嘘の心理学

 嘘には三種類しかない。

 「防衛的な嘘」、「効果的な嘘」、それに「配慮的な嘘」である。己を守るか、何か目的的な効果を狙ったものか。それとも相手に対する気配り故のものか、という風に分けられよう。

 「ウソの研究」(酒井和夫著 フォー・ユー 日本実業出版社刊/写真)の作者によると、スポーツ選手のイメージ・トレーニングなるものも、自己暗示というウソのテクニックの応用であるということになる。それは、いかに自己を上手に欺いていくかといったスキルの問題で説明できるそうだ。

 このテクニックを心理療法に応用したのが、エンカウンター・グループ(注)という集団催眠法である。

 これは、見知らぬ他者との合宿の中で得た僅かな情報だけで、お互いに集中的に誉めそやし、そこに、「嘘だと分っているけど、なぜか気持ちがいい」と感じさせる心理状態を作り出す方法だ。これは私の分類から言えば、「効果的な嘘」の範疇に含まれるものである。

 「嘘だと分っている」情報の中に潜む、部分的な正しさを決して疑わない率直さ。これが、合宿生活を拒まなかった人々に、名状し難い心地良さを届けるのである。(誤解がないように言い添えるが、私は決して、「エンカウンター・グループ」の有効性を疑っているわけではない)
 
 思えば、結婚詐欺師の甘い誘惑も又、渇望して止まない女性たちの近未来に、圧倒的な快楽を待機させておく。その嘘は、過剰に効果的なのである。この種の犯罪は時間を限定して夢を売り、その夢の中に詰まった「プロセスの快楽」を、群を抜くスキルによって保証するという際どさにおいて、私たちが通常遠慮気味に放つ嘘々しい文脈を圧倒するほどに自律的である。

 それは、嘘をつかなくては生きていけない私たちの日常性と切れていて、関係を加工する技術としての嘘の、その際限のなさを晒してしまっているのだ。だからそこに救い難い思いもするのである。

 その意味から言えば、私たちの教育現場での、「嘘をつくな」という訓示の有効性は、私たちの日常性と切れた、一分の悪質なる嘘の防波堤として、せめて倫理的なバリアを構築するという狙い以外に存在しないようにも思える。

 逆に言えば、私たちの日常を貫流する嘘々しさは、関係に澱みを残さない限りにおいて認知され、世界を潤滑する格好の油滴としての役割を担っているかも知れない。

 一切を白日の下に曝し、匿名剥がしの快楽のゲームに狂奔する社会に比べれば、言葉も交わさぬ隣居生活の、その味気ない社会の適温性こそ大事にしたい。社会に拡散する無数の嘘が、人々の関係体湿の過剰流出を水際で防いでいるからだ。それがほぼ、正解に近いのではないか。


(注)カール・ロジャース(アメリカの臨床心理学者で、クライエント=来談者中心療法を創始したことで有名)が開発した、カウンセリングの方法の一形態。

 参加者同士の感情の交流によって、相互に本音を出し合うことで、自己及び他者の存在、更に他者との関係を確認し、理解を深めていく、一種のグループ体験であると言っていい。

 その狙いは、他者への内面的想像力を深めていくことで、人と共に自分が生きていくことの喜びを実感し、最終的には自分の人生に潤いを与えようというもの。

 予め課題が用意されていて、リーダーの指示によって課題をこなしていく「構成的グループエンカウンター」と、自発的に集まった少人数のメンバーによる「ベーシック(非構成的)・エンカウンター・グループ」に大別される。
 
 
(「心の風景/嘘の心理学」より)http://www.freezilx2g.com/2008/10/blog-post_26.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)