<「強者VS弱者」という類型的な「ラインの攻防」 ―― その際立つシンプリズム>
1 「俺には屈辱でしかない。ほぼ拷問だ。求職者手当はやめる」
「病気による“支援手当”の審査です。まず、誰の介助もなしに、50メートル歩けますか?」
「ああ」
「どちらかの腕を上げられますか?」
「ああ」
「帽子をかぶるぐらい、腕は上げられますか?」
「手足は悪くない。カルテを読めよ。悪いのは心臓だ」
「帽子はかぶれるということ?」
「ああ」
「電話のボタンなどは押せますか?」
「悪いのは指じゃない、心臓だって言ってるだろ?」
「簡単な事柄を人に伝えられないことは?」
「ある。心臓が悪いのに伝わらない」
「そういう態度を続けると、審査に影響しますよ。急に我慢できなくなって、大便をもらしたことは?」
「ないけど、こんな質問が続くと漏らすかもな。一つ聞くが、あんた、医療の視覚は?」
「私は労働年金省によって任命された医療専門家で、給付の審査を。弊社は政府の委託事業者です」
「看護師か?医者か?」
「医療専門家です」
「いいか、俺は心臓発作で足場から落ちかけた。早く仕事に戻りたい。心臓の話をしてくれ」
この冒頭の会話で、本作の主人公ダニエル・ブレイクが置かれた状況が透けて見えるだろう。
政府の委託で“支援手当”の給付の審査を担当した、件(くだん)の労働年金省から、「あなたは受給の資格なしと決定しました」と記載された通知を読むダニエル。
この決定に不満を持つダニエルは、2時間近く待たされた挙句、電話で抗議するが、「義務的再審査を申請して下さい。再審査で同じ結果が出たら、不服申し立てができます」という反応。
それを受容したダニエルは、認定人からの電話を待つことになる。
要するに、再度、審査を受けるということなのだ。
そのダニエルについて。
イギリス北東部の町ニューカッスル。
この街で、情緒障害の妻を介護しながら、大工として働いてきた一人暮らしのダニエル・ブレイクが、心臓発作で足場から落ちかけたことで、主治医から仕事を止めるように忠告されたことで、疾病による支援手当を受給するために役所を訪れた時の会話が、冒頭のシーン。
「支援手当の受給の資格なし」
翌日、役所から届いた書類には、空疎(くうそ)な文字が踊っていた。
その後、支援手当を受給するために孤軍奮闘するダニエルを、主人公の内面に入り込んだカメラが追っていく。
支援手当の申請書に不可欠なパソコンを役所の職員から習ったり、「履歴書の書き方講座」に参加したりするが、全て強制的な指示で動かされるから、手馴れないダニエルがストレスフルな状態になっていくのは必至だった。
システムが完全にデジタル化されているので、ダニエルには手に負えない代物なのである。
とうとう、ダニエルのストレスが炸裂する。
ロンドンから引っ越してきたばかりのシングルマザーが、バスの乗り間違いで、審査の時間に遅れてしまったことが原因で審査を受けられず、役所の職員と言い争っている現場に遭遇した時だった。
「彼女の話を聞け。税金分の仕事をしろ。恥を知れ!」
職員を怒鳴り飛ばしたダニエルは、そのシングルマザーと共に、役所から追い出されてしまう。
この出会いが契機となって、件のシングルマザーと知り合い、電気も引けない自宅アパートに誘われ、料理を御馳走になったり、大工仕事を請け負ったりする。
難なく修理を熟(こな)すプロのダニエル。
件のシングルマザーの名はケイティ。
父親が異なる2人の子供を育てている。
2年間、ホームレスの施設で暮らしていたが、ロンドンでのこの生活環境に限界を感じ、役所の紹介を介して、老朽化したアパートに引っ越して来たという訳だ。
一方、ダニエルは、週に35時間以上の求職活動をすることが手当受給の条件と言われ、その気のない求職活動をしても、証拠がないと役所に突っぱねられる始末。
「履歴書の書き方講座」に参加したのは、この時だった。
次第に逼迫(ひっぱく)する生活。
フードバンクの長い列に並んだり、大工道具以外の「資産」を売ったりして、糊口(ここう)を凌(しの)ぐのだ。
ケイティも同様だった。
スーパーで万引きに及び、「犯罪」を免除してもらう代わりに、売春婦になっていく。
どうやら、この手口はスーパーの常套手段だった。
ケイティも察しがついていた。
この事実を知ったダニエルは、既に、売春婦で稼いでいるケイティを訪ねる。
「こんなことはするな」とダニエル。
「あなたには関係ないわ。帰って」とケイティ。
激しく動揺し、走って外に出たケイティを追うダニエル。
「こんな所であなたと会えない。帰って」
号泣してしまうケイティを胸に抱き、体全体で優しく包み込むダニエル。
「300ポンド稼いだわ。子供たちに果物を買える。止めるなら会わないわ。あなたとは、これきりよ。やさしくしないで。心が折れるから」
そう言って、売春宿に戻るケイティ。
一貫して悲痛な表情を崩せないダニエルは、置き去りにされる。
ダニエルは追い詰められていた。
「とんだ茶番だな。体を壊した俺は、架空の仕事探し。どうせ働けない。俺も雇い主も時間のムダ。俺には屈辱でしかない。ほぼ拷問だ。求職者手当はやめる。もう、沢山だ」
唯一、理解のあるアンという職員に向かって放たれる男の言辞は、胸中に、自己の尊厳を守らんとする思いで埋められていた。
「求職活動だけは続けて。収入が閉ざされてしまう。義務的再審査には限界がないの」
「俺は限界だ」
「恐らく却下される。お願い。給付のための面談を続けて。そうしないと、何もかも失うわ。私は何人も見てきた。根が良くて、正直な人たちがホームレスに」
「ありがとう。だが、尊厳を失ったら終わりだ」
ダニエルとアンとの短い会話は閉じていった。
その直後のダニエルの行動は、通行人の喝采(かっさい)を浴びる一大パフォーマンスだった。
「俺はダニエル・ブレイクだ。飢える前に申し立て日を決めろ。電話のクソなBGMも変えろ」
スプレー塗料で、役所の外壁に書きなぐるダニエル。
器物破損で逮捕されるダニエルの行動に誘発され、一人の中年男が応援する。
「罰則を考えた連中を逮捕しろ。あの偉そうな労働年金大臣。寝室税を考えたバカな金持ち議員も。お前らも生業(なりわい)するぜ。保守党の特異な民営化でな。高級クラブの会員め。イートン校出のブタ!」
【ここで言う「寝室税」とは、英国で、2012年の「福祉改革」で導入された税金のこと。即ち、公営住宅に住んでいながら、使用されていない寝室があれば、それに税金がかかるという制度であり、その本質は、低所得者向けの住宅手当の削減にあったと言われる。また、「イートン校出のブタ」と嘲罵(ちょうば)されたのは、当時、デイヴィッド・キャメロン首相が寮生活を送った、階級社会・英国の頂点に君臨する「パブリック・スクール」のこと。ここに及んで、この映画が殆ど、「反緊縮・正義」という左翼プロパガンダ的な様相を露わにしていく】
かくて、器物破損で逮捕されたダニエルは、初犯だったので、口頭注意(「公共秩序法」第5条)のみで釈放されるに至る。
一大パフォーマンスだけで自己完結できないダニエルの表情に、沈痛で、悄悄(しょうしょう)たる翳(かげ)りが剥(む)き出しになってきた。
そんなダニエルを心配するケイティは、娘を呼びに行かせて、ダニエルと会う。
一時(いっとき)、元気を取り戻すダニエル。
ケイティの積極的なアウトリーチによって、支援手当回復のための弁護士を紹介され、手当の回復が可能になるという力強い言葉を受け、ダニエルは人生にポジティブに向かう姿勢を見せる。
しかし、この復元も一時(いっとき)だった。
心臓発作で倒れてしまうのだ。
回復することなく、逝去するダニエル。
葬儀の日。
ダニエルが、支援手当の申し立てのために用意した言葉が、ケイティによって代読される。
「国の制度が、彼を早い死へと追いやったのです」
静かに怒る、ケイティの情動炸裂である。
【キャメロン政権の「緊縮財政政策」への明瞭な弾劾によって、映画は括られていく】
以下、自己の尊厳を失うことなく人生を全うした、ダニエルの実質的な遺言書。
「私は依頼人でも顧客でもユーザーでもない。怠け者でもタカリ屋でも、物乞いでも泥棒でもない。国民健康番号でもなく、エラー音でもない。きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思っている。地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す。施しは要らない。私は、ダニエル・ブレイク。人間だ。犬ではない。当たり前の権利を要求する。敬意ある態度というものを。私は、ダニエル・ブレイク。1人の市民だ。それ以上でも以下でもない」
ラストシーンである。
人生論的映画評論・続「人生論的映画評論・続: わたしは、ダニエル・ブレイク ('16) ケン・ローチ」('16)より