マグダレンの祈り('02)  ピーター・ミュラン <システムとして保障された「箱庭の恐怖」>

 1964年、アイルランド、ダブリン。
 
 “一人の男が通りかかる。喉が渇いて、一杯の水を求めた。谷間の井戸で、野に咲くユリの花。辺りは茂みの中。カップはいっぱいで、屈むと零れる。谷間の井戸。野に咲くユリの花。辺りは茂みの中。娘さん、あなたは6人の子供を産んでいる。谷間の井戸。野に咲くユリの花・・・あなたが紳士なら、子供の行方を教えて・・・馬屋の戸の下に、2人は埋められた・・・お前は7年間、弔いの鐘を鳴らす。主はきっと、魂を救いたもう。この地獄から・・・・”
 
 映像の冒頭で歌われた、アイルランドの伝統音楽である。

 -― 結婚式のパーティの会場で、情感深い音楽が、太鼓の伴奏で歌われていた。そこに出席していた少女が従兄弟に誘われて、階上の一室に押し込められ、レイプされてしまう。彼女はまもなくパーティの場に姿を見せ、知り合いの女性に泣きながら訴えた。それが一族の者に知られることになって、彼女を見る冷たい視線がそこに捨てられた。

 数日後、彼女の父親によって、弟の傍らで就寝中の彼女は叩き起こされて、路上で待つ一台の車の中に消えていった。

 「姉さんをどこに連れて行くの?」

 この弟の問いかけに、彼女の父は答えない。母も答えない。彼女自身も答えない。答えられないからである。彼女の名は、マーガレット。
 

 ―― 「聖アトラクタ孤児院」。
 
 そこに一人の美少女がいて、近所の少年たちの人気者になっていた。活発な彼女も、少年たちとの雑談を楽しんでいる。それを孤児院の二階から、不愉快そうに眺めている孤児院の大人たち。まもなく、彼女の部屋から本人自身が消えていた。彼女の名は、バーナデット。
 

 ―― ある病院の一室。

 ベッドで体を起こし、赤ん坊を抱いている若い娘。彼女は、傍らに座る母親に話しかけている。
 
 「自分の罪は分っているわ。でも、この子を見て。赤ちゃんに罪はないわ。そんなに怒らないで。ちょっとでも見てよ。一言でもいいから言ってよ・・・」

 何も反応しない母。その部屋に彼女の父も顔を出し、自分の娘を顎で呼んだ。

 「パパ」

 娘は一言反応して、廊下に出て行った。そこには一人の神父がいて、その神父は彼女に、厳しい口調で言い放った。

 「お父さんと話し合って、赤ん坊を養子に出すことにした。あの子を私生児として、一生ずっと育てたら、社会から爪弾きにされる。君の罪は大きいぞ」
 「悪いと思っています」
 「君の犯した罪を子供に押し付ける気かね?」
 「いいえ・・・」
 「では両親の揃ったカトリックの家に養子を。同意するね?」

 娘は静かに頷いて、求められた書面にサインした。

 「では、赤ん坊をもらっていく」
 「今、連れて行くんですか?」
 「情の移らないうちに」

 娘は、眼の前に立っている父に、哀願するように語りかけた。

 「赤ちゃんを見た?可愛い子よ」
 
 彼女はそう言って、父の顔を覗き込んだが、父は反応しない。娘は翻意して抵抗の態度を示す。

 「やっぱり止めるわ」

 娘は立ち上がって、神父を追おうとするが、娘の前に父が立ちはだかった。

 「気が変わったのよ。契約書を破り捨てて。赤ちゃんを見た?可愛い子でしょ」

 娘の前で、彼女の産んだばかりの赤ちゃんが連れ去られて行く。

 「私の赤ちゃんを返して!気が変わったの!連れて行かせないで・・・お願い・・・」

 泣き叫ぶ娘を、父が押さえつけた。娘はもう、何もできなくなってしまった。娘の名は、ローズ。彼女もまた強制隔離の運命に流れ込んでいったのである。


(人生論的映画評論/マグダレンの祈り('02)  ピーター・ミュラン <システムとして保障された「箱庭の恐怖」>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/02_20.html