ノスタルジア('83) アンドレイ・タルコフスキー <「現実と過去の、形而下・形而上的世界の融合」、「異質なるものの人格像、世界観の融合」のイメージの内に>

  ローマ市庁舎前のカンピドーリオ広場に建つ、マルクス・アウレリウス帝の騎馬像に乗って、「究極の変人」を身体化したドメニコの演説が開かれた。

  「誰かがピラミッド建設を叫ばなければならない。完成できなくてもいい。願いを持つことが肝心だ。魂をあらゆる面で広げるのだ。無限に広がってゆくシーツのように、この世界を存続させたければ手を繋ぐことだ。いわゆる、健全者と病む者が一つになるのだ。健全者よ。その健全さが何になる。人類全てが崖っぷちに立ち、奈落に落ちかけている。その健全さが、世界を破局の淵に導いてきたのだ。人間よ。耳を傾けろ。君の中の水に、火よ。そして灰に。灰の中の骨に。社会はこんなにならず、まとまらねばならない。自然の原点に戻らねばならない。生命の基本に戻らねばならないのだ。水を汚すな」

  この演説の内容は、当然、抽象的な文脈に結ばれて、広場の周りに散在する人々の関心を呼ぶほどの説得力を持たないのだ。

  全く通じない独り善がりのスピーチの完結点が、本人が確信的に予約していたような焼身自殺であったことは、多分に揶揄されるような描写の中で殆ど自明だった。

 BGMに流れるベートーベンの第9が、そのテープを流す「人類救済の同志」のしくじりで、充分に機能しないのだ。

  1989年に激発した東欧革命のテーマ曲にもなった、第9の第4楽章「歓喜の歌」のテープがブレークダウンし、音声が空転する状況を惹起させ、今や文明の代表的スポットにおいて、「自由と平和の象徴」を高らかに歌い上げるアピール力を持ち得ないのである。

  結局、男が救わねばならないと幻想する世界とは、文明社会それ自身でしかなく、その世界と折り合えない男は焼身自殺することで、自分の主観の内にイメージされた世界観の中で自己完結するしかないのだ。

  しかし、人類救済の内実が文明社会それ自身でしかないと思えるような抽象度の高さが、恐らく、それまでの鮮烈な作品群と比べて明確な主題表現を持つだろうが、却ってそれが、この映画の「主題提起力」の甘さを示しているように見えるのである。

  従って、タルコフスキーが依拠する芸術表現世界の内に、人類救済のイメージを拾う以外にないような映像の流れ方が、そこに捨てられていた。

  二人ともに、「国境を壊す」という非現実的な理念系の内にしか求められない人類救済のイメージは、あまりに貧弱であるが故に、結局、現世での救済を諦念し、「ロウソク渡りの儀式」のような戦略以外に軟着できないことになるだろう。

  美的完成度の高さ故に、抜きん出た映像構成力を表現した本作の中にあって、人類と世界を救済するには、今や、儀式なしに完結し得ない状況を開いてしまったのである。

  そこには、合理的判断が介入する余地が全く存在しないのだ。

  言葉と論理の無力を晒すだけの二人は、当然、信仰の世界にも身を預けられないだろう。

  現実とイメージの圧倒的な乖離感を、タルコフスキーは充分に感じ取っているに違いないのだ。

  思えば、お湯が抜かれたヴィニョーニ温泉宿の「聖池」を、三度目の「ロウソク渡りの儀式」で、遂に渡り切ることに成就したゴルチャコフは、持病による心臓病の発作によって突然倒れてしまうが、これがラストシーンの構図となって、観る者に鮮烈な映像構成力の凄味をも開いて見せたのである。

  元々、ゴルチャコフには、心臓病発作による死期の予感が忍び寄っていたのだ。

  では、二つの人格の融合によって、国境の突き抜けが具現されたのか。

  説明無用の議論であった。

  しかし、二つの人格の融合(分身の統合)による印象深い構図は、ヴェルディの「レクイエム」のBGMに誘導されて、イタリアの建造物の風景と、ロシアの故郷のイメージが融合した絵柄が雪の舞いの幻想世界を作り出し、何か強引に、「現実と過去の、形而下・形而上的世界の融合」、「異質なるものの人格像、世界観の融合」のイメージの内に閉じられていったようにも見えるのである。

  因みに、エウジェニアと、ゴルチャコフの故郷の妻の抱擁シーンもまた、異質な人格や郷里と異郷の地の融合のイメージを彷彿させたが、その人工的な仮構の世界に対して違和感を覚えたのは事実だった。

  それで果たして、「魂の解放と救済」を表現し得るのか。

  限りなく幻想の世界の産物であることを知悉しながら、「死」という観念と被膜で繋がれた感情である、「ノスタルジア」という故国への複雑な思いの中で、それでもタルコフスキーは「魂の解放と救済」を表現せざるを得なかったのか。

  それは、多分にタルコフスキーの分身でもある登場人物に、「人類救済」を声高に叫ばせるほど、矛盾に満ちた社会へのプロテストなのか。

  或いは、モスフィルム(「ソ連のハリウッド」と言われる、世界最大級の映画撮影スタジオ)での、自分の映像表現の自己運動を妨げてきた社会主義独裁体制への、絶対妥協し得ない男のプライドが炸裂して止まないのか。

  彼に関する多くの著作がありながらも、54歳で客死した「タルコフスキー」という固有名詞の存在は、少なくとも私にとって、最後まで謎に満ちた映像作家であった。


(人生論的映画評論/「ノスタルジア('83) アンドレイ・タルコフスキー  <「現実と過去の、形而下・形而上的世界の融合」、「異質なるものの人格像、世界観の融合」のイメージの内に>」より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/02/83.html