アレッサンドロ・チコニーニの叙情的な音楽に乗せて、陽光照りつけるローマの大通りを、力強い行進が突き進んでいく。
「年金支給額を上げろ!」
「公務員として勤め上げた!大臣に会わせろ!大臣にこの苦境を訴えたいんだ!」
「納税者の権利だ!」
彼らは恩給支給額のアップを要求する、元公務員の退職老人たちの面々だった。その集団の中に、70歳を迎えたウンベルトがいた。彼は30年間も小官吏の仕事を勤め上げた末にリストラされ、今は僅かばかりの年金に頼って生活している。
しかし、その生活はあまりに厳しく、彼が身を寄せるアパートの女管理人は、満足に家賃を払わないウンベルトを追い出しにかかっているのだ。ウンベルトとしては、せめてデモに参加して年金額の上積みを勝ち取ることしか方法がなかった。
「許可のない集会は認められん!」
退職老人たちののデモは、大臣護衛の官吏によって、当然の如く拒絶される。警官隊の出動で無残にも蹴散らされた老人たちは、「元公務員に何という仕打ちだ!」と言い放つのが精一杯で、結局、四方八方に退散するしかなかった。
「ならず者め、なっとらん!・・・・来て損した」
大きな建物の陰に隠れた老人たちの一人が、不満をぶちまけた。
「年金支給額が上がらないと、溜まった家賃も払えない」
これはウンベルトの正直な嘆息である。老人たちは周囲の安全を確認して、建物の陰から広場に出て、家路を急ぐしかなかった。
「子供がなければ、兄弟もない。惨めな年寄りだよ」
ウンベルトはデモで知り合った、バレンティという名の老人に身の上話を続ける。
「月に年金1万8000リラ。なのに家賃が1万だ」
月収の6割近くを家賃に充てて生活するウンベルトには、他に全く収入の道がなかった。そんな彼は、バレンティに時計を売りつけようとするが、相手に「高級時計を持っているから」と言われて、それも叶わなかった。売り物が時計しかないウンベルトは、誰彼構わずそれを売ろうとする試みは、結局、全て失敗する。彼はアパートに戻る外なかったのである。
強欲な女管理人に、自分の部屋を時間で又貸しされたウンベルトを助けたのは、アパートでメイドをして働くマリアだった。
壁にアリの群れが張り付くようなマリアのキッチンで、ウンベルトは彼女の身の上話を聞くことになる。彼女は17歳のとき、田舎からローマに出て来て、現在、ある兵士との間に3ヶ月になる子供を身篭っていた。
「何だって?簡単に言うな」
驚いたウンベルトは、それ以上何も言えずに、彼女を心配げに見つめるだけだった。
自分の部屋に戻ったウンベルトは、先程までアベックが占領していた自室の窓を開放し、ベッドを整え、そこにしかない自分の空間をリセットしたのだった。そこにマリアがやって来て、先程の話の続きをした。どうやら彼女は二人の兵士と関係を持ち、そのいずれが自分の子の父親であるか判然としない事情を説明するのである。
話を聞くウンベルトは、ただ呆れるばかりだった。
彼はアリの這い回るベッドに潜り込んで眠りに就こうとした。そこに三度(みたび)、先程貸した体温計を取りにマリアが入って来た。そのマリアに滞納家賃の一部を手渡して、ウンベルトは領収書の受け取りを頼んだ。ところが、まもなく戻って来たマリアは、家賃の全納を督促する管理人の言葉を伝えて部屋を後にしたのである。
微熱で安眠を求めたかったウンベルトは、外套を着て街路に出た。
愛読書を金に替えるためだった。その金を加算して、再びマリアに手渡して、残りの家賃を年金で支払うことの伝言を頼んだのである。
「耳を揃えて払わなければ、立ち退いてもらうわ」
これが、女管理人の答えだった。
貧しい老人と、金持ちの未亡人の仲介に走るマリアの心は、どこまでも自分の立場を越えられない、限定的な関係世界で迷走するしかなかった。そのマリアが再三、ウンベルトの部屋に戻って来た。何とか苦労して都合した老人の金を、女管理人の命によって返還しに来たのである。
ベッドの中で発熱で苦しむウンベルトの耳に、愛人を前で脳天気な歌声を高らかに放つ女管理人のソプラノが、アパートの薄い壁を突き抜けて侵入してきた。苦しむ老人と、自分だけの世界しか見えない女管理人のコントラストが、モノクロの映像に刻まれる残酷さは、充分に映像の主題の在り処を物語っていた。
翌朝、ウンベルトは病院に自らの不調を訴えて入院することになった。愛犬フライクの世話をマリアに頼んだ老人だが、病院のベッドで休むまもなく、巡回医から、「明日にはもう帰っていいよ」と言われてしまうのだ。
「ですが、先生・・・ここも痛いし・・・」
痛みの部位を示すウンベルトに、巡回医は取り合わない。
「熱も下がったし、お若ければ扁桃腺を切るところですが、その年で手術でもねぇ・・・」
担当医が去って行く後姿を見守るウンベルトに、隣の患者が忠告した。
「あれじゃダメだ、もっと粘らないと。諦めが良過ぎるよ」
「ここにいれば食費が浮く」とウンベルト。
「秘訣を教えるよ」と隣の患者。
「あと、一週間いれば助かるんだ」とウンベルト。
「ここはホテルよりいい」と隣の患者。
彼は巡回のシスターに、ウンベルトへの助け舟を求めたのである。
「この人、あと何日か休めばすっかり良くなるんです。今はやつれ果てて、犬の餌代にも困る年金暮らしだ」
「考えましょう」とシスター。
シスターと入れ替えに、マリアが入って来た。
お見舞いに持ってきたのはバナナ一本。若いマリアも老人と同様に、時代の厳しさがもたらした貧しい暮らしを余儀なくされているのである。
元気を回復したウンベルトは、元のアパートに戻って来た。
あろうことか、彼が自分の部屋で視認した風景は改装中の現場だった。女管理人が自分を追い出す意図が現実化されつつあるその場に、ウンベルトは立ち竦む。しかし彼には、部屋に愛犬がいないことの方が衝撃だった。
愛犬フライクを求めて、一人の老人が駆け回る。兵士に振られたマリアに会っても、愛犬の居所が分らないのだ。
ウンベルトはタクシーを飛ばして、野良犬管理センターにまで足を伸ばした。しかしフライクはなかなか見つからない。不安気なウンベルトの視界に、遂にフライクの小さな姿が捕えられたとき、彼の表情は、その思いを爆発した者の輝きを映し出していた。
ウンベルトにとって、愛犬と生活の確保こそが最も緊要なテーマなのだ。このときは、フライクの安全確保という一点にのみ、ウンベルトの関心が奪われていたのである。
そのフライクを連れて散策するウンベルトは、路頭で物乞いをする者が目立つ大通りの一角で、デモの際に知り合ったバティスティーニと再会した。
彼に自分の厳しい現実を話し、それとなく借金を求めたが、さり気なく逃げられて、老人は路傍にその寄る辺なき身を晒すばかりだった。
沈鬱な気分を抱え込んで、なお煩悶から解放されないウンベルトは、遂に、物乞いの行動に移ろうと意を決した。通行人に右手を差し出すリハーサルの後、一人の紳士がウンベルトの前を通りかかる。咄嗟に右手を差し出し、紳士もそれに反応する。
しかしウンベルトは、その紳士が財布から紙幣を取り出して、老人の右手にそれを添えようとしたとき、ウンベルトの右手は裏返された。彼は物乞いを、ギリギリのところで自己否定したのである。それは、観る者の胸を深く抉(えぐ)る悲哀極まる描写だった。
自分ができない物乞いを、ウンベルトは愛犬フライクに代行させようとした。街路の端っこに帽子を咥(くわ)える仔犬が、前足を上げて立っている。それを、建物の陰に隠れた老人が懸命に指図する。
「じっとしてろ」
飼い主の指示を守って、健気に仔犬はそこで頑張っている。
その前を通り過ぎる市民たちは、興味深げに一瞥するものの、そこで足を止める者はいなかった。そのとき、ウンベルトの知り合いの紳士が通り過ぎようとして、慌ててその紳士に近づいたウンベルトは、自分が愛犬に物乞いをさせている現実を糊塗すべく、彼に話しかけていく。
「先生どうなさいました?」とウンベルト。
「フライクは何を?」とその紳士。
「遊んでるんですよ」とウンベルト。
「お利口さんだな。可愛いな」
「コーヒーでも?」とウンベルト。
彼は懸命に状況転換を図ろうとしている。
「用事があるのでね」
「一杯だけ」
「バスが来てるんだ」
「酒でもいい」
「そうしたいところだが・・・」
「ではバスまで」
「喜んで・・・今は何を?」
「この通り、無為に過ごしてます。年金暮らしで」
「気楽でいいな」
こんな会話の流れの後に、いつものような儀礼的な別れの挨拶が待っていた。ウンベルトの内側では、何とか「先生」と呼ぶ紳士から助けを借りたいという思いが、明らかに見え隠れしている。しかし、これもいつものように、老人との関わりを回避する肩透かしが待っていただけだった。結局、何も手に入れることなく、ウンベルトはただ空しさだけを存分に味わって、帰途に就いたのである。
(人生論的映画評論/ウンベルトD('51) ヴィットリオ・デ・シーカ <物を乞う老人の右手が裏返されて>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/d.html
「年金支給額を上げろ!」
「公務員として勤め上げた!大臣に会わせろ!大臣にこの苦境を訴えたいんだ!」
「納税者の権利だ!」
彼らは恩給支給額のアップを要求する、元公務員の退職老人たちの面々だった。その集団の中に、70歳を迎えたウンベルトがいた。彼は30年間も小官吏の仕事を勤め上げた末にリストラされ、今は僅かばかりの年金に頼って生活している。
しかし、その生活はあまりに厳しく、彼が身を寄せるアパートの女管理人は、満足に家賃を払わないウンベルトを追い出しにかかっているのだ。ウンベルトとしては、せめてデモに参加して年金額の上積みを勝ち取ることしか方法がなかった。
「許可のない集会は認められん!」
退職老人たちののデモは、大臣護衛の官吏によって、当然の如く拒絶される。警官隊の出動で無残にも蹴散らされた老人たちは、「元公務員に何という仕打ちだ!」と言い放つのが精一杯で、結局、四方八方に退散するしかなかった。
「ならず者め、なっとらん!・・・・来て損した」
大きな建物の陰に隠れた老人たちの一人が、不満をぶちまけた。
「年金支給額が上がらないと、溜まった家賃も払えない」
これはウンベルトの正直な嘆息である。老人たちは周囲の安全を確認して、建物の陰から広場に出て、家路を急ぐしかなかった。
「子供がなければ、兄弟もない。惨めな年寄りだよ」
ウンベルトはデモで知り合った、バレンティという名の老人に身の上話を続ける。
「月に年金1万8000リラ。なのに家賃が1万だ」
月収の6割近くを家賃に充てて生活するウンベルトには、他に全く収入の道がなかった。そんな彼は、バレンティに時計を売りつけようとするが、相手に「高級時計を持っているから」と言われて、それも叶わなかった。売り物が時計しかないウンベルトは、誰彼構わずそれを売ろうとする試みは、結局、全て失敗する。彼はアパートに戻る外なかったのである。
強欲な女管理人に、自分の部屋を時間で又貸しされたウンベルトを助けたのは、アパートでメイドをして働くマリアだった。
壁にアリの群れが張り付くようなマリアのキッチンで、ウンベルトは彼女の身の上話を聞くことになる。彼女は17歳のとき、田舎からローマに出て来て、現在、ある兵士との間に3ヶ月になる子供を身篭っていた。
「何だって?簡単に言うな」
驚いたウンベルトは、それ以上何も言えずに、彼女を心配げに見つめるだけだった。
自分の部屋に戻ったウンベルトは、先程までアベックが占領していた自室の窓を開放し、ベッドを整え、そこにしかない自分の空間をリセットしたのだった。そこにマリアがやって来て、先程の話の続きをした。どうやら彼女は二人の兵士と関係を持ち、そのいずれが自分の子の父親であるか判然としない事情を説明するのである。
話を聞くウンベルトは、ただ呆れるばかりだった。
彼はアリの這い回るベッドに潜り込んで眠りに就こうとした。そこに三度(みたび)、先程貸した体温計を取りにマリアが入って来た。そのマリアに滞納家賃の一部を手渡して、ウンベルトは領収書の受け取りを頼んだ。ところが、まもなく戻って来たマリアは、家賃の全納を督促する管理人の言葉を伝えて部屋を後にしたのである。
微熱で安眠を求めたかったウンベルトは、外套を着て街路に出た。
愛読書を金に替えるためだった。その金を加算して、再びマリアに手渡して、残りの家賃を年金で支払うことの伝言を頼んだのである。
「耳を揃えて払わなければ、立ち退いてもらうわ」
これが、女管理人の答えだった。
貧しい老人と、金持ちの未亡人の仲介に走るマリアの心は、どこまでも自分の立場を越えられない、限定的な関係世界で迷走するしかなかった。そのマリアが再三、ウンベルトの部屋に戻って来た。何とか苦労して都合した老人の金を、女管理人の命によって返還しに来たのである。
ベッドの中で発熱で苦しむウンベルトの耳に、愛人を前で脳天気な歌声を高らかに放つ女管理人のソプラノが、アパートの薄い壁を突き抜けて侵入してきた。苦しむ老人と、自分だけの世界しか見えない女管理人のコントラストが、モノクロの映像に刻まれる残酷さは、充分に映像の主題の在り処を物語っていた。
翌朝、ウンベルトは病院に自らの不調を訴えて入院することになった。愛犬フライクの世話をマリアに頼んだ老人だが、病院のベッドで休むまもなく、巡回医から、「明日にはもう帰っていいよ」と言われてしまうのだ。
「ですが、先生・・・ここも痛いし・・・」
痛みの部位を示すウンベルトに、巡回医は取り合わない。
「熱も下がったし、お若ければ扁桃腺を切るところですが、その年で手術でもねぇ・・・」
担当医が去って行く後姿を見守るウンベルトに、隣の患者が忠告した。
「あれじゃダメだ、もっと粘らないと。諦めが良過ぎるよ」
「ここにいれば食費が浮く」とウンベルト。
「秘訣を教えるよ」と隣の患者。
「あと、一週間いれば助かるんだ」とウンベルト。
「ここはホテルよりいい」と隣の患者。
彼は巡回のシスターに、ウンベルトへの助け舟を求めたのである。
「この人、あと何日か休めばすっかり良くなるんです。今はやつれ果てて、犬の餌代にも困る年金暮らしだ」
「考えましょう」とシスター。
シスターと入れ替えに、マリアが入って来た。
お見舞いに持ってきたのはバナナ一本。若いマリアも老人と同様に、時代の厳しさがもたらした貧しい暮らしを余儀なくされているのである。
元気を回復したウンベルトは、元のアパートに戻って来た。
あろうことか、彼が自分の部屋で視認した風景は改装中の現場だった。女管理人が自分を追い出す意図が現実化されつつあるその場に、ウンベルトは立ち竦む。しかし彼には、部屋に愛犬がいないことの方が衝撃だった。
愛犬フライクを求めて、一人の老人が駆け回る。兵士に振られたマリアに会っても、愛犬の居所が分らないのだ。
ウンベルトはタクシーを飛ばして、野良犬管理センターにまで足を伸ばした。しかしフライクはなかなか見つからない。不安気なウンベルトの視界に、遂にフライクの小さな姿が捕えられたとき、彼の表情は、その思いを爆発した者の輝きを映し出していた。
ウンベルトにとって、愛犬と生活の確保こそが最も緊要なテーマなのだ。このときは、フライクの安全確保という一点にのみ、ウンベルトの関心が奪われていたのである。
そのフライクを連れて散策するウンベルトは、路頭で物乞いをする者が目立つ大通りの一角で、デモの際に知り合ったバティスティーニと再会した。
彼に自分の厳しい現実を話し、それとなく借金を求めたが、さり気なく逃げられて、老人は路傍にその寄る辺なき身を晒すばかりだった。
沈鬱な気分を抱え込んで、なお煩悶から解放されないウンベルトは、遂に、物乞いの行動に移ろうと意を決した。通行人に右手を差し出すリハーサルの後、一人の紳士がウンベルトの前を通りかかる。咄嗟に右手を差し出し、紳士もそれに反応する。
しかしウンベルトは、その紳士が財布から紙幣を取り出して、老人の右手にそれを添えようとしたとき、ウンベルトの右手は裏返された。彼は物乞いを、ギリギリのところで自己否定したのである。それは、観る者の胸を深く抉(えぐ)る悲哀極まる描写だった。
自分ができない物乞いを、ウンベルトは愛犬フライクに代行させようとした。街路の端っこに帽子を咥(くわ)える仔犬が、前足を上げて立っている。それを、建物の陰に隠れた老人が懸命に指図する。
「じっとしてろ」
飼い主の指示を守って、健気に仔犬はそこで頑張っている。
その前を通り過ぎる市民たちは、興味深げに一瞥するものの、そこで足を止める者はいなかった。そのとき、ウンベルトの知り合いの紳士が通り過ぎようとして、慌ててその紳士に近づいたウンベルトは、自分が愛犬に物乞いをさせている現実を糊塗すべく、彼に話しかけていく。
「先生どうなさいました?」とウンベルト。
「フライクは何を?」とその紳士。
「遊んでるんですよ」とウンベルト。
「お利口さんだな。可愛いな」
「コーヒーでも?」とウンベルト。
彼は懸命に状況転換を図ろうとしている。
「用事があるのでね」
「一杯だけ」
「バスが来てるんだ」
「酒でもいい」
「そうしたいところだが・・・」
「ではバスまで」
「喜んで・・・今は何を?」
「この通り、無為に過ごしてます。年金暮らしで」
「気楽でいいな」
こんな会話の流れの後に、いつものような儀礼的な別れの挨拶が待っていた。ウンベルトの内側では、何とか「先生」と呼ぶ紳士から助けを借りたいという思いが、明らかに見え隠れしている。しかし、これもいつものように、老人との関わりを回避する肩透かしが待っていただけだった。結局、何も手に入れることなく、ウンベルトはただ空しさだけを存分に味わって、帰途に就いたのである。
(人生論的映画評論/ウンベルトD('51) ヴィットリオ・デ・シーカ <物を乞う老人の右手が裏返されて>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/d.html