エレナの惑い('11) 

f:id:zilx2g:20200212203908j:plain

<お金の臭気に蝟集し、屯するパラサイト家族は済し崩し的に自壊する>

1  「あなたは夫を案じる妻を見事に演じてる。それが本性よ」


野鳥の囀(さえず)りと犬の鳴き声。

これがなければ静止画像だった。

これ以上、望むべくもないと思われるような、モスクワの高級マンションに、緩やかに、たおやかな旭光(きょっこう)が画面一杯に差し込んできた。

一人のふくよかな中年女性・エレナがベッドから起き、昨日もそうであったような日常が開かれていく。

まるで、フェルメールの室内画のように、絵画的な構図を印象づける。

隣室で寝ている夫ウラジミルを起こし、朝食をとる。

悠々自適な日々を送るウラジミル。

下半身の処理と家政婦を「兼務」する、中年女性の名はエレナ。

エレナのその日の行動を、カメラが追っていく。

団地に住む息子の家族を訪ねるのだ。

「旦那の援助だけが頼りだ」

平然と言い切る息子のセルゲイ。

孫のサーシャの進路の助力を求めたいのだ。

以下、母子の会話。

「あの人の気持ちも察して」とエレナ。
「サーシャを知っているし、他人じゃないだろう、友達も同然だ」とセルゲイ。
「誰にでも優しいけど、社交的じゃないの」
「ケチなだけだろ」
「彼の気分を害したら、それこそ援助は無理よ」
「はっきりさせて。将来がかかってる。大学に入れなければ、軍隊に行けとでも?」
「大学に口利きできる人に、20日までに払わないと。時間がないの」

これは、セルゲイの妻ターニャの言葉。

「相談してみるわ」とエレナ。

そんな会話を残して、自宅マンションに戻るエレナ。

夜になって、夫婦は隣接する別々の部屋で、別々のテレビを観て、就寝する。

いつものように朝がきた。

「メモを読んだ。事情は分った。だが、あの成績では大学は無理だ。軍隊に入るのが一番だと思うが。君の息子の家族を養う義務など、私にはない。冗談じゃない。私は君と暮らしているんだ。君の親族とじゃない。3年前に貸した金はまだ返してもらってないぞ」

ウラジミルの正当な意見に、本音を吐露するエレナ。

「それはそうだけど、息子の事情も考えて欲しい」
「もう甘やかさん。今の状況を教訓に、自分で乗り切ることだな」
「自分の娘にも、その“教訓”を押しつけてみたら?」

どうやら、これがエレナの、それ以外にない稚拙な切り札のようだった。

ウラジミルの癇(かん)に障(さわ)るのは、自明だった。

「娘は関係ないだろ!なぜ、娘のことを持ち出す!…私だって、精一杯努力したさ。でも娘は、母親そっくりになった。楽しいことにしか関心がない。快楽主義者にな」

ここまで激昂した後、涙ながらのエレナの表情を見て、結局、エレナの言う通りになった。

翌日、スポーツジムに通い、トレーニングを行うウラジミル。

ところが、これが裏目に出る。

直前でのエレナとのセックスで、体力を消耗し切ったことが原因か、ウラジミルは心臓麻痺で水泳中に倒れ、救急入院するに至る。

搬送先の病院に、慌ててエレナがやって来た。

「覚えているか?君と、こうして出会った。…戻りたいよ。ここでも、今でもなく、10年前にな。今は、それだけが望みだ。…君は根っからの看護師だ。おかげで助かった。君が看護してくれたから」

このウラジミルの言葉は本音である。

看護師であったエレナと、大富豪のウラジミルが、階級の壁を超えて見知りになり、再婚するに至った心理的経緯が、この言葉に凝縮されていた。

そんな夫婦が今、10年の歳月を経て、今や、穏やかな夫婦生活の印象が、先の二人の会話を通して、階級の壁を乗り越えられず、一方(エレナと息子の家族)が他方(ウラジミル)に完全依存しているというシビアな現実を炙(あぶ)り出していた。

このシビアな現実に大きな不満を持つ女性がいる。

ウラジミルの一人娘であるカテリナである。

エレナから連絡を受け、そのカテリナが父の救急入院を知り、夫を看病するエレナのもとにやって来て、敵対的な会話を繋いでいく。

「カテリナ、お願いがあるの。彼には安らぎが必要よ。愛情を示してあげて。今はそれだけでいいの。あなたたち、めったに会わないでしょ。電話もしないし、よくないわ。今回のことは…」

この会話は、エレナから開かれた。

「親不孝な娘の罪ね…いいこと、エレナ。あなたは夫を案じる妻を見事に演じてる。それが本性よ」

いきなり、最も言いたいことを、カテリナは言い放つ。

「愛してるわ」
「死んだら忘れるくせに。元看護士だからって、上から目線で、お説教?ほっといて」
「お父さんが、気の毒だと思わない?」
「答えは、“クソ喰らえ”よ」

この発展性のない会話の後、エレナは正教会で祈りを捧げる。

一方、父の病室を見舞ったカテリナは、その自堕落な性格を露わにする。

「私の娘だとは思えん時がある」

辛辣な父の言葉である。

「その目が節穴でよかった。自慢の娘になれなくて、最高に幸せよ。パパは、お金が唯一の生きがいだった」
「そうやって、私の人生を査定するつもりか?金は大切だ」
「そうでもない」
「自分が稼がないから、そう言えるんだ」
「私を甘やかしたせいよ。何もかも与えて」
「責めているのか」
「いいえ。これからもよろしく」

「依存的自由」を謳歌する娘と、それを放置し、悔いを残す父との会話は、恐らくいつものように、諧謔に流して閉じていく。

以下、人生論的映画評論・続: エレナの惑い('11)   アンドレイ・ズビャギンツェフ より