ヒトラーの忘れもの('15)  マーチン・サントフリート

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<「葛藤の行動化」 ―― デンマーク軍曹に張り付く矛盾が炸裂する>


1  空をも焦がす爆裂の恐怖の中で、地雷を除去するドイツ少年兵たちの物語


第二次世界大戦後、ナチス・ドイツが崩壊した1945年5月のこと。

「諸君の任務を説明する。諸君は、このデンマークで、戦争の後始末を行う。デンマークは、ドイツの友好国ではない。我々デンマークの国民は、ドイツ兵を歓迎しない。諸君は憎まれている。諸君を動員した目的はただ一つ。ナチスは我が国の海岸に地雷を埋めた。それを除去してもらう。ナチスが西海岸に埋めた地雷は220万になる。他の欧州の諸国の合計を上回る数だ。連合国軍の上陸を阻止する目的だった」

エベ・イェンスン大尉(以下、エベ大尉)の声が、大きく響き渡った。

ここで言う「諸君」とは、戦争捕虜となった、大半が少年の12名のドイツ兵。(のちに2名が参加し、14名に)

当然ながら、彼らには、抵抗すべき能力の何ものもない。

そんな彼らを支配し、管理するデンマーク下士官がラスムスン軍曹。

地雷を扱ったことがないドイツ少年兵には、「はい、軍曹」という返答しか持ち得ない。

「黒い旗と小道の間に、4万5千個の地雷がある。全部、除去しろ。除去が終われば家に帰す。それが終わるまでは帰れないぞ。1時間に6個の除去を行い、爆死しなければ、3ヶ月間後には帰れる」

ラスムスン軍曹の声も、大きく響き渡った。

海岸にある、黒い旗との間に埋められている地雷の除去。

これが、少年兵たちが命じられた、途轍(とてつ)もない任務の内実である。

命を懸けた、危険な作業に身を投じる以外の選択肢がない少年兵たち。
かくて、エベ大尉の指導のもと、本物の地雷の除去の訓練を経て、この任務なしに帰国できない状況に置かれた少年兵たちの、絶望と苦闘の物語が開かれていく。

横一列になって、砂浜を匍匐(ほふく)しながら、一本の棒を砂浜に突き刺しながら地雷を捜す。

地雷を発見したら、それを知らせ、衝撃を与えないように、地雷の信管を慎重に抜き取る。

弾薬を発火させる起爆装置=信管を抜き取ったら、それを地図に記入していく。

信管を抜き取った地雷であっても、大量の弾薬を含むので、この危険物も慎重に扱わねばならない。

対人地雷には、ワイヤーによって、ピンが抜かれて爆発する「引張式」もあるから要注意なのだ。

加えて言えば、第二次世界大戦中に独軍が開発した箱型の対人地雷・「S-マイン」は、信管を踏むや否や、爆発によって高く飛び上がるので、地雷を踏んだ人物以外にも被害を与えると言われている。

この脅威の危険物・4万5千個の地雷の除去が終わるまで、この作業が続くのだ。

訓練中に、既に爆死する現場に立ち会い、地雷の恐怖を知っている少年兵たちには、「その日」の命の保持だけが全てだった。

作業を終えるや、少年兵の唯一の塒(ねぐら)となっている小屋が、ラスムスン軍曹によって鍵(閂=かんぬき)をかけられ、物理的に封印される。

そして、命を繋ぐ食糧が滞る事態もまた、少年兵たちにとって、何より厄介な問題だった。

少年兵たちの中に、セバスチャンという、寡黙で思慮深い少年がいる。

そのセバスチャンは、2日間滞っている食糧が、いつ届くかと軍曹に尋ねた。

「どうなろうと関係ない。勝手に餓死しろ。ドイツ人は後回しだ」

この一言で、あっさり片付けられてしまう。

「はい、軍曹」

相手の眼を見て、はっきりと返事をすることが義務付けられている少年兵には、返答すべき言辞は一つしかないのだ。

そんな少年兵たちは飢えを凌ぐために、ドイツ軍の少壮(しょうそう)将校だったヘルムートが家畜の餌を盗み、それを食べた少年たちが食中毒を起こしてしまう。

その結果、双子(ヴェルナー・レスナーとエルンスト・レスナー)の弟が、食中毒によって体調を崩し、1時間の休憩を求めても、軍曹に拒否され、作業に戻るように言われるだけ。

飢えに苦しむ少年兵たちの中で、事件・事故が起こるのは不可避だったのだ。

最初の犠牲者を出してしまうのである。

食中毒を起こしたヴィルヘルムが、地雷除去の只中で、両腕立を吹っ飛ばされてしまったのである。

この「予約」された悲劇を知り、救助を求められ、迷った末に、ラスムスン軍曹はヴィルヘルムを救護センターに預けるが、少年の様子が気になった軍曹がセンターに訪ねて行ったとき、既に死亡したことを知らされる。

ラスムスン軍曹が少年たちに食糧を分け与えたのは、この一件を知った直後だった。

センターのパンを手に持ち、帰っていくラスムスン軍曹。

その現場を視認するエベ大尉。

軍曹が率いる少年兵たちによる地雷除去の作業を介して、その関係構造の変化を読み取るデンマーク将校と、デンマーク軍曹との間に、亀裂が生じていくシーンとして映像提示される。

食糧を得た少年たちに待っていたのは、地雷除去の作業の負担増だった。

エベ大尉によって、軍曹に与えられた任務の遅れを取り戻すためである。

それでも、食糧を得たことで元気を取り戻す少年たちは、帰国後の希望を語り合う時間を共有する。

ラスムスン軍曹の報告で、ヴィルヘルムが帰国を果たしたことを聞いたこと ―― それが、このような時間を可能にしたのである。

この報告が事実でないことは、観る者だけが知っている。

しかし、このヴィルヘルムの一件以降、ラスムスン軍曹の内面に変化が現れてきたことも、観る者だけが知っている。

その契機に、仲間を思う強い思いで、自分に話しかけてくるセバスチャンの存在があった。

そんな軍曹が、エベ大尉から睨(にら)まれていくのは必至だった。

セバスチャンと軍曹との関係が、まるで、親子のような関係に昇華していけばいくほど、英軍将校との対立は深刻になっていく。

そんな状況下で、二人目の犠牲者が出た。

作業中、セバスチャンが2個重なった地雷に気付いた時だった。

大声を上げたセバスチャンの注意に気づくことなく、双子の兄のヴェルナーが爆死するに至る。

信管を抜き取った後、地雷のワイヤーを引っ張ったことで、爆破してしまったのである。

敵を油断させて仕掛けた「ブービートラップ」である。

この結果、残された弟のエルンストは、その衝撃を受け止められず、一切の拠り所を失い、喪失感を深めていく。

祖国での会社経営を語リ合っていた双子の夢が、瞬時に崩壊するに至ったのである。

この事故は、ラスムスン軍曹が変化していく決定的なモチーフになっていく。

地雷除去の作業に休日を設け、少年たちと共にサッカーに興じるのだ。

映像は、少年たちの笑顔を初めて見せる。

しかし、それは束の間(つかのま)の休日だった。

愛犬が地雷の犠牲になってしまったのだ。

この一件は、ラスムスンを「鬼の軍曹」に戻してしまう。

本作の中で最も重要なエピソードなので、後述する。

少年たちを震撼(しんかん)させる事故が起こった。

海岸沿いに住む農家の幼女が地雷原に入り込み、その母親が軍曹に救助を求めるが、不在だったので、セバスチャンが危険なエリアに入り、幼女の救出に向かう。

しかし、今や、兄を喪ったトラウマで自我が半懐しているエルンストが、危険を顧(かえり)みることなく、砂浜を歩いて幼女に辿り着く。

セバスチャンが幼女を救出した後、エルンストだけが戻らず、海岸に向かっていくのだ。

エルンストに戻るように促す少年たちの声を無視した結果、エルンストの爆死が出来(しゅったい)する。

本質的に、この事故死は、最も信頼する兄を喪い、心的外傷を負ったエルンストの自殺であると言っていい。

悲劇が終わらない。

空をも焦(こ)がす爆裂があった。

信管を抜き取り、地雷をトラックに運んでいた複数の少年兵が、一瞬にして爆死してしまうのである。

先述したように、信管を抜き取った地雷であっても、大量の弾薬を含むので危険極まりないのだ。誘爆し、大爆発を引き起こしてしまったのである。

もう、限界だった。

今や、生き残った少年兵は4人のみ。

セバスチャンとヘルムートも、生き残った少年兵の中にいた。

ラスムスンは、少年兵をドイツに帰国させようとする。

生き残った4人を救うのは、それ以外の選択肢がなかった。

しかし、生き残った4人ばかりか、ラスムスンも騙される。

エベ大尉は、7万2千個の地雷があるスカリンゲンという、「デンマーク最後の地雷原地帯」と言われる危険地帯に、4人を送るのだ。

地雷除去の経験者が必要だったからである。

エベ大尉に抗し、ラスムスンは「国に帰してやってくれ。頼む、死なせたくない」と強く申し入れるが、「命令だ」の一言で全く取り合わない将校。

「エベ」と呼び捨てしてまで迫るラスムスンが、最後に選択したアクションは、セバスチャンら4人をトラックから下ろし、「国境は500メートル先だ。走れ」と言って、解放する行動だった。

自らを犠牲にしてまで逃がしてくれるラスムスンに、声をかけられず、後方を振り返りながら走っていくセバスチャン。

いつまでも、少年兵を見つめ続けるラスムスン。

ラストカットである。

空をも焦がす爆裂の恐怖の中で、地雷を除去するドイツ少年兵たちの物語が終焉する。

「2000人を超えるドイツ軍捕虜が除去した地雷は、150万を上回る。半数近くが死亡、または重傷を負った。彼らの多くは少年兵だった」(キャプション)

伏線描写や音楽の多用、「スーパー少年」(セバスチャン)に象徴されるシンプルなキャラクター設定、等々、相当にハリウッド的だが、それでも感銘深い映像だった。

人生論的映画評論・続「人生論的映画評論・続: ヒトラーの忘れもの('15)  マーチン・サントフリート」(’15)より