カンバセーション 盗聴('73) フランシス・フォード・コッポラ <孤独感と妄想観念の相乗作用によって集約された人格イメージの内に>

 一度観たら忘れられない映像プロットを、フォローしていこう。

 ショッピングのメッカであるサンフランシスコのユニオン・スクェアで、若い男女の会話を盗聴していたハリー・コールは、通信傍受の名うてのプロフェッショナル。

 そのアベックは、盗聴よけのために辺りをグルグル回っていたが、ハリーたちは、その二人の会話を残らず録音するという至難の仕事に挑んで成功した。

 後に、盗聴仲間のプロにハリーが語った話では、3段階指向性マイクにモスフェット・アンプを使って、二人を尾行させるという高度な手法によって成功したというもの。

 その際、ニュース・カメラマン2人を使って、200ヤード離れたビルから望遠レンズでマイクを照準させたと、ハリーは説明した。

 ハリーのその説明を聞いていた盗聴プロは、ハリーに渡したボールペンに仕掛けた盗聴によって、そのハリーの言葉を全て盗聴したというオチがついて、孤独癖の強いハリーを怒らせてしまった。

 盗聴屋が盗聴されるという屈辱以上に、決して仕事の内容を他言しない男が真剣にそれを語らざるを得ないほどに、自分が置かれた状況の不安感、恐怖感を顕在化させている内的風景を露呈させていた。

 だから、一切を盗聴のゲームに還元させてしまう相手のビジネス感覚に、ハリーはネガティブに反応してしまったのである。

 と言うのは、この時点でハリーは、自分が仕掛けたユニオン・スクェアでの盗聴が、薄気味悪い事件にインボルブされる不安感に苛まれていたのだ。

 彼が盗聴したテープを依頼主の会社の専務に持ち込んだとき、留守の専務に代わって応対した秘書が彼のテープを強引に奪おうとして、それを拒んでその場を去ったトラブルに端を発した心地悪い事態が発生していたからである。

 「深入りはよせ。これは危険なテープだ。用心することだな」

 この専務秘書を名乗る男の恫喝が、仕事に関する一切の好奇心を捨てたはずのハリーの心を動かしたのである。

 更に、依頼主の会社内でハリーが視認した一人の男こそ、彼が引き受けている盗聴の対象となっている人物であった。しかもエレベーターの中で、ハリーは盗聴対象の女とも出会ってしまったのである。

 翌日、ハリーはそのテープの内容が気になって、何度もテープを掘り起こした。

 『ジャック・ター・ホテル 日曜の3時に773号室』と若い男。
 『電話も盗聴されているみたい』と若い女の声。
 『我々を殺す気だ』と若い男。

 これがあのときの、若い男女の会話の中に挿入されていたのである。

 そしてその肝心なテープが、あろうことか、依頼主である専務の秘書が放った女によるハニートラップによって盗まれてしまったのだ。

 自分のプライバシーを頑なに守る盗聴屋が、度々犯すプロらしくない失態について、物語としての不自然さを指摘する向きも多いが、このときのハリーが置かれた顕著な不安心理を思えば、決してこの描写が不自然であるとは言えないだろう。

 なぜなら、完璧な仕事をしてきた男が初めて経験する事態の深刻度が、男の自我の均衡を大きく崩してしまったと考えられるからである。

 苦境に陥ったハリーは、依頼主の会社に向かった。

 依頼主の専務は、ハリーから奪ったテープを繰り返し聴いていた。

 その重苦しい専務室に身を置いたハリーが、そこで視認した一枚の写真。それは、彼が盗聴していたアベックの若い女性だった。

 更に、彼が受け取った金を確認している際に、その眼の前に置かれたもう一枚の写真。そこには、専務と彼女がにこやかに並んで写っていたのである。

 彼女は専務の妻だったのだ。

 ハリーは盗聴テープと引き換えに報酬を受け取る際に、依頼主の専務に向かって、どうしても確認したい一言を口にした。

 「彼女をどうします?」

 その問いに、背を向けて座っている専務は答えなかった。

 映像はこのとき、『我々を殺す気だ』というテープの声を、流れの中で聞かせて見せた。見事な演出だが、些か出来過ぎの感があるとも言える。


(人生論的映画評論/カンバセーション 盗聴('73) フランシス・フォード・コッポラ <孤独感と妄想観念の相乗作用によって集約された人格イメージの内に>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/12/73.html