ロクサンヌの誕生日パーティーでのシークエンスから、ラストカットまでの緊張感溢れる映像のピークアウトを再現してみる。
固定カメラの長廻しで撮られた、パーティーでの和やかな会食風景は、隠し込まれた「秘密と嘘」と、守り抜かれた「秘密の共有」に近接する危うさを露呈する事態は回避できていた。
幻想としての家族の物語は、引き続き延長されていたのだ。
二つの家族(シンシアとロクサンヌの母娘と、モーリスとモニカの夫婦)の、没交渉の状態を修復する目途の過剰さの流れの中で、照れた表情のロクサンヌを祝福するプレゼントが続き、パーティーを独占的に占有する空気が立ち上ることで、その空気に馴染めない者が現出してしまった。
隠し込まれた「秘密と嘘」の対象人格であり、パーティーでの「客」でしかないホーテンスである。
「4人(シンシアとロクサンヌの母娘と、モーリスとモニカの夫婦)+1人(ホーテンス)」の複雑な関係の様態の中で、「客」でしかないホーテンスの寄る辺のなさが、彼女の心を弾いてしまったのである。
トイレに行って、呼吸を整えるホーテンスのクレバーな振舞いを視認したシンシアは、「ワーキング・クラス」の生活風景の中で形成されたに違いない、「秘密」を隠し込むことが不得手な直情径行な本来的性格の故か、遂に、「秘密」を吐露してしまうのだ。
唖然とする面々。
当然の如く、ロクサンヌは激怒し、外に飛び出していく。
そのまま帰宅するつもりなのだ。
一緒にパーティーに随伴していたロクサンヌの恋人が、必死に後を追う。
モーリスも後を追って、バス停で姪を説得して、パーティーの「舞台」になった新居に連れ戻した。
バス停にいるロクサンヌもまた、モーリスの「助け舟」を待っていたのだろう。
ともあれ、「舞台」が「恐怖突入」の「前線」と化していくのは、ロクサンヌの「帰還」を契機にしてからである。
ロクサンヌの「帰還」の前に、「舞台」の風景は変容していた。
まず、シンシアはモニカを嗚咽しながら難詰する。
「あなたはさぞ満足でしょうね。18年間、私から家族を奪い続けた。まず、父を奪って、その次はモーリス。そして今度は、娘と私の間を割くのね?」
この難詰に反応しないモニカを見て、更にシンシアはモニカを指弾する。
「この家は、誰のお陰だと?私がモーリスにお金を譲ったからよ」
「お父様の保険金よ」
ここで、モニカは反駁した。
「私と娘にと。あなたが余計な口出しを」とシンシア。
「当然の権利よ」とモニカ。
「私は朝5時から、掃除婦の仕事。娘を学校に出し、また仕事」
「だから?」
「あなたは弟のお金を浪費するだけ」
「有効に使ったわ!」
「子供を、女手一つで育てる苦労が分る?」
ここで、ロクサンヌの「帰還」。
モーリスもいる。
彼はロクサンヌの心を溶かそうと必死だった。
「姉さんは愛に飢えていて、ああなったんだ。姉さんはお前を必要としている」
戻って来た娘を、今度はシンシアが必死に説得する。
更に、状況は変容していく。
「ロクサンヌが家に戻って来ない」と言ったモニカを、シンシアは再び難詰するのだ。
「妻の務めを果たしたら?子供も産まずに自分勝手だわ。弟にも子供を」
実姉にここまで言われたモーリスは、妻に真実の告白を求めるが、それを拒む妻に代わって、自らが夫婦の秘密を暴露した。
「子供を産めない。検査という検査をした。15年間、身体をいじくり回され手術もしたが、子供ができない。言ったぞ。真実だ。秘密と嘘。皆、傷を負っている。痛みを分け合えば?この世で一番愛している3人が、意地を張って憎み合うのか!」
暗鬱で、澱んだ空気が払拭された瞬間だった。
全てを吐き出したモーリスは、今度はホーテンスに語りかける。
「君は、苦痛を覚悟で真実を求めた。君を尊敬する」
モニカを抱き締めるシンシア。
「あなたが羨ましいわ」とモニカ。
「今日から家族だ」
ホーテンスに寄り添う、モーリスの決定的な一言が添えられた。
氷解された空気の中で、シンシアはロクサンヌの父のことを語る。
「医学部の学生だった。次の朝、消えていた。でも、いい人だった」
涙が眼に溢れるロクサンヌ。
「私の父親もいい人だった?」
ホーテンスの発問だ。
それは、彼女にとって最も由々しき情報だった。
「それは答えるのは辛いわ」
これが、シンシアの答え。
彼女は嘘を言えない性格なのだ。
しかし、この一言の持つ意味は重すぎる。重すぎるのだ。
今度は、モニカがシンシアを抱き締める。
嗚咽するロクサンヌ。
そして、忘れ難きラストシーン。
ほんの少し前に成立したばかりの、異父姉妹の会話。
「変な感じ」と妹のロクサンヌ。
「私もよ。真実を話すのが一番ね。誰も傷つかない」と姉のホーテンス。
「人生って、いいわね」と母のシンシア。
モーリスという人格造形に仮託した、マイク・リー監督の熱き思いが、ラストカットに収斂されていたのである。
(人生論的映画評論/秘密と嘘('96) マイク・リー <「恐怖突入」の「前線」を突き抜けて来た者たちだけが到達した、決定的な「アファーメーション」> 」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/11/96_28.html
固定カメラの長廻しで撮られた、パーティーでの和やかな会食風景は、隠し込まれた「秘密と嘘」と、守り抜かれた「秘密の共有」に近接する危うさを露呈する事態は回避できていた。
幻想としての家族の物語は、引き続き延長されていたのだ。
二つの家族(シンシアとロクサンヌの母娘と、モーリスとモニカの夫婦)の、没交渉の状態を修復する目途の過剰さの流れの中で、照れた表情のロクサンヌを祝福するプレゼントが続き、パーティーを独占的に占有する空気が立ち上ることで、その空気に馴染めない者が現出してしまった。
隠し込まれた「秘密と嘘」の対象人格であり、パーティーでの「客」でしかないホーテンスである。
「4人(シンシアとロクサンヌの母娘と、モーリスとモニカの夫婦)+1人(ホーテンス)」の複雑な関係の様態の中で、「客」でしかないホーテンスの寄る辺のなさが、彼女の心を弾いてしまったのである。
トイレに行って、呼吸を整えるホーテンスのクレバーな振舞いを視認したシンシアは、「ワーキング・クラス」の生活風景の中で形成されたに違いない、「秘密」を隠し込むことが不得手な直情径行な本来的性格の故か、遂に、「秘密」を吐露してしまうのだ。
唖然とする面々。
当然の如く、ロクサンヌは激怒し、外に飛び出していく。
そのまま帰宅するつもりなのだ。
一緒にパーティーに随伴していたロクサンヌの恋人が、必死に後を追う。
モーリスも後を追って、バス停で姪を説得して、パーティーの「舞台」になった新居に連れ戻した。
バス停にいるロクサンヌもまた、モーリスの「助け舟」を待っていたのだろう。
ともあれ、「舞台」が「恐怖突入」の「前線」と化していくのは、ロクサンヌの「帰還」を契機にしてからである。
ロクサンヌの「帰還」の前に、「舞台」の風景は変容していた。
まず、シンシアはモニカを嗚咽しながら難詰する。
「あなたはさぞ満足でしょうね。18年間、私から家族を奪い続けた。まず、父を奪って、その次はモーリス。そして今度は、娘と私の間を割くのね?」
この難詰に反応しないモニカを見て、更にシンシアはモニカを指弾する。
「この家は、誰のお陰だと?私がモーリスにお金を譲ったからよ」
「お父様の保険金よ」
ここで、モニカは反駁した。
「私と娘にと。あなたが余計な口出しを」とシンシア。
「当然の権利よ」とモニカ。
「私は朝5時から、掃除婦の仕事。娘を学校に出し、また仕事」
「だから?」
「あなたは弟のお金を浪費するだけ」
「有効に使ったわ!」
「子供を、女手一つで育てる苦労が分る?」
ここで、ロクサンヌの「帰還」。
モーリスもいる。
彼はロクサンヌの心を溶かそうと必死だった。
「姉さんは愛に飢えていて、ああなったんだ。姉さんはお前を必要としている」
戻って来た娘を、今度はシンシアが必死に説得する。
更に、状況は変容していく。
「ロクサンヌが家に戻って来ない」と言ったモニカを、シンシアは再び難詰するのだ。
「妻の務めを果たしたら?子供も産まずに自分勝手だわ。弟にも子供を」
実姉にここまで言われたモーリスは、妻に真実の告白を求めるが、それを拒む妻に代わって、自らが夫婦の秘密を暴露した。
「子供を産めない。検査という検査をした。15年間、身体をいじくり回され手術もしたが、子供ができない。言ったぞ。真実だ。秘密と嘘。皆、傷を負っている。痛みを分け合えば?この世で一番愛している3人が、意地を張って憎み合うのか!」
暗鬱で、澱んだ空気が払拭された瞬間だった。
全てを吐き出したモーリスは、今度はホーテンスに語りかける。
「君は、苦痛を覚悟で真実を求めた。君を尊敬する」
モニカを抱き締めるシンシア。
「あなたが羨ましいわ」とモニカ。
「今日から家族だ」
ホーテンスに寄り添う、モーリスの決定的な一言が添えられた。
氷解された空気の中で、シンシアはロクサンヌの父のことを語る。
「医学部の学生だった。次の朝、消えていた。でも、いい人だった」
涙が眼に溢れるロクサンヌ。
「私の父親もいい人だった?」
ホーテンスの発問だ。
それは、彼女にとって最も由々しき情報だった。
「それは答えるのは辛いわ」
これが、シンシアの答え。
彼女は嘘を言えない性格なのだ。
しかし、この一言の持つ意味は重すぎる。重すぎるのだ。
今度は、モニカがシンシアを抱き締める。
嗚咽するロクサンヌ。
そして、忘れ難きラストシーン。
ほんの少し前に成立したばかりの、異父姉妹の会話。
「変な感じ」と妹のロクサンヌ。
「私もよ。真実を話すのが一番ね。誰も傷つかない」と姉のホーテンス。
「人生って、いいわね」と母のシンシア。
モーリスという人格造形に仮託した、マイク・リー監督の熱き思いが、ラストカットに収斂されていたのである。
(人生論的映画評論/秘密と嘘('96) マイク・リー <「恐怖突入」の「前線」を突き抜けて来た者たちだけが到達した、決定的な「アファーメーション」> 」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/11/96_28.html