夢売るふたり(‘12)  西川美和<人間が複雑に絡み合うときの、複層的なイメージを存分に想起させる逸品の切れ味>

イメージ 11  人間が複雑に絡み合うときの、複層的なイメージを存分に想起させる逸品の切れ味



「良い映画」と「良くできた映画」。

「私の中の秀作」を勝手に分類すれば、この二つに収斂される。

「良い映画」とは「心に残る映画」であり、「良くできた映画」とは「完成度の高い映画」のこと。

この二つが融合される映画こそ、私が最も求めている映画であるが、滅多に出会うことはない。

敢えて言えば、ミヒャエル・ハネケ監督の殆ど全ての作品がこれに該当するが故に、当然、ハネケ監督の作品を観ることが、私にとって至福の時間になる。

古い映画を例に出せば、私が外国映画ナンバーワンと惚れ込む、ジェリー・シャッツバーグ監督の「スケアクロウ」(1973年製作)。

それ以外にないような、決定的なラストカットの切れ味の鋭さに言葉を失うほどだった。

更に、近年の邦画では、抜きん出た完成度の高さに驚かされた、吉田大八監督の「桐島、部活やめるってよ」(2012年製作)が印象深い。

観終わった後、「これを超える『学園ドラマ』は、もう出ないのではないか」と思った。

私にとって「心に残る映画」とは、人間の分りにくさを、分り切った者の如く、決して描かないタイプの映画である。

複雑な人間の複雑な振舞いの、主観的に目立った一点のみを切り取って、「この人は、こういう人間だ」などと分り切って見せるようなタイプの作品が多い、娯楽中心のハリウッド系の映画を、私は最も嫌う。

分りにくさと共存することへの不快感が、単純に語ってくれる言辞の集合に雪崩れ込んでいく。

この風潮に、私は全く馴染まない。

「愛こそ全て」などと言って、一切の人間の事象を、出入り口自在な、簡便な言辞で撮り逃げする映画を最も嫌う私の性向は、もう変えようがないのである。

以上の口幅ったい物言いで明瞭だが、人間の複雑さを、単純な言葉でトータルに総括することを拒絶する映画 ―― このような作品が、私にとって最も「心に残る映画」になる。

映画の分りにくさが、観る者の知的過程を開いていく。

存分に考えさせる余地を残してくれる作品が、最も良い。

だから、度々、へとへとになる。

黒澤明監督の「羅生門」(1950年製作)の批評を書く際に、一人一人の人物造形の心理を精緻に追う作業に、すっかり疲弊し切ってしまった記憶が、今でも深く印象付けられている。

羅生門」は「良い映画」であると同時に、「良くできた映画」であると評価していたから没頭できたのである。

心地良き疲労感。

これが最高にいい。

これほどの映画が作られ、息づいていた時代の映像文化に誇りを持つ所以である。

さて、この「夢売るふたり」。

映像作家の本領を発揮して、確信犯的にリアリティを蹴飛ばしたばかりか、無駄な描写が多いように思われるこの映画を、100%「良くできた映画」と呼ぶのに躊躇するが、私はこの映画を大変気に入っている。
 
シンプルな構成でまとめた「蛇イチゴ」(2003年製作)と、そこだけは切れて、複数の登場人物の心の振幅を様々に切り取ったこの映画は、一貫して、この作り手の問題意識を投影させる作品になっていた。

しかも、その中枢に据えた「物言わぬヒロイン」(西川美和監督の言葉)が身体表現する複雑な展開には、分りにくい人間の、その分りにくさを考えさせてくれるに足る鮮烈なインパクトがあった。

本作が最も素晴らしいのは、分りにくい人間の、その分りにくさを、一人の女性に特化して、そこだけは限りなく、「描写のリアリズム」を壊さないギリギリの辺りを、累加されていく非日常の〈状況〉の渦中で揺動し、冥闇(めいあん)の森で漂流する内的風景の振幅を包括しつつ、「心理的リアリズム」の筆致で精緻に描き切った構成力の成就にある、と私は考えている。

更に、この映画が、私にとって「心に残る映画」になり得たのは、僅かなシーンでの短い台詞を完璧に表現して見せた、安藤玉恵扮する、風俗嬢・紀代の人物造形の決定力である。

正直、思わず、目頭を熱くさせてしまった。

西川美和監督の映画で、初めての経験である。

「私は今が幸せだよ。こんなざまだけど、自分の足で立ってるもん。自分で自分の人生に落とし前つけられれば、誰に褒められなくっていいもの」

ただ、これだけのことを語ったに過ぎない。

しかし、力があった。

風俗嬢の紀代が、結婚詐欺を働く貫也と、彼女のヒモに放った言葉に力があったのは、静かだが、一言一言に深い情感が張り付いていて、体を売って生きる彼女の人生観と呼べる思いの結晶が、凛とした態度のうちに身体表現されていたからである。

この台詞に触れたときの感動は、決して忘れることがないだろう。

何より、多くの観客に、この映画で深い感銘を与えたのは、ウエイトリフティング選手のひとみの誠実な人柄であると想像し得るが、私には、結婚詐欺を働くことで、「偽造された人生」を繋ぐ夫婦の生き方に対する、極めつけのアンチテーゼの重量感を乗せた紀代の表現が内包する力に、殆ど絶句する思いだった。

「物言わぬヒロイン」を演じ切った松たか子

その夫役の阿部サダヲ

風俗嬢・紀代を演じた安藤玉恵

この3人が表現し得た内面描写の素晴らしさ。

そして、様々に解釈可能なラストカットの構図。

この映画は、人間が複雑に絡み合うときの複層的なイメージを存分に想起させて、私にとって逸品と言っていい作品だった。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/夢売るふたり(‘12)  西川美和<人間が複雑に絡み合うときの、複層的なイメージを存分に想起させる逸品の切れ味> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/12/12_28.html