極限状態に放り込まれた人間の復元困難な脆弱性

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1  人間が人間であることの根源性が問われ、究極の試練に押し込まれていく
 
  
 
大東亜戦争」という名で閣議決定された太平洋戦争は、人間が人間であることの根源性が問われる「内なる戦争」だった。
 
太平洋の島々に置き去りにされ、食糧の供給を断たれた下士官・兵士たちの自我は壊れ、もう、生き残るためには手段を選ばない辺りにまで堕ち切っていく。
 
「戦場のリアリズム」の極限状態に放り込まれ、それ以外の選択肢を持ち得ない彼らの現実は、「今・ここ」を如何に生き延びるかというテーマのみが切っ先鋭く突き付けられて、ほとんど「何でもあり」の地獄巡りを強いられるのだ。
 
「利他性」も「利己性」も、共に、私たち人間の「生き延び戦略」の範疇に収斂される現実を想起する時、「戦場のリアリズム」の極限状態に放り込まれた人間が、多くの場合、「利他性」よりも「利己性」の行動に振れるのは不可避である。
 
7700人以上の戦死者を出したノモンハン事件(1939年)に深く関与し、「作戦の神様」(悪魔の参謀)と称された辻政信や、補給線を軽視したことで、3万人以上の犠牲者(半数以上が食料不足による餓死・病死者)を出した、無謀なインパール作戦(1944年/「白骨街道」)を挙行した牟田口廉也、等々に集約されるように、この国の、底抜けに間抜けな「幕僚統帥」(幕僚=参謀が統帥権を持つこと。だから、現地参謀はやりたい放題になる)の暴走によ苛酷な運命を辿っていく。
 
その「幕僚統帥」が犯した戦争犯罪が隠し込まれ、「幕僚統帥」の犠牲者であると同時に、戦争犯罪の「加害者性」から免れ得ない末端の下士官・兵卒の「戦場のリアリズム」の風景は、人間が人間であることの根源性が問われる究極の試練に押し込まれていく。
 
自分と自分でないものを区別する心的な境界、即ち、「自我境界」を維持する機能としての、自我の働きの中枢機能が侵され、妄想状態に支配されていく確率を一気に高めていく。
 
この「自我境界」は、通常、単に自分が感じ、意識している現象に過ぎないのか、それとも、外部世界で実際に惹起している現実なのかという事象を認知する、私たちの自我による、「現実検討能力」(自己が置かれている状態を客観的に分析する能力)によって守られ、維持されるものである。 
 
しかし、極度の疲労やストレスなどから自我機能が極端に低下すると、「自我境界」が緩んで、自分の内面で起こっている観念系の現象と、外界で起こっている現実を区別する「現実検討能力」も必然的に低下する。
 
強い意志や、セルフコントロールの努力を求められる「仕事」は疲弊するのである。
 
意志力のエネルギー量には限りがあるのだ。
 
無理に頑張って「仕事」(敵との交戦)をした後で、次の難題が降りかかってきたとき、私たちはセルフコントロールの資源を劣化させてしまう。
 
この現象を、「自我消耗」と呼ぶ。
 
「自我消耗」の状態を生じさせたら、「もう、ギブアップしたい」という衝動に駆り立てられる。
 
この直後、殆ど困難なタスク、例えば、「攻撃限界点」(攻撃能力の優勢の頂点)が崩され、断崖の際(きわ)にまで追い込まれた「戦場のリアリズム」の渦中で、強引な「前線突破」の命令が課せられると、呆気なく降参してしまうのである。 
 
「自我消耗」の状態に陥ると、強力なインセンティブを受けることなしにモチベーションが一気に低下し、他の「仕事」(敵との交戦)への努力に傾注できなくなるのだ。
 
機動部隊の主要な航空母艦4隻と、艦載機を一挙に喪失する大損害を被ったミッドウェー海戦(1942年6月)で徹底的にフルボッコ状態にされ、太平洋戦争での敗走の転換点となったガダルカナル島の撤退(1943年2月)で戦線を押し込まれた日本軍は、言葉だけは偉そうな「絶対国防圏」(大日本帝國が策定した防衛計画)が、サイパン島陥落(1944年7月)によって崩壊した。
 
今や大本営は、最後の決戦地をフィリピン、台湾・沖縄、千島・樺太のいずれかの地域に求めることを検討した結果、米軍がフィリピンに来攻する場合を「捷1号」と呼び、そして、「捷2号」(台湾・沖縄)、「捷3号」(九州・四国・本州)、「捷4号」(北海道)という、有名な「捷号(しょうごう)作戦」を策定する。
 
陸海軍の航空戦力を統一運用する「捷号作戦」だったが、既に、「あ」号作戦(マリアナ沖海戦・1944年6月)において、600機の約6割が壊滅的打撃を受けていて、練度も低く、米軍進攻を防御する手立てを持ち得なかった。
 
米軍のレイテ島の進攻を受け、物資輸送が不可能であるという理由で反対した山下奉文大将(フィリピン防衛を担当)の提言を押し切って発動されたのが、「捷号作戦」の「捷1号」。
 
1944年10月19日のことである。
 
日本軍の残存兵力を投入した作戦であるにも拘らず、お決まりの「戦果の誇大報告」による大本営の状況認識の混乱もあり、当然ながら、海軍は米軍上陸船団の撃滅に失敗し、大敗を喫する。
 
レイテ島死守という至上命令があっても、レイテ島への輸送船の多くが撃沈されるという、あまりにお粗末な致命的損失が、この島の其処彼処(そこかしこ)に凄惨な地獄絵図を曝け出すのだ。
 
前線への輸送の停滞によって置き去りにされた下士官・兵卒たちの、哀れを極めた風景が曝け出され、人間が人間であることの根源性が問われてしまったのである。
 
 
  
2  補給網が遮断され、撤退作戦が頓挫を来したレイテの地獄絵図
 
 
  
フィリピン・レイテ島での日米軍の陸上戦闘は、正視できない凄惨さを極めていた。
 
5万名に及ぶ兵力をレイテ島に投入し、大結集するが、前述したように、輸送途中で大損害を被り、ここでも、いつものように補給の見通しの甘さが露呈される。
 
レイテ島で多くの餓死者を出したのは、この補給網の遮断に起因する。
 
日本軍には、輸送船の護衛が必要なことなど、初めから念頭になかったのである。
 
米海軍の潜水艦による輸送船撃沈の悲劇の象徴のような「対馬丸事件」(沖縄からの多くの疎開学童を含む1500人近い犠牲者を出す)の他に、米軍の攻撃によって20隻以上の船舶が沖縄・奄美近海に沈んだ史実の重さが示すのは、敵の中枢を致命的に破壊するという近代戦に突入しても、日本の潜水艦が敵の輸送船攻撃に消極的で、且つ、「敵は輸送船を狙うはずがない」などという自己基準の決めつけが、なお生き残されていたからである。
 
だから、補給の見通しの甘さを最後まで克服できなかった。
 
あろうことか、大日本帝国陸海軍は、形骸化した「武士道精神」で近代戦を戦ったのである。
 

時代の風景 「極限状態に放り込まれた人間の復元困難な脆弱性」 より抜粋http://zilgg.blogspot.jp/2017/06/blog-post_25.html