連の流れを見れば判然とするように、べニーの少女殺しが計画的ではないばかりか、スタンガンを手にしたときでさえ、「殺人」という経験への誘発力が中枢の起爆剤になったか否かですら不分明である。

「衝動」という都合のいい言葉が、こういう状況説明に最も相応しいが、それには、「抑えにくい内部的な欲動」というモチーフを不可避とすることを考えれば、厄介な状況下での「人間の心理と行動」の関係を、短絡的に説明することが如何に難しい事柄であるか瞭然とするだろう。

この辺りは、常々、ハネケ監督が警鐘を鳴らしているところである。

「もちろん、最初から相手を傷つけようという悪意のある場合もある。だが、普通はもっと複雑で、偶発的なものだと思う。有罪性というものは、人が罪を犯す行為は漠然としている。明確なものではない」(ハネケ監督の言葉)

事件後、有罪性の意識が希薄であった少年の行為に、「変化」と呼ぶべき何かが生まれていく。

それは、少女殺しが予定の行動ではなかったが故に、時が経つにつれ、少年の心に葛藤が生じているようにも見えるが、一貫して不透明であることには変わりがない。
 
「罪悪感」に結ばれるほどのものではないが、思春期中期の未成熟な自我に生まれた混迷の処理に戸惑したのか、程なく坊主頭になり、それを叱咤する父に対して反抗的な態度を顕在化させていくのである。

そんなべニー少年が、少女殺しのビデオを、両親に見せるに至ったのは、事件を占有する愉悦感とは切れた「非日常」の時間に耐えられなかったとも思えるし、異様に見える「告白」の方略によって事件を「共有・転嫁」しようとしたのかも知れない。

それだけ、事件に対する彼なりの「重量感」を感受していたのだろうが、この「重量感」が明瞭な贖罪意識に結ばれていくには、遥かに険阻なハードルが立ち塞がっているのだろう。

言うまでもなく、贖罪意識とは、自分の犯した罪や過失を償わんとする意識である。

だから、その主体の内側に有罪意識がなければ成立しない概念だ。

有罪性とは、当該社会の規範や倫理に反する行為の総体である。
 
べニー少年に、この類の意識の形成が、果たしてどのような様態のうちに見られたのか。

そこにこそ、この映画の基本的問題意識がある。


 改めて、考えてみよう。


 事件後、べニー少年は、母とのエジプト旅行に出ることで、有罪性の意識を希釈化させるアンモラルな行動に振れていくが、すっかり「死体」の後始末を終えた父の待つ自宅に帰宅したときの、父子の会話があった。

 「聞きたいことがある」
 「何?」
 「なぜ、あんな事したんだ?」
 「あんな事?・・・分らない。どんなものかと思って。たぶん」
 「どうかって・・・何が?・・・そうか」
 
これだけである。

どんなものかと思って・・・これは私にとって、現実と関わりを持てない人間の言葉だ。なぜなら、人はメディアを通して、人生を知り、現実を知る。そして欠落感を覚える。僕には何かが欠けている。現実感がないと。もし、私が映画しか見なければ、現実は映像でしかない」(ハネケ監督の言葉)

「どんなものかと思って・・・」というべニーの言葉に張り付く感覚は、ビデオ三昧の生活の日常性のうちに拾われた「現実感覚」の中で、既に少年の未成熟な自我が、限定的な生活のゾーンで入手した情報吸収の感度を既定する、経験的なアクチュアル・リアリティ(現勢的現実)の様態を希釈化させている事実を端的に検証していると言っていい。

そんなべニー少年の、心の変容の契機を伝える重要な描写があった。

母とのエジプト旅行で、有罪性の意識を希釈化させる幾つかのエピソードを経て、母子はホテルのベッドでテレビを観ていた。

テレビ画面は、エジプトの女性シンガーグループが、民族性の豊かなポピュラー音楽を楽しそうに歌っていた。

それを漫然と観ていた母が、突然嗚咽し、見る見るうちに号泣に変わっていくのだ。

傍らで横たわているべニーの表情には、全く予想だにしていなかった母の反応に当惑し、衝撃を受けた者の精神的混迷の相貌性が炙り出されていた。

「どうしたの・・・?」

心配げに言葉をかけても、一度吐き出された情動の氾濫を抑える術など何処にもない。

天井を仰ぎ、考え込む様子のべニーの内面に何かが起こったように見える。

少なくとも、このときのべニーの表情には、エジプト旅行で束の間、浮かれるパフォーマンスを露わにした軽走感覚が削り取られていた。

然るに、このときのベニーの感情を支配していたのは、必ずしも、母親に対する憐憫の情などではないだろう。

恐らく、自らが犯した行為をどこまでも過失だと考えているが故に、母の号泣を目の当たりにしたことで、両親の有罪性を再確認させられるだけだったのではないか。

ハネケ監督はこのシーンに言及していないが、私はこのシーンこそ、常軌を逸したようにも思える、両親の告発というべニーの行為の決定的モチーフになったと考えている。

いずれにせよ、このワンシーン・ワンカットの構図が、母とのエジプト旅行のラストカットになって、忌まわしき事件のあった場所に帰宅するに至った。
 
「エジプトへの旅行は、当然ある種のサインで、少年は逃げたのだ。責任から逃れるために旅立った。だが、そのために罪はもっと深くなる。母は、夫が何をするかを知っている。少年は罪を知っている。撮影したのだから。両親が何者であり、父が何をするか。少年はよく知っている」(ハネケ監督の言葉)


 ハネケ監督の言うように、べニーは両親の有罪性を知っているのだ。

「両親が何者であり、父が何をするか」を知っているのだ。

「同時に、それは大いなる挑発でもある。対決なんだ。少年はこう思っている。見ろよ、これがあんたらが俺にしたことだ 私にとって、これは家族の再生などではない。むしろ完全な断絶だ」(ハネケ監督の言葉)

恐らく、ハネケ監督の言う通りだろう。
 
べニーが両親にビデオを見せたとき、両親の信じ難い反応に違和感を抱いたこと。

「見ろよ、これがあんたらが俺にしたことだ」というハネケ監督の指摘が正鵠を射るならば、両親の信じ難い一連の行為への違和感が、事態をより厄介なものにしてしまったというネガティブな感覚が惹起し、一気に不信感にまで肥大化していったのだろう。

過失であるに過ぎないと信じる出来事を由々しき事件として処理し、死体を解体・末梢するという「死体遺棄事件」にまで広がりを持たされてしまったこと。

この不信感が、両親に対する告発という行為の心象風景として横臥(おうが)していると、私は考えている。

両親に対する告発という行為によってのみ、少年の内側でとぐろを巻いている、訳の分らない情動を処理していく術がなかったのではないか。

そう思うのだ。

 
(人生論的映画評論・続/ベニーズ・ビデオ(‘92) ミヒャエル・ハネケ   <「両親が何者であり、父が何をするか」を知っている少年の有罪意識の在りよう>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/09/92.html