地獄の黙示録('79) フランシス・F・コッポラ  <「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>

  「地獄の黙示録」―― この謎に満ちた映画について、今まで多くの人が熱っぽく語り、饒舌に論じ、殆んどゲームのような論争が絶え間なく続いてきた。良かれ悪しかれ、それほど多くの人を熱くさせる何かがこの映画にあるのだろう。

  そこに哲学的メタファーがふんだんに盛り込まれていると考える人は、「闇の奥」の住人である男の一言一句を解読しようと言葉を撒き散らし、映像の隅々に仕掛けられている象徴的描写を、不必要なまでのディティールへの拘り方によって、合理的に把握しようと懸命になっているのだ。

  私もこの稿を書くに当って、うんざりするほどそれらの言説、批評や感想の類に眼を通してきたが、そのウンチクの限りを尽くした深読み、斜め読みの滑稽さに、何度か吹き出してしまった。解読の快楽を手に入れたと信じる人に対して、私は何も言うべき言葉を持たない。多くの人がこの映画について様々に感じ、思い思いに語ることは決して非生産的なことではないからだ。

  しかしながら、「特別完全版」をもって打ち止めとされるこの映画の枠組みを、いま改めて問い直すとき、観る者をして、出口の見えない迷路に誘(いざな)った作り手の混迷を同情的に理解しつつも、作り手が膨大な予算と時間とエネルギーをかけて紡ぎ出そうとしたものの険しさに、正直なところ目が眩む思いがする。目眩(めくるめ)く神秘的で、幻想的な赤や緑が炸裂したように踊る映像の形而上学を剥ぎ取ってみれば、そこに残ったのは、「ベトナム」という名に悉(ことごと)く収斂された現代史の妖怪だったのだ。

  より厳密に言えば、「地獄の黙示録」という厄介な映画が描き出そうとしたのは、ベトナム戦争の狂気という限定的なテーマでは把握し切れない、言わば、ある種の普遍性に届いたであろう遥かに人間学的な問題性、即ち、それらを充分に内包する宇宙=「ベトナム」であった。

  「ベトナム」のあまりの厄介さが、「地獄の黙示録」の厄介さを分娩した。それは同時に「アメリカ」の厄介さでもあったと言えるだろう。
 
  アメリカがとてつもなく厄介な国に堕ちていったのは、日本に対する二度にわたる原爆投下であると、極めて主観的に私は考えている。

  それは、大量殺戮に「距離」という概念を決定的に定着させてしまったからである。見えない敵を地上から完璧に消し去ることを可能にした大量破壊兵器の開発は、殺人者の良心の疼きを最小限に抑えることを保証したのである。しかも真珠湾奇襲に対する自衛の戦争という大義が、当時のアメリカには存在した。しかし今、これより進化した水爆を、誰も使用することができないのだ。

  因みに、ホロコーストの代名詞にされるアウシュビッツやトレブリンカ(注3)の殺戮は、その殺戮の極限的な合理的処理によって反人道的な犯罪の極北とも見られているが、しかしその殺戮には、「距離」という概念が媒介されていなかった。

  だから親衛隊員は地獄を直視することを避けて、カポ(収容所の囚人から選ばれた囚人監視役)と呼ばれる、やがて殺戮される運命にあるユダヤ人に、その異臭の漂う死体の処理を一任したのである。SSのヒムラー長官(注4)が、その地獄のさまを垣間見た際に吐き戻したというエピソードは、彼らが殺戮の「距離」に怯えていたことを端的に物語っているだろう。

  従って、アウシュビッツは殺戮合理主義の一つの極みであっても、良心という名の、自我防衛まで包摂した殺戮合理主義の到達点ではなかったのだ。

  殺戮合理主義の到達点は、大量破壊兵器の開発であり、高度なハイテク技術による殺戮の機械化(RMA=「軍事における革命」)である。湾岸戦争イラク戦争によって、遂に到達した殺戮技術の完成は、まさに黙示録の世界の極限的様態であるとも言えるのだ。私たちはとうとう、「見えない残酷」の中間的到達点に届いてしまったのである。
 
  アウシュビッツの地獄と、イラク戦争の地獄のターニングポイントに位置するのが、「ベトナム」という地獄だった。

  「ベトナム」は、アウシュビッツで極まった殺戮合理主義の最終的な実験場であると同時に、その方法論の限界点を露呈した戦場でもあった。それは「見える残酷」の最終到達点だったのである。

  爾来、アメリカはソマリアの悲劇(注5)に代表されるように、「見える残酷」の前線から臆病なほど回避した結果(自由と私権が拡大的に定着すればするほど、どこの国でも殆ど例外なく、戦場での自国の死者の数の増加に対してセンシブルになるのは、命の価値が正比例的に高まるからであって、それ以外ではない)、殺戮のハイテク化によって「見えない残酷」の技術的完成に向かったのである。
 

(人生論的映画評論/「地獄の黙示録('79) フランシス・F・コッポラ  <「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>」より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/79f.html