太陽の年('84) クシシュトフ・ザヌーシ <お伽話を突き抜けて―「純愛ドラマ」の究極なる括り>

 第二次世界大戦直後のポーランド

 疎開先から戻る列車の中で、一人の女が母と思しき者の手当てをしている。怪我した脚から黴菌が入ることを心配した女が、懸命に老婆の足を洗浄する。
 
 「放っといて」
 「ダメよ、ママ。化膿しそうだわ」
 「いいから構わないで」
 「替えないとダメ」
 「替えても同じさ」
 「悪い黴菌が入ると大変よ」
 「入ればいい。もう生きている張りはないよ」
 「ダメよ、そんなこと言っては」
 「どうすればいいのさ。誰が頼れる」
 「神様よ」
 「イエス様だって、望んで十字架についたのよ。私だって望むときに死にたいわ」
 「元気を出して・・・」
 
 母娘の会話であった。

 娘の名はエミリア。年齢は中年に差しかかっている。母の名は紹介されない。

 そこで紹介されるのは、ナチスドイツの侵略による大戦ですっかり生きる希望を失くした母と、その母を必死に介護する娘の健気な姿である。
 
 一方、荒廃したそのポーランドに足を踏み込むアメリカ人の一団がある。その中に、ノーマンという兵士がいた。彼は戦犯調査団の運転手に応募して、敢えて大戦で最も被害を蒙った地にその身を預けている。

 「なぜ、応募した?」

 同僚の質問に、ノーマンは明瞭に答えた。

 「誰も待っていないからさ」

 どこか孤独な雰囲気を漂わす男が、偶然一人の女性と出会った。エミリアである。彼女が廃車の中で絵のスケッチをしているところに、ノーマンが下の用を足そうと近づいたことがきっかけだった。男は英語で、「失礼しました」と謝罪するが、英語を理解できない女の反応は鈍かった。
 
 まもなくノーマンは、エミリア母娘の住むアパートに訪ねて来た。

 先日の失礼を詫びるために、わざわざ絵の具を買って持って来たのだ。そのまま置いて帰ろうとするノーマンを、母は娘を促して部屋の中に呼び入れた。

 言葉が通じ合わない両者は、片言の英語を使ってコミュニケーションを図ろうとするが、なかなか意思伝達が上手くいかない。ノーマンは貧しい部屋の片隅に飾ってある男の写真を指差して、遠慮げに尋ねた。
 
 「娘の亭主。死んだの。アウト」とエミリアの母。
 「すみませんが・・・」とノーマン。

 彼には言葉の意味が通じなかった。

 「いい兵隊さんね。私が若かったら惚れるわ」と母。
 「帰らないの?アメリカへ」とエミリア
 「誰も待ってませんから」とノーマン。

 エミリアの英語は通じたようである。 

 母娘はポーランド語で話し合っている。その中に、異国の兵士のノーマンは入れない。入れないことが分っているから、母娘の会話の中にジョーク含みの歓談が自在に飛び交っていた。それでもノーマンの内側には、このファーストコンタクトからエミリアに対する仄かな感情が湧き上がっていた。 
 


(人生論的映画評論/太陽の年('84) クシシュトフ・ザヌーシ <お伽話を突き抜けて―「純愛ドラマ」の究極なる括り> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/10/blog-post_24.html