雨月物語('53) 溝口健二 <本来の場所、本来の姿――「快楽の落差」についての映像的考察>

 大溝の城下町(注3)。

 その市に、源十郎は自信作の陶器をずらりと並べていた。次々にそれを求める町の民。源十郎は満足げに、自らの商売に身を入れている。そこに笠を被った一人の美女が現われた。傍らの老女が陶器を注文したあと、言い添えた。

 「この山陰(やまかげ)の朽木屋敷に届けてくれますね。お金はそのときにお払いします」
 
 有無を言わせない相手の求めに、源十郎は承諾するしかなかった。
 
 一方、藤兵衛は城下町を走り抜けていく侍たちを見て、陶器の稼ぎを具足と槍に変えてしまった。藤兵衛を追って、必死に止めようとする阿浜。彼女は夫を見つけられず、落武者らしき男たちに暴力的に拉致され、犯されてしまうのだ。
 
 「馬鹿野郎、見るがいい!私のこの姿を。女房がこんな目に遭わされて、さぞ満足だろう!それで出世ができれば、お喜びなんだろう。藤兵衛の大馬鹿野郎!」

 町の外れのお堂に一人取り残された阿浜は、自分の立身しか考えない夫を呪うしかなかった。


(注3)現在、琵琶湖の北西側に位置する滋賀県高島市に、大溝藩の城下町の遺稿が残る。因みに、本作の源十郎が若狭と夢幻の時を過ごした朽木屋敷は、今も冬のスキーを楽しむ朽木地区としてその名を残している。
高島市HP参照)


 源十郎は、老女と美女の案内を受けて、朽木屋敷に入って行った。

 見るからに寂れた風情の場所に、そこだけは眩い輝きを見せる屋敷の屋内の静寂な佇まい。美女の名を若狭と紹介され、源十郎は手厚い持て成しを受けることになった。源十郎の眼の前に若狭が立ち、彼の手を取って、持て成しの場所に移された。若狭は源十郎の身分や名を知っていて、驚かされるばかりだった。
 
 「これは、私が作った物ではありませんか?」と源十郎。
 「あなたの焼いた器で、お酒が頂いてみたくなりました」と若狭。

 「こんなお方のお眼に留まって幸せな奴だ。百姓の片手間の仕事ではございますが、自分の拵(こしら)えました物が、子供のような心持が致しまして、大事にかけて下さるお方がありますと思うと、嬉しくてなりません。しかもこんなご立派なお座敷で、あなた様のような美しいお方のお手に触れるかと思うと、夢のような幸せでございます」

 「いいえ、私のような落ちぶれ者にかかっては、心を込めたお作が泣きましょう」
 「自分の作った物が、これほど美しく見えたのは初めてです・・・人も物も所によって、こうも値打ちが変わるものか。茶碗も皿も立派なお座敷に出世をして、まごついています」
 「あなたの腕は、貧しい片田舎に埋もれて終るものではありません。あなたは持っている才を、もっと豊かにしようとお思いにならなければ・・・」
 「それには、どうすれば宜しいのでございましょう?」
 「若狭様とお語らいになされば良い。またと言わず、この折に、お契りになされたら良い」

 傍らにいた老女が、源十郎と若狭との契りを促したのである。

 妖艶な若狭が源十郎に縋りつき、男がそれを受け入れようとすると離れる若狭。まもなく酒宴が始まって、男の前では若狭の舞が披露されている。

 二人が契りを結んでいくまでの描写は幻想的で、まるでこの世の生業(なりわい)とは無縁な、闇の中の超越した時間がそこに映し出されていた。

 そんな中での老女の言葉。

 その言葉の背後に、若狭の父の歌が哀感を込めて重なっている。

 「朽木の一族は、織田信長のために、憎むべき信長のために滅ぼされました。後に残りましたのは、この姫様と乳母の私だけです。先殿様のお心は、今もこの屋敷に留まわれ、姫様が舞われますと、このようにお歌いなされるのです。良いお声でございましょう。姫様のご祝言をお喜びになっておられるのです」
 
 源十郎が覚醒したとき、傍らに若狭が佇んでいた。二人は契りを結んだのである。若狭は男を湯浴みに招いて、男の耳元で囁いた。

 「でももう、あなたは私のものになりました。これからは、私のために命を尽くして下さらなければいけません」

 源十郎は未知なる快楽ゾーンである、朽木屋敷という名の「桃源郷」にその身を預け入れてしまった。常に傍らには、絶世の美女の若狭がいる。まるで身分の違う二人が、そこで夢幻の時を重ねているのだ。男だけは、至福に充ちた思いを重ねていると信じているのである。
 
 「・・・天国だ」
 
 男はもう充分に、異次元の魔境の世界に拉致されてしまっていた。


(人生論的映画評論/ 雨月物語('53) 溝口健二 <本来の場所、本来の姿――「快楽の落差」についての映像的考察>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/53.html