イゴールの約束('96)  ダルデンヌ兄弟   <「暗黙の約束」が削られて>

 不法移民の斡旋と売買によって生計を立てているロジェは、彼らを襤褸(ぼろ)アパートに住まわせて不当に高い家賃を取り立てて、悪銭を稼ぐ日々に明け暮れている。

 あろうことか、息子イゴールにその仕事を手伝わせているから、自動車修理工場で職業技術を身に付けようとする息子の思いは、解雇という形で呆気なく閉ざされてしまったのである。
 
 老婦の財布を平気で盗むイゴールにとって、父の存在は絶対的だった。

 母を持たない一人息子のイゴールは、違法な世渡りに馴染み過ぎて、良心が鈍磨している父親の存在だけが、多感な思春期の只中にある自我の格好のモデルになってしまったのだ。

 彼には、父に同化する自我を形成する以外に、その生存戦略が実を結ばなかったのである。

 ルーマニア移民を騙して捜査当局に引き渡した後、父は息子に自分と揃いの指輪を送った。いつか自分たちの家を持つという夢のうちに、ロジェの自我の拠って立つ場所があり、その夢に息子の自我が架橋していく思いの象徴として、父子の指輪は存在価値を持ったのである。それは父子が、「運命共同体」として確認する「暗黙の約束」だった。

 そんな二人の相対的に安定していた関係が、一つの由々しき出来事によって、突然緊張含みの関係に暗転する。

 ロジェのアパートに移民局の係官が抜き打ち査察にやって来て、イゴールは移民たちを避難させようと懸命に走り回った。ところが、建設現場の足場にいたアフリカ移民のアミドゥが、誤って転落してしまったのである。落下音に驚いたイゴールが階段を下りた先に、血を流して倒れているアミドゥの動かない体があった。
 
 少年はその体に寄り添って、必死に助けようとする。
 
 「死ぬなよ。おい、アミドゥ」
 「女房と息子を・・・二人を頼む。頼んだぞ」

 それが、呻きの中から漏れたたアミドゥの最後の言葉だった。

 「約束するよ・・・」

 少年はアフリカ移民の、瀕死の際のメッセージに咄嗟に反応したのである。

 少年は一時(いっとき)、アミドゥを査察官から隠して、自分のベルトでアミドゥの出血した足を縛った。そして、事なきを得た父に事情を話して、病院の手配を強く求めたのである。

 「足場から落ちた。病院へ運ばなくちゃ」
 「何て言う?」と父。
 「車に轢かれたとか・・・きつく縛ってよ」

 少年は必死で動いている。父をも動かそうとした。
 しかし事情を察した父は、イゴールが繋いだ命のベルトを素早く取り外し、査察の安全を確認するまで、虫の息のアミドゥを塀際に隠したのである。

 父子が再びアミドゥを確認したとき、彼は既に死体になっていた。

 深夜、父は死体の遺棄をセメント詰めにする作業を息子に手伝わせた。少なくとも、このとき父は、彼の履歴にもう一つの許し難き犯罪を加えてしまったのである。そこに、父の犯罪への加担に嫌悪感情を見せた息子が、空しく置き去りにされたのだ。

 その夜、激しく動揺する息子のベッドに父は寄り添って、諭すようにうそぶいた。

 「俺たちのせいじゃない。事故だ。落ちたのが悪いんだ…おやすみ」
 
 黙って頷くイゴールの心中で、名状し難い感情が出口を見つけられずに騒いでいた。

 それはイゴールの内側で、何かが少しずつ、しかし確実に変わっていく事態の始まりを告げる騒がしさであった。少年の父だけが、それを知らない。

 
(人生論的映画評論/イゴールの約束('96)  ダルデンヌ兄弟   <「暗黙の約束」が削られて> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/96.html